生きる

「 ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの…」とは金沢出身の詩人「室生犀星」の作品「抒情小曲集」にある有名な詩句だが、図らずも、私の孫の小学校の校歌は、室生犀星が作詞しており、入学式の式次第を見た瞬間、何か運命的なものを感じた。

それは、故郷を離れたのは大学時代のたった4年間なのに、いつも何処か違うところに自分の故郷があるような気がするからで、それは最近になって気づいたことだが、母が生前に懐かしく語った母が生まれ育った故郷のような気がする。

それで、時折覚えている母の話を頼りに母の生まれ故郷の街を歩いてみると、私が全く知らない所なのに、何故か以前に見たことがあるような感じがするから不思議である。

まあ、「男はロマン、女はご飯」と言われるように、超現実的な女性に対して、男性はいつも夢や幻に生きているようなところがあって、私の場合はかなりの音楽ジャンキーなので、いつもデジャブ(既視感)やメジャブ(未視感)の世界にいるような感じで、自分自身の存在自体も危ぶく怪しく感じることがある。まあ、一種のVRの世界にいる感覚だが、早い話が、体のいい離人症のような気がする。

まあ、夢や幻や空想や妄想の世界に遊ぶと言うか、リアルな現実は、余りにも私達の理想とかけ離れ悲惨で悲しく、嘘やまやかしや矛盾だらけで、しかもそんな風にしなければ、ことがもっと荒立ち大事になってしまい、そんな自分にも嫌気がさすので、なるべくなら世俗から離れて暮らしていたいと思う。

しかし、現実に、私達は日々日常においても、体調が優れなくとも、落ち込んでいても、朝は元気な挨拶を交わす訳で、そんな単純な社交辞令にも、嘘やまやかしが潜んでいる訳で、また、日々日常のさり気ないやり取りの中にも、互いに何かを察し合おうとするところに、私達の本来の営みや本質が隠れており、私は現実的なやり取りと言うよりは、相手の隠された気持ちや想いを言葉や仕草から読み取って、そんなイメージや空気感の中に生きているような気がしてならない。

まあ、言葉なら言葉の綾や間や抑揚や韻、文字なら行間や裏の意味、表情や仕草、全て「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、 秘めるからこそになり、 秘めねばの価値は失せてしまう 」訳で、正に隠れて見えぬところに、女性なら色気が漂う訳で、本当の色気とは、本人も気づかぬところにあるのではないかと思う。

つまり、下手な演出は、本来の色気を損ねてしまう訳で、そんな色気は、天女の羽衣を着て舞を舞うか、挑発的なコスチュームに身を包み男の気を引くかの違いに現れるとは言え、やはり、隠された想いによるところが大きいように思う。

まあ、元よりバーチャルな人間がますます、時代の流れからバーチャルになっていく訳で、音や光や電磁波などが人体に及ぼす影響が深く解明されれば、遺伝子の謎や生命の起源も分かるのではないかと思う。

私達人類の起源は、猿から進化したする進化論なのか、全知全能の神によって創造されたとする創造論なのか、それとも高度な文明を有する生命体による遺伝子操作によるものか、どれもこれも想像の域を出ないが、私的には遺伝子操作による出来損ないが人類のような気がする。

古代インドの聖典ウパニシャッドには、

「万物の創造主は人間の穴を外向きに開けた。それで、人間は外の方を見るだけで、内の方を見ようとしない。ただ賢明な人達だけが、眼を内に向け真我をみる。」とあるが、

私達の本質は、どうも細胞の核に埋め込まれた遺伝子情報にあるようで、まさに情報のやり取りが生命の本質であり、生きることにほかならないのではないだろうか。

そんなことから、幾ら金銀財宝や側妻に囲まれていても、情報がとぼれない内にやり取りしなければ、完全にとぼれて失くなってしまう訳で、死すれば、この世から抹殺され、完全に忘れ去られてしまう現実を知るべきだと思う。

そんな想いに、今日も想いを交わす喜びに感謝して、心豊かに過ごしていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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