感謝

12月8日は、お釈迦様が放蕩の末に世を儚み、妻子を捨てて城を出られ、6年間の苦行の末に、35歳で悟りに至った日であるが、自我を捨て衆縁を嫌わずして、周囲と和し中庸に生きることが、煩悩から解脱に至る道となると、これまた至難の業である。素人目には仏門に入門する方が寧ろ楽なのではないかと思う。

また、一説には、己の波動と自然界の波動とが完全に一致しなくては輪廻転生の輪から外れられないらしい。また、少しでもこの世に未練があったり、自分の意志や意識や自我の力が作用すると、涅槃に行けず再びこの世に再生されると言うから、これまた至難の業である。

となれば、難しい修行を積み重ね解脱を目指すより、沸き起こる煩悩の炎を自重して、少しでも今より真面のものに生まれ変わった方が手っ取り早いのではないだろうか。

ところで、そんな涅槃への道は、何やら、素粒子の世界と似ており、時代は01の二進法から01の特性を併せ持つ量子ビットの世界に突入しており、デジタルも突き詰めれば、細分化から統合や結合へと進化し、どうも物事や事象は細かく分析し解析して原因を突き止め道理や理屈を得ても、結局は差別や偏見に辿りつくだけで、分け隔てなければ理解できない納得できない人間の自我や理性や我欲のなせる業だと思うと悲しくなる。

まあ、世間は往々にして、学びのための学び、宗教のための宗教、司法のための司法、政治のための政治に終わってしまい、かえって私達を本質的に解放するものから遠ざけてしまうような気がする。

そもそも、私達はどんなに清く正しくあろうとしても罪と穢れを拭い去れない存在であり、一大決心して「世のため人のため」と、己を犠牲にして家族や世間に尽くしてみても、いつかは日頃の鬱積や不平や不満が爆発して、その矛先が他者への怒りや攻撃に向かうことになり、誠に始末に悪い。

まあ、私的には世間体や深淵な仏典や教典の教えより「苦にも当てにもされないそんな存在に甘んじていられる技量」を身につける方が、よっぽど気楽で楽しい人生が送れるのではないかと思う。

そんなことから、この冬はこれまで以上に無理をせず、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」をお手本に、身も心も軽く「障りなき日々」を送っていこうと思う。

それにしても、音楽はジャンルを問わず「救い」である。すべてに感謝したいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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