先週は甲府のコラニー文化ホールで、 中高時代の同級生が主宰する音楽教室の発表会があり、今回も写真とビデオの撮影でお手伝いしたが、普段会えない知人にもお目にかかれるので嬉しい。
それから一週間、連日酷暑が続いたが、今日は台風の影響から涼しくて快適である。
ところで、風寒暑湿とは人間に邪気をもたらす外邪と言われるが、気候が人間の気質に深い関わり合いがあることは、こんなことからも容易に想像がつく。
俗に言う地域性であるが、できれば穏やかに一生を過ごした方が得だと思うが、どちらかと言うと、釣り糸を垂らせば直ぐに魚が釣れる海辺の方が、山間に住むよりは穏やかな気質になるような気がする。
さらに、大都市に暮らすより閑村にくらす方がのんびり穏やかに暮らせると思うが、人はなぜ劣悪な環境の大都市に集まっていくのだろうか。
まあ、仕事や見識を広めるのにインフラが整い便利で快適であることが最大のメリットだと思われるが、厳しい生活環境にもめげずに、それをステップバネに生き抜いていく力は大したものだと思う。
しかし、私的には浜風に吹かれようが、山間の冷気に包まれようが、巨大な都会の建造物にいようが、想いはなぜか果てしなく彷徨うだけで、余り変わらない。
まあ、常に実感がないと言うか、現実味がないと言うか、言い換えれば、仮の世界に生きているような気がしてならない。まあ、一種の離人症であるが、時空を超え肉体を離れた自分が存在するような感覚は、私的にはカミュの異邦人にも似た感覚で、見えぬ世界への糸口に思える。
そんな見えぬ世界の奥底に生きる私は、つくづく変な存在だと思うが、聞くところによると、じゃんけんも潜在意識がグーチョキパーを決めると言うから笑ってしまう。それを、自分の意志で決めていると思っているところに、最大の誤解があるからして、私達は日々の祈りや瞑想を通して、常に乖離状態にある潜在意識にアクセスする必要があるのかもしれない。
しかし、そうは言っても意識を現実に戻し臨場感を持つことも大切で、現実と空想の世界を行ったり来たりして、どちらか一方に偏らない方がいいように思う。
そんなことから、週末は音楽を聴きながら撮り溜めた素材を整理したり編集したりして、過ごそうと思う次第である。