生きる

文化芸術や趣味やスポーツが、私達の意識を拡大し、生命の営みを豊かにしてくれることは確かである。

特に、近代社会はそのシステムの歯車を容赦なく私達に押し付けてくる訳で、システムの歯車として回り続ける私達は、人としての尊厳が失われていく。

本来、私達の意識は時空を超える稀有な存在なのに、狭い部屋に閉じ込められ、一方的に役割や利便性を押しつけられることから、私達の意識は生気を失い、生命の営みは全く精彩を欠いたものになってしまう。

そんな意識のアンバランスが、私達にさまざまな不幸と悲劇をもたらしていると思われるが、宗教や哲学がそんな意識や精神の渇きを癒し取り除くように(疑問に思うものもあるが…?)、文化芸術や趣味や娯楽やスポーツなども、私達の心の渇きを解き放ち癒してくれるものと思う。

そんなことから、夢や幻や空想や虚構に遊ぶ文化芸術は、古来から芸術家を支えるパトロンがつきもので、 作品を通して、芸術家とパトロンは「身体と精神の糧」を、お互いに補い合う関係にあるものと思われる。

つまり、私達の本来の意識を、健全に解き放ち豊かな人生を送るには、時には日々日常を離れ旅したり、文化芸術や趣味や娯楽やスポーツの世界に遊んで、社会システムから離脱し、抑圧された想いや感情を解き放つ必要があるのである。

時に、画家の岡本太郎が「芸術は爆発だ」と言い放ったが、実に的を得た言葉だと思う。しかし、私のような貧乏人は、そうおいそれと文化芸術や趣味やスポーツにばかりに遊んでいられない訳で、日々日常の不平や不満や愚痴や泣き言は、ワンちゃんと戯れたり頭を撫でたり、身近な人との冗談やおしゃべりで解消している訳だが、そんな中にも、人によっては酒やタバコやギャンブルや女にハマり、不幸や悲劇の糸口を引き寄せてしまう人もいる。

そんなことから、人生をお仕着せでなく、自分らしく楽しくやっていくには、仕事以上に日々日常の想いを健全に解き放つ時を持つことが大切であることが分かる。

しかし、よくよく考えてみると、文化芸術やスポーツや娯楽は、一般の仕事と違って元は遊びであり、野球やテニスやサッカーに至っては遊戯である。それが社会的に評価され、それが人によってはパンの糧となり、名声までも手にすることになるから面白い。

まあ、一流になるには、それなりに苦労も運もあると思うが、そんな人達でさえ、いつか知らぬ間に、社会システムの歯車に組み込まれ回り続ける運命にあることは、ご案内の通りである。

そして、いつかしら形骸化した歯車で回り続けていたとしたら、それこそ悲劇である。

まあ、世間は正に「三界に安きところなし常に火炊の如し」であり、食べて通れば良しとして、社会の仕来りや枠組みはそれはそれとして、内なる声に耳を傾け、他に依存しない自分に気づくことが肝要で、そんな自分に気づく切っ掛けが、子供の頃の想いに立ち返る「遊び」にあると思う。

まあ、世の中、必ずしも経験や体験は必要ないが、こと意識や精神活動については「冷暖自知」であり、自らが体験しなくては、その本質を手にすることができない。

また、そんな他愛もない感覚や感性や感情が、いずれは大きな輪になって、社会を動かす原動力になっていく訳だが、それにしても、今日の文化芸術や娯楽やスポーツは勝敗や人気やお金に組織ぐるみで汚染され、お軽く精神性に乏しく、失われた意識を回復覚醒するような強烈なメッセージを発するものが少なくなったように思う。

まあ、そんなところに、清濁真偽、野生と理性の狭間に生きる私達の苦悩がある訳であるが、今月の15日にガンで亡くなった樹木希林さん(75歳)と内田裕也さんの奇妙な夫婦関係なども伺うと、愛と言うものの本質を垣間見る想いがするが、それをユーモアで笑い飛ばすところに、人を演じる俳優の魂を感じる。

ご冥福をお祈りしたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク