お墓

考えてみると、毎年夏は終戦記念日やお盆があって故人を偲ぶ機会が多い。

そんなことからお墓について考えてみたが、現在のお墓は石材で造られ、家族単位で埋葬する「先祖代々のお墓」が一般的である。しかし、「先祖代々のお墓」が普及したのは、江戸時代後期に入ってからで、それまでは、庶民は共同墓地に埋葬されていたらしい。石塔のお墓を建てられたのは有力な貴族や武士だけで、しかも、今日のような家族単位ではなく、個人単位もしくは夫婦単位で建てられている。

今日のような家単位のお墓は、江戸時代に入り家単位の観念が広まり、1900年代以降に石の採掘技術が進歩し経済的にも豊かになったことから普及したと言われる。

つまり、お墓も時代とともに形を変えてきた訳で、近年では都市移住や少子化等の理由から将来お墓を守る後継者がなくなり無縁墓になることが懸念され「血縁にとらわれないお墓」を選択する人も増えてきている。具体的には「永代供養墓」や「樹木葬」「散骨」等であるが、正直言って何か寂しい感じがする。

なぜなら、人は一人で生まれ一人で死んでいくわけだが、そこには両親を始め何らかの縁者が必ず介添えする訳で、捨て子であっても全くの無縁とは言い切れない。自然に帰る自然葬も一理あるが、著名な文豪や音楽家のお墓などは、残された作品を通しての交わりもあるくらいで、少なくとも子や孫くらいは縁者であってほしいように思う。

しかし、立派なお墓を建てても、不倫や不仲で離婚騒動ともなれば、家族揃ってお墓参りとはいかなくなる訳で、そんなことから、お墓はせいぜい江戸時代以前のように、個人単位や夫婦単位くらいがいいのかもしれない。

いずれにしても、「生きている内が華」死んでしまえば、すべてが忘れ去られ、よほどのことがない限り偲ばれることもない。

そんなことから、人生は日々日常が大切であることが分かる。まあ、真面目にコツコツと人様のお役に立っていれば、すべてが益と為す訳で、そんなことから、私的には宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をお手本に、いつも笑顔で人嫌われぬ日々をこれからも送っていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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