退職して早2年の年月が流れ、 孫の成長と共に、最近は育爺生活からも開放され、本当に勝手気ままな自由な生活をしている。まさに「腹減ったら食う、疲れたら寝る」の隠居生活で、人に当てにもされず苦にもされず、正に「お楽どん」である。

しかし、私の知り合いには、今なお仕事をしている人もいる訳で、皆さんの勤労意欲の高さには感服する。しかし、私的には、少子化や高齢化から「生涯現役で働き社会貢献することが理想」のように言われても、何処となく政府に利用されているような気がしてならない。

それは、現役時代を顧みても、朝から晩まで仕事や世間の決りに拘束され、いざ時間ができても、何かを落ち着いてしてみようとする気力もなくなってしまい、そんな昔の自分には二度と戻りたくないからである。

因みに、昨日も久我山に用事があり井の頭線で出掛けたが、道すがら電車や駅などで、私と同年配の男性を見かけると、一律に同年配の女性たちとは対象的に精彩を欠き、仕事と言う目的を失った男の悲哀が滲み出ているような感じがした。

まあ、若く溌溂とした時期に仕事に没頭することも大切だが、今の日本は「生き甲斐の搾取」が疑われるほどの動機づけが日常化し、下手をすると過労死にもなり兼ねない訳で、よくもまあ、これ程までに精神的に追い詰められた過酷な環境で皆さん頑張っておられると思う。

まあ、人生は、仕事も遊びも、さらに職場や地域や家庭も、それなりにバランスを保ちストレスを回避することが、人生を有意義に過ごす秘訣だと思うが、仕事の憂さを遊びや家庭に持ち込んでも、またそれとは反対に、自分の問題や家庭の問題を仕事に持ち込んでも、うまくないことは十二分にわかっていても、そんな自分を客観視できないところに、今日の社会の病理や支配層の企みが隠れ潜んでいるような気がする。そんなことから、私的には政府のご都合や戯言には二度と乗りたくない。

まあ、私等は戦後の民主教育や政府のプロパガンダやNHKや大手マスコミや新聞などの偏向報道を頭から信じて本当に馬鹿をみた人間の一人で、定年退職して隠居生活して初めて「世間の時間やモノや情報」から解き放たれ、自分の感覚や感性を頼りに生きる日々日常に、何ものにも替え難い充足感を覚える。今の私は、嘘偽りなく自分が自分でいられる。

物理的にも精神的にも世間から解き放たれ、趣味のストリートフォトや音楽や動画やお気に入りの観劇などを通して交際範囲も広がり、今までの自分は何だったのだろうと思う。

まあ、どんな仕事でも、仕事につけば自然と仕事中心になり、なかなか自分を全方位に解き放ち客観視できなくなる訳で、そんな時期が長ければ長いほど、職業が服を着て歩いているようになってしまう訳で、本来の自分の想いと仕事のギャップに苦しみながら、世間を生き難くいものにしてしまうのではないかと思う。

そんなことから、できるだけ旅行や遊びなどを通して、普段の自分と違う環境に身を置き、心身のリフレッシュを心掛け、自分を顧みる時間を持つ必要があると思うが、今の社会ではなかなか難しいように思う。

そんな訳で、連日の酷暑に、今日も窓を開ければ熱風で身体が悲鳴を上げる。昨日は名古屋で40.3度と、今日も記録を更新したと言うから驚きである。タンパク質の熱変性温度は42度からと言われるが、ヒトの細胞は水分があり血液やリンパ液が循環しているから外気が高くても、そう簡単に42度にはならないが、インフルエンザなどで高熱が続くと脳細胞が熱変性して大きなダメージを受けることも容易に想像がつく。

とにかく、高齢者は知覚や感覚や感性が鈍感になっているから、意識して小まめに水分補給して熱中症から身を守り体調管理に努める必要がある。長生きすることが目的ではないが、身体を失っては、晩節を迎え一人落ち着いて人生を顧みることもできない。

まあ、日本は昔から60歳を過ぎれば隠居が許され、世間を離れて生きる特権が与えられる。そんなことから、私的にはそんな特権を活かして、一人でも多くの人と自由に語り合い、自分なりに想いを伝えていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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