家族

先週末の金曜日22日に、アイルランドで同性間の婚姻を認める憲法改正の是非を問う国民投票が行われ、賛成が62.1パーセント反対が37.9パーセントの賛成多数で、憲法が改正される模様である。

ところで、同性婚は西欧を中心に現在約20カ国で認められているが、国民投票による合法化は世界で初めてで、伝統的なカトリックの影響が強いアイルランドで承認されたことは、このような流れが欧米で強まっていることが分かる。改正を支持してきたアイルランドのケニー首相は「結果は(同性愛者である)彼ら、彼女たちの未来、愛、そして婚姻の平等を支持したものである。ありがとう、アイルランド」と述べている。

まあ、この結果をどう見るかは、人それぞれであるが、そもそも婚姻は民法上の契約行為なので、社会制度として見れば、今回の投票結果は至極当然のことに思える。

また、婚姻は両性が「性愛や子育て」を通して、互いに助け合い支え合って実りある共同生活(結婚生活)を営むことが前提で、例え離婚に至らなくても、片方(女性?)が我慢に我慢を重ね耐え抜く(我慢や依存や犠牲の上に成り立つ)共同生活では意味がなく、それなら、同性であっても、互いに助け合い支え合って、喜びや苦しみを分かち合える共同生活の方が、よっぽどマシである。

さらに、また、結婚はすることより、その関係を維持していくところに難しさがあり、それには、それなりの「知恵と知識」が必要で、性差を乗り越えて、互いに思い遣り愛おしむ関係にならねば続かないように思う。

その意味から、結婚は特に性別には関係なく、「家族と言う単位」で社会制度が制度化されていることから、同性カップルであるが故に、その恩恵に浴せないとしたら、不平等であり不公平と言わざるを得ない。

また、同性カップルでなくとも、子供のいないカップルは五万といる訳で、「性愛や子育て」が結婚の必要条件ではないように思え、それより「二人で助け合い支え合って生きていこう」とする意志や意欲の方が大事である。

私は同性愛者ではないので、その辺の関係はよくわからないが、私的には「性愛や子育て」を通して、夫婦の絆が深まり、互いに信頼できるようになり、歳老いての「孫のお子守」などでは「何物にも替え難い幸せ」を実感することも事実である。その意味から、同性婚は「不毛な関係」と言えないこともないが、「性愛や子育て」以上に、二人の気持ちが重なり合うところに、私は生きる意味があるように思う。

いずれにしても、便利や快適さを求める世相の中に、掛け替えのない絆や信頼の輪を求めて、愛を形にしていく難しさを改めて感じる訳で、「子宝」に勝る愛はないとしても、幼子が真面な大人になるには、家族ばかりでなく地域社会の多くの人が深く広く係っている訳で、大人であれば誰しもその責務を負っている訳で、そう考えると、何人に対しても「自分のことの様に愛おしく」接しなくてはならないように思うのである。

そんな訳で、今日も昨日に習い真夏日になるような気配である。昇り来る朝日に元気をもらい、新たな出会いを信じて頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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