波動

先週末はお台場でのセミナー帰りに、久々に汐留に寄ってみたが、週末で殆どの会社が休みだったので、普段なら忙しそうなビジネスマンや日テレや電通の可愛い子ちゃんが行き交う街並みも何処かひっそりしていて寂しかった。それでも、高層ビルから眺める東京湾や都心の眺望は格別である。

それにしても、今回のセミナーは期待はずれだった。私的には電磁波(波動)の生体への影響について素粒子絡みの詳しい話を聴けるものと思っていたが、臨床事例ばかりでガッカリした。

しかし、たまたま エレベーターで乗り合わせた女性と馬が合い、隣り合わせの席で楽しくやれたのはラッキーだった。芸術関係の仕事に役立てようと参加したというが、波動と素粒子は奥が深いから一風変わった作品が生まれらものと思う。

それにしても、 東京湾を一望できる汐留の高層ビルはいつ来ても素晴らしい。しかし、こんな素晴らしい所で仕事をしていても、長時間労働の末過労死する人もいる訳で、世間は広い。多分東京湾を一望する余裕もなく、終始パソコンの画面や書類ばかりに目を奪われ、上司や周りに気を遣い神経をすり減らした末のことだろうが、仲間意識に欠ける冷たさが伺い知れる。

そんな中、いま国会では慢性的な労働力不足やAI の活用などを踏まえた「働き方改革関連法案」が可決されつつあるが、成果主義も程々にしないと、仕事に追われ身体を壊したり子育てもままならぬようでは元も子もない。

目先の利益に囚われず長い目で見る事業経営が求められるところだが、短期的な成果主義が主流となる中、エリート社員であっても明日の保障はない。使い捨てである。

まあ、振り返ればトラウマや後悔の念に苛まれ、明日に目を転じれば様々な情報に惑わされて不安に駆られ、なかなか意識を今現在に置くことは難しい。

私的には過去のトラウマや後悔も然ることながら、一度覚えた趣味嗜好も結構引きずってしまうタイプなので誠に宜しくない。

しかし、過去の嗜好やトラウマや将来の不安なども潜在意識を書き換えれば消し去ることができるらしく、それには波動を利用して素粒子レベルで意識を転換する必要があるようである。まあ、意識がこの世界を形作り、世界は人の数だけ存在すると言われる所以である。

かって、アインシュタインが量子力学に反論して「私が見なくても月はそこにある」と言ったらしいが、アインシュタインが信じるスピノザに始まる実在哲学も、今日の量子力学の基となるキルケゴールの実存主義に場を追われ終焉を迎えた感がある。

まあ、この世界は見えぬ意識によって認識され動かされていて、それは取りも直さず自分の潜在意識が深く関わるものだとしたら、もしかすると、私達の本質は潜在意識が存する肉体から離れて肉体の周りに浮遊する波動なのかもしれない。

そんな訳で、今日も我が肉体に話し掛け、その想いに耳を傾け、自然界の波動を通して癒やしと安らぎの波動を潜在意識と共にしていきたいと思うが、そんなことから、暫くは言葉や音楽の持つ意味を自分なりに模索して極めていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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