創意工夫

オーバーツーリズム(Overtourism)とは、観光地のキャパシティ以上に観光客が押し寄せる過剰な混雑な状況を言うが、観光消費1兆円と言われる京都市などは、京都の情緒や風情が失われるほど、観光客が押し寄せてくるらしく、正に観光公害である。

この秋の連休も、鎌倉や江ノ島では桁外れの混雑ぶりだったそうで、江ノ電の混雑ぶりや沿線各地の観光地の人混みやゴミの山を想像しただけでもゾッとする。

海外でも、大型クルーズ船が停泊するベネチアなどでは、一度に増える観光客によりトイレが不足したり、下水道がパンク状態になったりして、インフラの整備や混雑対策に損失を抱え、勘定合って銭足らずと言ったことらしい。

まあ、私の郷里山梨でも、富士山やその周辺の観光地は、中国人などの外国人観光客が挙って訪れ、観光地のお店や観光施設が外国人に占領され、外国人目当てのお店や施設のような感じがする。

また、都内の量販店やブランドショップでも、私達日本人が躊躇するような高級カメラやブランドものを品定めしているのは、日本人より外国人が多く、正に、日本の高級品はインバウンド消費によって支えられている感じがする。

それに引き換え、地元のスーパーや商店街の安売り特売場に群がっているのは日本人ばかりで、生涯出生率が1.41と少子化に喘ぐ日本の消費動向は、正に0.6人分を外国人の消費に支えられていることになる。

まあ、日本人は中国で作られる安価なものが並ぶ100円ショップを御用達にする一方、私達日本人が丹精込めて作り上げる高級品は、外国の富裕層に買われていく構図が思い浮かび、何ともはやシックリこないものがある。

そんな中、今国会で恐らく成立する「改正入管法」により、日本は当面不足する労働力を外国人労働力で賄うことになるが、出生率が2.0に回復しない限り、現状の経済力や社会制度や社会インフラを維持するのは難しく、国民経済を身の丈にダウンサイジングしない限り、移民を受け入れることになるのではないだろうか。

まあ、戦後日本がこれだけ発展したのは、様々な要因があると思うが、何と言っても団塊の世代の人口ボーナスによるもので、やはり国力は人口であり、中国やインドやインドネシアの経済発展が、これからも見込まれることからも、少子化対策には本腰を入れる必要がある。

なぜなら、子供一人が生まれれば、その経済効果は孫の代にまで及ぶからで、少子化の原因は所得水準の低下にもよるが、それより人間の営みそのものが歪んだ感覚でしか捉えれられなくなった世相にあるような気がする。

いずれにせよ、ここまで落ち込むと、余程の発想の転換と大胆な方策を取らない限り、今日の世相を打破し、現状復帰への道筋をつけることは難しいように思う。

まあ、私的には、嫡子や婚外子に拘らずに、公立私立を問わず教育費は大学教育まで全額無償化し、税制面や子育て支援制度は、婚姻関係にない世帯にも拡充して、フランスのように、子育て世帯への支援措置で、家族全員が食べていける程度のことをやらなければ先ず無理だと思うし、政権によって制度が二転三転するようでは実効性が失われる。

特に、高齢化が進み、男女の関係が多様化し、未婚や晩婚、離婚や再婚から家族関係もシングル化やステップ化し、パパ活やママ活、親子の断絶やDVや老老介護などの諸問題まで抱えるとなると、既に今日の男女関係や家族関係は大きく変容している訳で、もっと私達の本音や本質に即した家族制度や社会制度を構築していく必要があると思う。

そんな中、未だに地方創生に希望を抱いている衆院の石破茂氏のような人もいるが、国策で地方再生に成功した事例はなく、近い将来若い女性が都市部に集中し消滅が想定される地方の創生や再生を、国家政策に掲げて選挙している国もないことから、望みは限りなく薄いように思う。

その一方、世界の先進諸国は、都市のスラム化や交通渋滞やごみ処理問題や大気汚染や治安などの都市の再生が、国策レベルの最重要課題であり、これからも地方創生や再生が課題となることは、先ずないと思う。

まあ、選挙制度にもよると思うが、それだけ先進国の動向や近代社会の方向性に疎い人間が政策や政治を動かしている訳で、ハッキリ言って余程の天変地異や戦争でもない限り、人口減少に伴う地方の再生はありえないし、少子化や人口減少は、国の衰退につながる危機的な状況なのである。

まあ、私的には、少しでも地方都市の過疎化や消滅時期を遅らせる方策として、首都圏や主要都市との公共交通網を安価な料金で利用できるようにすべきではないかと思うが、それは、私達の日々日常は、憲法の生活権で保証されているように、衣食住の次に移動交通があるからで、交通網を拡充し利便性を高めることが、仕事や住まいやレジャーの活性化を促し、引いては私達の生活の質の向上や地方都市の消滅を遅らせることにもつながるものと目されるからである。

そんなことから、山梨県の観光ポスターのキャッチフレーズではないが「週末は山梨にいます」が当面の課題であり、子育てや介護やレジャーの利便性の向上を図り、さらに通信網を整備し、首都圏からの企業誘致など促進していけばいいと思うが、それには高速道路の無料化や高速鉄道網の整備や通信料金の低廉化を国に働きかけていくべきだと思う。

いずれにせよ、人口が集中する都会でなくては、文化や芸術や芸能は成り立つ訳もなく、その一方で、それらの源泉となる感覚や感性は大自然に育まれて初めて覚醒され開花する訳で、商業ベースに乗らない無駄もなくては、世界中の人々の羨望の的となっているマンガやアニメや歌舞伎などの日本文化の特異性が失われてしまうような気もする。

また、特に私達人間の感性や意識が大きく変容し、既存の枠組みでは収まりきれなくなってきたことも確かで、自分を正しく写し出す鏡がほしいところだが、それも拘り出すと排他的な原理主義に凝り固まり「believe in something(何かを信じる)」に執着することになってしまい、「respect for something or others (多様性の中に他者を理解し尊敬する)」ことにはならない訳で、ハロウィンで大騒ぎし、クリスマスを祝い、初詣に神社にお参りして、お寺にお墓参りをする日本人の宗教観は、他者の中に自分を活かす知恵にもつながるものがある。このような世界観や価値観は世界的に稀であり、グローバルな時代に即した近未来的な思考や世界観だと思う。

そんな訳で、何か取り留めのない話になってしまったが、要するに、私達はいま居ながらにして、かなりの情報が手に入る訳で、そんな中にも、世界や社会の闇の部分が次第に明らかにされてきた訳で、やはり人間はいつかは本音を語るものだと思う。

まあ、本音や本心を押し殺し、利権や利得に終始しても、死ねば全てが無と化す現実に、本音を語らぬ意味はなく、三島由紀夫や太宰治のように死を持って想いを残す方が、私には美しく思える。

そんな訳で、凡人は生きている内が花、想いを語り共にすることこそ人生であり、庶民の楽しみである。そんな想いに、今日も新たな出会いを信じて、頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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