早春に想う


自民党の二階俊博幹事長が、18日の記者会見で、天皇陛下による謝罪で慰安婦問題が解決すると発言した韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、日本側の反発に対して「盗っ人たけだけしい」などと述べたことについて「日本は盗人ではないことは誰でも承知している。その程度のことをこちらが真っ赤になって反論する必要はない。無視」と一蹴したと言うが、一応反論しておかないと、何せ国家レベルで嘘をつきまくるプロパガンダの国である。海洋資源を狙い実効支配を続ける竹島の事例もあるから、とにかく韓国には注意を要する。

まあ、慰安婦、徴用工、レーダー照射などの一連の事件を垣間見るに、なんのかのといちゃもん難癖をつけ、お金をせびるお国柄は、恥を知り名誉や誉れを大切にする私達日本民族とは一線を画する民族性であることは間違いなく、これからはそんな民族性を念頭に隣国つき合いしていけばいい訳で、不誠実極まりない連中とは徐々に関係性を断ち切っていけばいいように思う。

しかし、今や世界はインターネットや流通革命により一つに結ばれ、人や物が自由に行き交うグローバルな時代である。そんなことから、他国との交流を一切断ち、自国だけで自国の主権や経済を維持できる国はないと思う。

つまり、国家は資本主義であろうが共産主義であろうが、理想は理想として大切だが、政治体制や経済運営は現実であるからして、思想や信念や理屈では済まされないところがあり、そんなところは日々日常の男女関係(夫婦関係)にも通じるものがある。

ところで、そんなグーローバルな流れに対して、国家レベルでは「自由、平等、民主主義、法による支配」を共通の理念や認識や価値観として、国や民族を超えた世界統一国家樹立への野望や野心や利権の奪い合いが続いているが、個人や市民レベルでは「自由や平等、偏見や差別からの開放、個体の差異や異文化への相互理解や個性尊重など、近代個人主義の成熟期を迎える中、安全や安心や便利快適を求める様々な活動」が幅広く展開されてはいるものの、その行き着く先は何処へ向かうのか、イマイチ不透明で、幸せとはかけ離れたものになりそうで不安である。

私的には、古き日本の血縁や地縁から脱皮した今の社会の方が、自由で気楽で心地よいが、その反面、なかなか関係性を結べないところもあり、プライバシーを考えると、下手に立ち回れないところもあって、縁談話なども要らぬお節介に為りかねない。

まあ、未来予想としては、様々な社会学者が人工知能によるユビキタス社会やバリアフリー社会を予見しているが、よく考えてみると、バリアがあるからこそ人は助け合う訳で、それが自動化され制度化されていけば、人はますます孤立化していく訳で、VRを応用した介護ロボットやSEXマシーンで幸せになれるか疑問が残る。

まあ、簡単に言えば、グーグルの地図上では、富士山の頂上も新宿の街も同じ点であり、誰もが同じアーキテクチャーを使うことで、全てが平準化されフラット化されていく訳で、そこに地域性や独自性は見出だせない。

つまり、世界中何処にいっても、マックのハンバーガーやスタバのコーヒーと言った平準化フラット化したライフスタイルになっていく訳で、これが私達の求める究極の幸せとは思いない。

まあ、私的には疑問に思うから知りたい訳で、また、知ることで愛が芽生えたり、憎しみが生まれたりする訳で、結果として様々な困難や障壁を背負い込んでも仕方がないと思う。また、何か異色なものやミステリアスなものに惹かれていく感覚は、肌を隠す色気にも似ていて、肌を曝け出す今日的なエロティシズムは、単純で平準化したつまらないものに思えてつまらない。

そんな想いに、つくづく人間は複雑怪奇で、善悪真偽から愛憎や羨望から妬みまで、様々な屈折した想いに操られ惑わされ、正に「苦は楽の種、楽は苦の種」と言ったところから離れられない存在であることが分かる。

いずれにせよ、今日的な営みの行き先が、一向に見えないところに問題があり、日韓関係が改善されようが、日露平和交渉が円満解決しようが、その先はどうなるのか、私達の幸せとどう関わり合うのか一向に見えないところに不安が残る。

つまり、スマホによるキャッシュレスが進み便利になっても、食卓に並ぶご飯に味噌汁に変わりはない訳で、さらに、その味が平準化したインスタト味になってしまったら、全く興醒めしてしまう訳で、食事は質素なものであっても、誰と食べるかが問題であり意味があると思う。

そんな訳で、先週は早春の想いに駆られ、湯島天満宮の梅まつりに出掛けてみたが、当日は小雪が舞う寒い日和で、手袋を外してLineするも指が悴んで字が打てない。そんな日々日常に、世間のトレンドは全く関係なく、東京の街がオリンピックを皮切りに、何処も彼処もみんな同じような感じの街に変容していき、実につまらなく感じる。

確かに、グーグルマップは便利だが、道案内を尋ねる出会いや醍醐味には全く届かない訳で、そんな不便さに、下町の人情がほしくて彷徨う私が憐れであり笑ってしまう。

いずれにせよ、人は人に傷つき人に癒やされる。どんなライフスタイルあっても、人との関係性が最重要課題であり、つくづく狭い了見で生きていてはつまらないように思う。

しかし、このままグローバル化が進めば、異文化や移民社会のシンガポールが、生活全般に亘り厳しい法規制を敷き社会秩序を維持しているように、かなり窮屈な息苦しい社会になり、益々社会は孤立化するうな気がする。

まあ、地縁血縁によるのか、法律によるのかの違いはあっても、やはり人間は罪深いどうにもならない存在であることは確かで、そんな中にも、真なる合意形成と何時までも色褪せぬ信頼に生きていきたいと思うが、それにはやはり何と言っても邪な想いを捨て去り「清らかな心」に生きることが秘訣ではないかと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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