クリスマス

昨夜はクリスマス・イブなのに、首筋が痛み、うつ伏せ寝したところ直ぐに痛みはとれたものの、ドックンドックンと鈍く響く心臓の鼓動を改めて身体全体で感じた。

産まれて此の方、誰に頼まれた訳でもなく、私のために68年間一刻足りとも休まず心臓は脈打っている訳で、いつ止まるのか俄に不安になった。

恐らく止まる日も産まれた時のように決まっているのだろうが、68年間一つの役割に徹して動き続ける心臓のメカニズムは正に驚異であり、仮に1分間70回鼓動したとすれば、1日100,800回 1ヶ月3,024,000回 1年36,288,000回 68年間では何と2,467,584,000回鼓動している訳で、電卓で同じ数字を何回も打てば直ぐに何回打ったか分からなくなるピンボケ老人をよくここまで支えてくれたかと思うと、その誠実さにはただ只管感服感謝するしかない。

まあ、信じて疑わずして一筋ひと道に進む尊さを改めて感じた訳で、変化と多様性の中に、変わらざるを得ない私としては、羨ましいやら恥ずかしいやら、チョット複雑な思いがした。

まあ、時代の要請や社会の同調圧力に疑問を感じながらも屈し、足並みを揃えてきた私としては、とにかく一筋に信じて生きることが出来なくなってきた訳で、聖書や仏典の教えも日々日常の中で活かし切れない。とにかく何をやっても中途半端で情けない。

まあ、本物の神仏なら、信じるに値し、その報酬は余りあるものと思われるが、この歳をして未だに踏み切れないものがある。それは、宗教によっては人間を支配するために、人間が創り出した宗教もあるからで、戦没者の慰霊を祀った神社は、靖国神社だけではなく、大坂の陣で戦死した豊臣勢の慰霊を祀った豊国神社は、徳川幕府の影響力を弱めるために明治政府によって全国に建立された神社で、そんな意図で建てられた神社に参拝してご利益があるかどうか疑問である。

まあ、宗教は社会制度と同じで、本筋は正しくも、運用を間違えれば、毒や害になる訳で、戦後の混乱期に乗じて人心に浸透していった新興宗教は数知れず、創価学会や立正佼成会などもその類である。しかし、だからと言って一概に否定されるものではないが、人間が人間のために創り上げた宗教には限界があり、私達が本当に必要とするものを与えてくださるものか疑問が残る。

そんな訳で、クリスマスの夜に、これも何かの予兆である。外なる事象に気を配りながらも、内なる真我に従い、改めて聖書や仏典の教えに立ち帰り、今年一年を振り返って、明日への励みにしようと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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