噓は真実

「嘘は真実を語る」とは、米国のTVドラマ「Lie to me. 嘘の瞬間」に学ぶ現実であるが、 私たちは1日に男性は6回、女性は3回以上嘘をつくと言う。 そんなことから、 私はよく右手を挙げて「インディアン嘘つかない。あなたの夫を信じなさい。ほれ信じなさい、ほれ信じなさい。」などとチャラかすが、そもそもその言葉自体が疑わしく、余り繰り返すと疑惑が深まる。

しかし、嘘やフェイクやユーモアにこそ真実がある。時には厳しい現実を和らげるクッションにもなり、さしずめ文章で言えば行間、言葉なら間合いや声の上げ下げや調子(言い回し)などに、真実や本音が隠されているような気がする。

まあ、簡単に言えば、行間や間合いにこめられた気持(想い)と言うことになるが、さらに、過去の経験知から将来を見過こした想いが、今現在の自分を創り上げていると思われることから、今現在の自分は過去の実績や努力の賜物ではなく、それらをファクターに未来を見据えた思いによって創り上げられていると言える。

だから、過去の記憶や想い出は大切であるが、過ぎ去ってしまったことは、何れは忘れられ捨てられる運命にあることから、 懐かしんだり振り返ったりすることはやぶさかではないが、無碍に拘ったり固執しても百害あって一利なしと言える。

まあ、 たいてい、私達は過去の思い出は、失敗や過ちを未来に転写してコンプレックスを持つくらいが関の山で、その最たるものが恋愛である。

しかし、 よくよく考えてみると、 男女の会話ほど本音が隠された会話はない訳で、 毎年11月22日の「いい夫婦の日」に選ばれるベストカップルが語る「 夫婦円満の秘訣」などは、 優しい嘘で塗り固めた狐と狸の化かし合いに近いものかもしれない。

そんなことから、私たちは何処にいても何をしていても、それなりに気を遣っている訳で、日本は全く疲れる。

さらに、歴史や伝統や文化に恵まれれば恵まれるほど、様々な決まりや仕来りに縛られ一筋縄にはいかない訳で、極めて始末に悪い。

一方、年齢を重ねると世間の色々なことが分かるようになるから、相手の懐に飛び込むようなことはしなくなるし、まあ、気づけば打ち解けた仲間や家族も居なくなり、一人になってしまうことにもなり兼ねない。

そんなことから、 歳とれば誰もが寂しい思いをすると思うが、 少しでもそんな思いを跳ね除けるには、やはり未来志向に気持ちを切り替えるしかないように思う。

そんな訳で、明日への想いが今現在の自分を創り上げていることは確かだから、新たな出逢いに夢と希望をつなげ、 愛と正義と勇気を信じて頑張ろうと思うが、それにしても、丸い卵も切りようで四角、ものも言いようで角が立つ。

ゆえに、嘘も方便であり、さり気ない優しい嘘もこれまた気遣い思い遣りである。そんなことから、私的には厳しい現実はさておき、これからも優しい噓に包まれて楽しく日々日常を送っていきたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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