意識

ご案内のようひ、「がん」は昭和56年より死因の第1位となり、現在では年間36万人もの人が「がん」で亡くなっている。正に3人に1人と言う状況から「国民病」といっても過言ではない。

そんな「がん」の原因の一つに喫煙が上げられるが、これだけ喫煙が減っても反対に「がん患者」が増えていることから、「がんの原因」は、タバコより食品添加物や農薬や医薬品や生活環境の悪化や高齢化によるものと思われる。

ところで、聞くところによると「がん」はイボやオデキのようなものらしく、DNAが傷つき細胞が機能不全のまま増殖することを言うらしいが、それを食い止めるには、食事療法や温熱療法などの民間療法や放射線や抗がん剤による治療があるが、遺伝子レベルのことなので、本当のところはよく分からないのではないかと思う。

つまり、私達が日頃、なぜそんな風に思うのか、考えるのか、感じるのか、なぜそんなことを言うのか、そんなことをするのか、分かっているようで分からない訳で、人の感覚や感性や感情は人それぞれ、そんなことと人の細胞は深く関係しているものと思われる。

つまり、細胞の異変は細胞そのものや分子レベルの異変に起因するのではなく、もっと極小な素粒子レベルでの異変が「がん」の発症に関与しているのではないかと思う。

つまり、光や音、空気や気温、食べ物や飲み物、アメーバや細菌やウイルスなどの外的な因子を介して、素粒子レベルでの波動や振動に異変を生じることが原因ではないかと思う訳で、音楽やダンスが、心地よいリズムやメロディーを通して、私達の本来の感覚や感性を呼び起こすのに対して、雑音や騒音や嫌な言葉が不快な思いを引き起こし体調不良につながるように、何らかの波動因子が素粒子レベルで共鳴し合って、細胞のDNAを傷つけるのではないかと思う。

まあ、全く理由も根拠もない妄想だが、笑うことが「がん治療」に効果があることから、健康を守るには適宜に気持ちを入れ替え、ホルモンバランスを最適化する知恵を持つことが大切である。

そんなことから、欲をかき過ぎたり、物事に固執したり、我慢し過ぎたりすることは禁物で、何事も成り行きに寛容な心を忘れてはならないと思う。

まあ、簡単に言えば、嫌なことや嫌な人とは適当に距離をおき過ぎ超すことで、その辺は危険を察知する本能や野性に従って切り抜け、くれぐれも深追いしないことに尽きると思う。

仮に事例を上げれば、銀行や役所には独特の雰囲気があるように、その場に集まる人や仕事が醸し出す雰囲気や波動は独特なものがあり、詐欺師や泥棒にはそれなりのオーラがある訳で、とにかく相手をよく観察すれば、必ず態度や言動に、その人の気持ちや考えが波動となって現れているものである。

そんなことから、私達は常日頃、心にゆとりを持ち無理をしないで、自分の内なる声に耳を傾けることが大切である。つまり、私達の身体の恒常性を保つ潜在意識に、常日頃からコミットすることが大切であり、心地よい風景や草木や動物や気の合う人達との交わりを通して、波動を共有してお互いに波動を強め合うことを意識することが大切である。昔から「 健全な肉体は健全な精神に宿る」とか「病は気から」とか言われるが、「気持ちの持ち様一つ」で体調が大きく変わるから、何を意識して生活するかが問題だと思う。

いずれにせよ、人には寿命があるから、健康管理にも自ずと限界があり、そんなことも日頃から潜在意識にコミットしていれば、自然に分かるのではないかと思う。

そんな訳で、秋に向かい、この二三日は朝からかなりぶっ飛ばし、やり散らかしたこの夏の後始末をしているが、モノを整理していくと、心の中まで整理整頓されてくるから不思議である。如何に私達が時間に追われて、生活していることが分かる訳だが、これでは潜在意識へのコミットも手薄になり、かなり身体は無理していると思う。

まあ、水や食べ物はさておき、私達はやはり心や魂や霊魂が発する想いや波動を言動力として生きている訳で、世間の評価や意向や思惑で生きている訳ではない。近代社会は、政治や宗教や経済や金融など、さまざまな法律や社会制度を駆使して、支配層や権力者に都合のよいように体制が整備され運営されている訳だが、それはそれとして、私達はそんな彼らの下僕にならないで、「自らの宮」は自分自身でしっかりと敬い奉る必要があるのではないかと思う。

時に、インドの聖典ウパニシャッドには「万物の創造主は人間の穴を外向きに開けた。それで人間は外の方を見るだけで内の方を見ようとしない。唯だ賢者のみが、目を内に向け真我をみる。」とあるが、今の社会は、外部の俗物に没頭し、正に「酔生夢死的な生活」を繰り返しており、真我を見ようとしないところに問題がある。まあ、それに気づかせまいとする支配層や権力者の権謀術数に嵌って生きているのが現実で、今日的な生活に意味を見出すことは難しいように思うし、彼らもその一人であることを忘れてはならないと思う。

そんな訳で、未だに真我を写す鏡が見つからない私としては、灯台下暗し、チルチルミチルの青い鳥ではないが、流浪の旅に彷徨い続けている訳で「馬鹿は死なきゃ治らない」とは、よく言ったものである。

そんなことから、今年の秋は、少し落ち着いて、日頃の想いを深堀し、改めて生きる意味を問うてみたいと思う。

それにしても、バレエなどの舞踊は頭の天辺から脚のつま先まで、身体の隅々まで意識する日々を繰り返す訳で、音楽や衣装や振り付けも含め先人の知恵には学ぶものが多い。

秘すれば華、何事も本質は見えない。そんな現実を踏まえ、文化芸術を通して、潜在意識に通じる心眼を私なりに極めていきたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク