民族性

嘘つき、二枚舌、保身のためなら国の経済や安全保障を代償にしても構わない、何と言う政治家だろう。本当に韓国は恐ろしい政治家をリーダーに選んでしまったと思う。

しかし、同胞とは言え、核兵器を持つ独裁政権のミサイルがいつ飛んでくるか分からないこの期に及んでも、未だに54.9%の支持率がある訳で、この国の病理には根深いものがある。

まあ、「千年の怨みに生きる国民」だから仕方ないが、反日感情を生き甲斐に不買運動などして何になるのだろう。このグローバルな時代に愚かだと思う。それほど日本が嫌いなら自分達の方から関係を断てばいい訳で、いつまでも執念深く付き纏い、変にプライドが高く、妬み深く、嘘で固めた上から目線のコメントには腹が立つ。

まあ、共産主義であれ自由主義であれ、嘘や虚構で成り立つ社会であることに大差はないが、それだからこそ、私達は真面目に「愛と正義と勇気」を信じて頑張っている訳で、「皆んなで渡れば怖くない的なズルさ」が自分達の社会では通用しても、「義と誠実を誉れ」とする日本の社会に通用すると思っては勘違いも甚だしい。

「嘘は泥棒の始まり」と言うが、相手を気遣う優しい嘘ならともかく、相手を誹謗中傷し利益誘導するズルさはピカイチで、手を替え品を替えの実に巧妙なコメントには、体裁だけを取り繕う虚しさが漂う。腐っても鯛は鯛。どんなに落ちぶれても、こんなみっともない人間にはなりたくない。

まあ、秀吉の時代から、朝鮮は日本にとって鬼門である。福沢諭吉先生の「脱亜論」にあるように、日本民族とは全く違った価値観や世界観を持っており、このグローバルな時代になっても何の学習もなく進歩もない。本当に珍しい民族である。一般的に教育や学習によって、また日々日常の過ちや失敗を通して、私達は多くを学び、社会の信用と信頼に耐え得る人格を形成していくものと思うが、国のリーダーや国家機関の連中が率先して嘘に生きているようでは始まらない。

しかし、韓国にも世界に通じる学者や若者がいるはずである。そんな卑しい民族性に負けずに、今日的なグローバルなセンスを活かして、世界に通じる新しい民族性を獲得してもらいと思う。

いずれにせよ、庶民はいつも蚊帳の外。真実を知る由もない。しかし、何と言っても正直に勝る武器はない。「嘘や偽り」は何処まで行っても「嘘偽り」であり、事実を欠く虚しい想いの中に、全てが無と化すものと思う。

誰にとっても泡沫の人生、私的には嘘偽りのない真実の想いに生きることこそが、真の幸せではないかと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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