イデオロギー


「民主主義」とは「国のあり方を決める権利を市民が持」とする政治体制(形態)のことで民主主義国家では、市民政治活動の自由表現の自由言論の自由認められ、市民は自分たちの代表を選挙で選び、選ばれた代表が市民に代わって政治を行っている。

確かに理に叶った政治形態ではあるが、それにはそれなりの前提条件があって、まず国のあり方(自分らの社会のあり方)に常に関心を持ち、あるべき姿を模索する姿勢が不可欠であって、少なくとも投票率が5〜6割程度ないと選挙の正当性が問われる。

さらに、選挙権の行使には、日頃から地域の伝統や文化、歴史や風俗や習慣、それに国内外の情勢や情報に関心を持ち、地域コミュニティーに積極的に参加し地域情報の共有に努めることが不可欠で、いつも面白おかしく娯楽やスポーツやお笑いや芸能に、何んの問題意識もなく遊び惚けているようでは、とても務まらない。

そしてさらに、今日のように行政情報が意図的に隠蔽されたり、マスコミやマスメディアの偏向報道が社会問題化しているようでは、とても民主主義が正しく機能しているとは言えない。

また、この4月からは軒並み物価が上がり、消費増税も間近に迫る中、一般の生活用品や光熱水費が増税されるのに新聞代が据え置きなのは有難いが、そんな政府筋の口止め工作に呼応して、マスコミの社説や報道がトーンダウンしてしまうようでは、社会の真実や実態を伝えるマスコミとは言い難い。

そんなことから、民主主義は愚民政治や衆愚政治や扇動政治などと称され、君主制や貴族政治に対して嫌悪される理由も理解できるが、政府のプロパガンダや印象操作に操られ反日感情や反日活動に燃え滾る韓国民の異常な愚弄さを傍目に、娯楽やスポーツやお笑いや芸能に現を抜かし、内外の情勢に全く無頓着で無関心な平均的な日本人としては、どう見てもマスコミや政治家の巧妙や印象操作にすっかり操られているような気がしてならない。

その一方、真面に人間の生き方や社会のあり方を考え追求する哲学や倫理や宗教に深く目覚め探究するような人は、社会の流れから放り出され、挙句の果ては、社会の底辺を生きることになってしまうのが通り相場である。

まあ、テクノロジーの進化が余りにも激しく、その主導権争いに生き残りをかける社会の実態からして、お金や権力に代わる人類共通の崇高なコンセンサスを得る余裕などないのが現実である。

つまり、その日暮らしに面白おかしく娯楽やスポーツに興じる庶民の生活には進歩がないばかりか、時の支配層や権力者にとっては都合がいい訳で、娯楽やスポーツが市民意識を政治や哲学から遠ざける道具になっているのが世界の潮流である。

まあ、人の数だけ世界があり、その世界観や価値観を前面に押し出すことが勝利の方程式とされる今日、お金に裏打ちされた世間の評判や人気が、人間の価値を決めている訳で、決して普遍的な価値観や世界観で皆んなが結ばれている社会ではない。

また、ただ存在することや健康で長生きすることが美徳のような風潮もあるが、そのどちらを取っても、お金や権力にとって代わる社会の共通認識にはなり得ない。

いずれにせよ、猫の目のように移りゆく世相に、義理人情や男気や、哲学や宗教心に目覚める事はリスクを伴うことになりそうである。

そんな訳で、今年の春は、統一地方選挙の春なので、その結果に期待したいところだが、働き方改革が進む中、この際だから、地方議員も無報酬の名誉職として兼業を認めれば、それなりに目覚めた人が政治に参加するのではないかと思うが、それにしても、ちょつと地方議員が多すぎるように思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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