お盆

お盆(おぼん)は、日本古来の祖霊信仰と仏教の行事が融合したもので、祖先の霊を供養する国民的行事である。

そんなことから、今年も例年の如くお墓参りをして夕刻には迎え火を焚いたが、迎え火を焚かない浄土真宗のような宗派もあり、「お盆は地獄に堕ちたご先祖さまが迎え火で家に戻り、送り火でまた地獄にお戻りになる」などと日本の風習を揶揄する伝道師もいたりして、つくづくいろんな考えがあるものだと思う。

しかし、私にとって、迎え火や送り火の所以や、また地獄や天国の有無など、どうでもいいことで、万物の創造主がイエスであっても、父母がいなければ私達は存在しない訳だから、会えなくなってしまった父母や縁者や大切な人を静かに偲ぶ日本の行事(風習)を大切にしたいと思う。

それにしても、今年の夏は、冷夏と思いきや一気に猛暑が続き、気力体力ともに消耗が激しく、孫との子供向けイベントを皮切りに、公開イベントに参加しながらDVテープのデジタル化や愛犬クーちゃんの病院通い、それに値上がりした送料をケチって、旬のモロコシや桃を届けにと、都会と田舎を行き来する夏で、これからブドウもあるが、矢張り餅屋は餅屋、無理して運ばないで、ブドウはクロネコにお任せしようと思う。

それに、今年は特別で、お盆前にいとこの台湾の知人が家族連れで来日し、日本の真夏の風物詩を体験したいと言うことから、矛先が郷里山梨の市川大門の「神明の花火大会」に向い、私が案内役を務めることになった。それで、馬込の子供達のワンボックスを借り案内したが、慣れぬクルマの運転には気を遣いくたびれはしたが、実に愉快な小旅行で楽しかった。

何せ家族構成が、小学5年を皮切りに下は6歳の双子の4人姉妹で、上の子は英語はもちろん日本語もかなりイケる。それに、下の双子の姉妹は日本のお人形さんのような可愛い顔をしていて、とても中国人とは思えない。スマホを向けると瞳がキラキラ輝き、屈託のない笑顔には、改めて女の子の可愛さに魅了された。何せ帰りに立ち寄った桃園のオジさんが、すっかり惚れ込んで、オマケに桃を採らせてくれたくらいである。

そんな花火の旅も、当初はJRで甲府駅で待ち合わせして案内する予定だったが、6人もの大所帯となると、限られた時間に混雑する都内の改札を潜り抜けるのも大変なので、馬込の子供たちのワンボックスを借りて案内することになったが、結果的に高速道路の渋滞もそれ程でもなく正解だった。

当日は妻やクーちゃん達と郷土産品を展示してある地場産業センターで待ち合わせをして合流し、平日だったので土日は通行止めになる昇仙峡の側道を通りながら滝上でロープウェイに乗ったりして遊び、その後はホテルにチェックインして少し休み、花火会場にはローカル色豊かな南甲府駅にクルマで移動して、増発便の臨時電車で向かった。会場では屋台の人混みや初めての夜空の大輪に、日本の真夏を体験し、想い出に残る楽しい時間を過ごせたと思う。

翌日は妻やクーちゃんも加わり、ミレーの美術館を観たりお蕎麦屋さんで昼食を摂ったり、一宮の桃園で桃狩りをして、私達はクーちゃん達と別れて東京に戻ったが、中央道も環七もさほど渋滞がなく、一行を中野で降ろし、夕刻の6時には無事に馬込の子供達の家に着いた。

そんなことで、お盆も明ければ、朝晩はかなり過ごし易くなる。台風も来ているし、昨日15日には自宅にお迎えした菩提寺の住職のお経に合わせてお参りしたせいか、病み上がりの愛犬クーちゃんがやたら元気になり、私的には大満足である。

しかし、その一方、私は相変わらず変化と多様性の中に不安定な想いに拠り所を失っている訳で実に情けない。行き着くところは何処なのか、一向に見当もつかないが、それはそれとして、暫くすると、山形から真黒になって孫たちが戻ってくる。孫達の土産話も楽しみである。

いずれにせよ、まだデジタル化しないDVテープが200本近く残っている。やっと半ばといった感じだが、引き受けた限り本腰を入れて頑張ろうと思う。しかし、DVテープ時代の中国やインドや中東やロシアの生活には、時代の趨勢を感じる。つくづく時の流れに私達は無力なのが分かる。そんな想いに、残された時間を大切に、全てに感謝して生きていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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