秋雨

「腑抜け」と言う言葉がある。はらわたを抜き取られたような状態、意気地がない、気力がない、しっかりしていない、魂が抜けたような形骸化した虚脱状態にあることを言うように思うが、時間軸に支配され主体性なき日々を送る私達が、一度は経験する感覚だと思う。

まあ、人生は出会いと別れの連続で、老病死に怯えながら、ご縁を頼りに喜びと悲しみの中に奮起楽担の連続で、気の休まるところがない。正に人生は「三界は安きことなし、なお火宅の如し」であり、覚めた目でみれば、実に人生は馬鹿馬鹿しい。

しかし、そんな感覚や感情はそれとして、別の視点から世間を見渡すと、世間は結構広くて道が開けているもので、案ずるより産むが易しである。まあ、うまくいかないこともあるが、「すすらすっと」うまくことが運ぶこともあり、とにかくアンテナを高くして、めげずにあせらず拘らずに、次から次へと過ぎ越していくのが、お釈迦様の言われる涅槃への近道ではないかと思う。

まあ、私としては、超高齢化の波に乗り、いつも元気なおじいちゃんでいないと、孫娘たちからも相手にされなくなってしまうので、珍しく自分としては奮起して、ストレッチを始めたが、今日でなんとか2週間になる。まあ、運動はどちらかと言うと嫌いなので、どこまで続くか未知数だが、とにかく身体が硬いのには失望した。

まあ、無理をせず「ムダとムラ」を承知で長く続けることを念頭に取り組むことにしているが、どうなるものか、とにかく隠居の身なので、頼りになるのは自分の意欲と意志と意識しかない。

何か「自律していること」が、験されるような感覚を覚えるが、一般的にこの種の習い事はスクールに通うのが手っ取り早い。

まあ、さしずめヨガスタジオと言うことになるが、そこはそこで、キャバクラヨガなるものも存在し、世間は広く、新たな出会いや散財が待ち受けている。困ったものである。

いずれにしても、人生の大敵はマンネリと惰性である。腑抜けに生きるも人生だが、失敗や過ちを繰り返してもチャレンジするほうが、私は夢や希望があって楽しい。

よく、人がいいとか、お人好しなどと言われる人がいるが、それはそれで良い性格であるが、もし色んなことが自分で決められずに、人任せに逃避しているとしたら問題である。

一昔前の大家族制にあれば、家族や周りの人がいて何とかしてくれると思うが、今日のような超少子高齢社会ともなれば、頼れる人も少なく相手に負担を掛けたり一人取り残されてしまう訳で、金銭的な問題より精神的に自律していないと、人生100歳の時代は、人に迷惑を掛けずに身近な人と楽しく心豊かにやっていけない。

仮に、一人になり老人ホームに入っても、そこにはそこで、牢名主のような親分がいたりグループがある訳で、何事にも依存しない自律した主体性がないと、とんでもないことになる。かと言って、無碍に失望するものでもなく、幸運を掴むのも、入所する時の自己判断にある訳で、そんな厄介な連中とも上手くやれるならいいが、それには日頃から意識して人と交わり、情報を掻き集め、よく考えて自己選択し自己決定し自己責任を負う姿勢を身につけ、他人任せにしないことが大切だと思う。

そうすれば、少なくとも、個々の案件については、歯は抜けても「腑抜け」にはならない訳で、まあ、少子高齢社会を生き抜く秘訣は、主体性(当事者意識)と臨場感を持つことにあると思う。

そんな訳で、今日は朝から雨で冴えない。これからは、一雨ごとに寒くなる訳だが、この週末は、ラーメン好きの孫との弥次喜多道中が楽しみである。

いつまで相手をしてくれるか分からないが、嫌われぬよう子供の感性に寄り添い、晩節の秋を楽しもうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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