新春に思う

お正月の松の内も今日で終わるが、なかなかお屠蘇気分が抜けない。まあ、そうは言っても、私だけは自分が予定を組まない限り、まだお正月でいいのだが、孫や子供や妻たちは、保育園や学校や仕事にそれぞれ出掛けていくので、隠居の身とは言え安穏としてはいられない。

そんなことから、私はとにかく今年は健康管理に努め、家族に迷惑を掛けないように、毎日規則正しい生活をしようと思うが、幸いにも昨年の秋頃から始めたストレッチも、お正月中はちょつとさぼってしまったが、何とか続いており、趣味のストリート・フォトも社会探訪を兼ね結構街中を歩くので、これと言った運動をしなくてもいいような気がする訳で、とにかくマイペースで焦らずゆとりを持って、身近な人たちと楽しく今年もやっていこうと思う。

そんな年初めであるが、ご案内のように、世間は昨年暮れの12月20日に日本海のEEZ海域(排他的経済水域内)で、韓国海軍の駆逐艦「広開土大王(クァンゲト・デワンDDH-971)」が、日本の海上自衛隊のP-1哨戒機に対して火器管制レーダー(射撃管制用レーダー)を照射した事件が、持ち切りで何ともシックリしない。

まあ、いつものことながら、韓国側は事実に反する嘘の上塗りから子供騙しの説明をしている内に、逆ギレして謝罪を求める事態に発展しており、慰安婦や徴用工問題も含め、日系企業の資産差押えなども取り沙汰される事態となり、日韓の主張が激しくぶつかり合い、日韓関係は泥沼化の様相を呈している。

まあ、一連の流れをみると、とにかく気が合わない国民同士なのは確かであり、これ以上話し合っても妥協点は見い出せそうもないから、ことを荒立てずに当たらず障らず、そっと自然に離れて行くしかないように思う。

この件については、元自衛隊航空幕僚長の田母神俊雄氏がツイッターで、日本政府の過剰反応や外交問題化しつつある情勢に、専門家として冷ややかなコメントを残しているが、まあ、何事も争って得することはないから、田母神氏のご意見も、立場を超えた見解として尊重する必要があると思う。

しかしながら、一連のやり取りを見る限り、韓国の不実は今に始まったことではなく、福沢諭吉の「脱亜論(明治18年3月26日)」には、次のような記述がある。

《我日本の国土はアジアの東辺に在りと雖ども、その国民の精神は既にアジアの固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に国あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云う。》(「脱亜論」明治十八年三月十六日)。

この近隣にある「二国」は、《その古風旧慣に恋々するの情は百千年の古に異ならず……教育の事を論ずれば儒教主義と云い、学校の教旨は仁義礼智と称し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として……道徳さえ地を払うて残刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し》

つまり、この記述からすると、韓国や中国とおつき合いするなら、最初から心してつき合わないととんでもないことになることは確かである。

まあ、思い込みや既成概念から、不必要な差別や偏見はいけないが、中国と韓国は隣国にも拘らず、確かに欧米諸国や日本の価値観や世界観とは一線を画するものがあり、国際ルールやマナーやエチケットが通じないばかりか、民族的にも感覚や感性もかなり違い、ロシアの方が遥かに親近感を覚える。

まあ、生粋の日本人は、義理人情に厚く、正義を誉れとし、お金や権力に屈せず、自分の立場を離れてものごとを公平に見れる民度が高い国民性を持ち合わせており、そんな視点に立てば、中国や朝鮮の民族は全く異質な存在であり、日産のゴーン会長のような人物もコストカッターとしては適任だが、日本の会社のCEOとしては不適格な人種だと思う。

そんな訳で、今年は新生「日本」の幕開けの年である。私達も当事者意識を持って、お隣韓国や中国の動向を反面教師として、日々日常の生活を見直し活かしていけたらいいのではないかと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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