生きる

ご案内のように、ベートーベンは生涯独身であったが、ピアノが上手だったことから多くの貴族の令嬢と恋仲にあったようで、その中でも、テレーゼ・フォン・フラウンシュヴァイクは、ベートーヴェンが生涯を通して愛した女性ではないかと思われる。

それは彼女から送られた肖像画を、ベートーヴェンは死ぬまで誰にも見せずに大切にしまい込み、死後に遺品の中から「不滅の恋人」宛てに書かれた手紙と共に発見されたからである。

べ─ト─ベンは、その当時の二人の「湧き上る想い」を、ピアノソナタ第24番「テレーゼ」と言う作品に残しているが、まあ、今で言えば「不倫」に近い二人の関係も、今となれば「真実の愛」に近いものになるのも可笑しな話である。

まあ、どう考えてみても世間の常識や規範に疑問が残り、素直に受け入れられない私としては、嘘偽りや矛盾にしか生きられぬ現実にこそ、真実があるような感じがする訳で、昔から何世紀にもわたって世界を支配してきた権力者や支配層たちの巧妙なプロパガンダや意識操作が、そんな疑問を抱かせるのではないかと思う。

つまり、いつの世も権力者たちは自らの権力や利権を守るために、かなりの悪事を重ねてきた訳で、一度掴んだ権力や利権をそう簡単に手放す馬鹿はいない。まあ、生涯にわたって好き勝手に生きるには、一般庶民を手なづけ味方に組み入れる必要がある訳で、その場の空気を巧みに読み解き利用して、権力と利権を守ってきたわけで、それには、自分たちにとって都合の良いものは何でも利用してきたと思う。具体的には風俗や習慣から思想や信条、哲学や宗教、それに文化芸術やスポーツ等も例外ではないと思う。さらに悪戯に恐怖感を煽り、事実を捏造し嘘の情報を流し、互いに敵対させ武力衝突をさせたりしてきた訳で、その結果が今日の世界だと思う。

つまり、この世界は元から真実など何処にもなく、フェイクされたもので、フェイクを真実であるかのごとく欺いているところに、今日的な問題が起こる原因や理由や根拠があるように思う。

だから、どんな事件や出来事に対しても批判の対象にしないで、なぜそのような事件や出来事が起きたのか、その理由や根拠をみんなで紐解き探り共有してみるといいと思う。

なぜなら、物事には善悪真偽とは別にそうせざるを得ない理由や根拠が必ずあるからで、それを素直に共有すれば、裏で糸を引く良からぬ勢力の思惑が明るみに出てくるからである。

「盗人にも3分の理」DVや虐待や虐めにも、善悪を問う前に、必ず隠された理由や根拠があるはずである。然れど、起訴されれば97%以上が有罪となる日本の司法のあり方からすると、日本の司法エリート達は、法文や判例をお手本にお座なりに処理し、事件の背後にある問題には気づきながも、もう一歩踏み込まないところにエリートたる所以がある。

ところで、そんな世間話はさておいて、話を元に戻すが、ベートーベンに限らず、芸術家は皆な真面な人間は少なく破廉恥な人ばかりで、聞くところによると、東京芸術大学の入試問題は、

問題(1) 自分の仮面をつくりなさい
※総合実技2日目で、各自制作した仮面を装着してもらいます。

問題(2) 解答用紙に、仮面を装着した時のつぶやきを100字以内で書きなさい
※総合実技2日目で係の者が読み上げます。

と言うもので、正解が用意された一般の試験とはかなり違う。

そして、さらに、『自己表現』という課題では、鉛筆と消しゴム、紙が与えられて、あとは『好きなことをしなさい』といわれるだけで、普通の人なら途方に暮れてしまう難問である。

そして、卒業生のほとんどが定職につかないらしく、定職に就くこと自体が芸術家として堕落することになるようである。でも、裏を返せば、芸大出であれば、生涯食いっぱぐれがないのかもしれない。

まあ、創作とか創造とかと言う世界は、既存の枠組みに当て嵌まらないのが普通で、私的には生きること自体が、誰にとっても創造や創作に当て嵌まる訳だから、人を傷つけない限り、社会の規範や教科書通りに生きる必要はないと思う。

そんなことで、ベートーベンの24番もいいが、そこはジョルジュ・サンドとショパンの関係の方が、よりロマンティックなので、そんなマジョルカ島での作品を久々に聴いてみようと思うが、そんな男と女の問題を、今日的な視点から掘り下げてみると、今世間で話題となっている財務省の福田淳一事務次官のテレ朝記者へのセクハラ発言などは、取材内容を週刊新潮にリークしたり、テレ朝内部のセクハラ対応にも問題があるわけで、一説によるとハニートラップ的な取材活動も否定できない。

まあ、単純に言えば、変なことばかり言う変態オジさんと特ダネを目論む女性記者の問題な訳で、セクハラに限らず取材活動に支障があるなら、組織内で検討して別の記者に交代すればいいだけの話で、何か釈然としないものを感じる。

まあ、こんなことが国家レベルの問題として報道されること自体が可笑しな話しである。まあ、そこらのオジさんやオバさんの話であり、セクハラされたら、その場で上手にかわすなり、反対にやり込めるくらいの技量がないと、報道記者などは務まらないのではないだろうか。

所詮この世は男と女、それぞれのレベルで適当にやればいいし、女性がこれだけ社会進出してくると、女性自身も組織や男性への依存や甘えを捨てて自律しなくてはならないと思う。

いずれにしても、社会は未だに未熟ではあっても、女性の地位と人権は昔より確実に向上してきているわけで、男と女がいる限り、セクハラ行為はなくならない訳だから、脇の甘さや隙を見せない姿勢も必要だと思う。また、男性も下ネタやセクハラ行為が通じる相手かどうか分からないようではセンスがない。

そんな訳で、世間は「きつねとたぬきの化かし合い」である。触らぬ神に祟りなし。美しいものには棘がある。

そんな思いに、女性は美しく芳しきゆえに、桜花と同じように、遠方から眺めるのが良いように思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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