今日は風もなく太陽の光がいっぱいで、朝からいつになく気持ちがいい。そんな週の始まりに、街のざわめきも心なしに躍動感があって、正に季節は初夏である。

窓を開け空を見上げると、青空が広がっていて、鳥の囀りも聞こえる。春はあっと言う間に過ぎ去ってしまったけど、落ち込むこともなく幸せである。

ところで、今朝は、目覚める前は朝のストレッチができないほど、物憂い感じだったが、それが覚めるとどうだろう、そんな感覚がおくびにも感じられないほど爽快で、何か狐に抓まれたような気がする。

まあ、改めて自分の意識が全く当てにならないことが分かったが、未だに自分を写し出す鏡がない私としては、「自分の想いに素直に生きる」ことへの不安を覚える。

しかし、だからと言って、マスコミや新聞は嘘ばかりで信用できないし、巷の噂や世間の常識などはもっと信用できない。まあ、世間は全てが信用で、信じるしか手立てがないことだけは確かだが、それにしても、何らかの権威に縋り、虎の威を借り、うまく生き延びている連中が多過ぎて、実に不愉快である。

まあ、全てが白とまでは言わないが、自戒や反省や謹慎する気持ちも必要である。聞くところによると、世間は目的のために手段を選ばないマキャベリストや、人の不幸の上に平気で自分の幸せを築けるサイコパスや、自己愛や自己陶酔に生きるナルシストに牛耳られていると言うが、確かに毎日怒涛のように押し寄せる情報の波の中に揉まれると、自信もなくなり不安になるが、そんな連中の言葉を信じて騙されてはならない。

まあ、ありのままに素直に生きていれば、そんな邪な連中は寄って来ないし離れていくと思うが、とにかく、そんな連中は、ありのままの自分を愛せず、権威筋に縋り虎の威を借り「自分は素晴らしい存在だ」と言った虚言や妄想を武器に、平気で人を利用し人の不幸の上に自分の幸せを築ける連中だから注意を要する。

まあ、これだけ無責任なコメンテーターの変な話を聞けば不安にならざるを得ないが、そんな連中ほど話しとは裏腹に、根拠を欠く話しからか、平然といい加減な生活をしているもので、今は「言行不一致」が当たり前、甚だしく当事者意識が欠如した社会と言える。

そんな想いに、「人は想いに生きる」とは言え、その想いの意味も分からず死に至るも情けない。また、神仏の教えを紐解くに「信じることが全て」で終わってしまったら、世間に暮らす意味もなく、魂や霊的な成長もあり得ない訳で、そんな建前論を幾ら聴いても意味がない。

まあ、身を正せば世間から葬り去られるのか、真実を語らぬ政治家や宗教家には失望しかないが、それでも素直な気持ちで神仏の教えを鏡としている人もいると思うから、私としてはそんな清らかな人達の言葉を頼りに、新たな生き方を模索していこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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