信じるものは?

いつもならお正月を迎えると、世間の風がガラッと変わるものだが、今年はなぜかそんな気がしない。何処か昨年を引きずっているような気がしてならない。

元日に氏神さんに初詣に行った時も、一昔前に戻ったような感じで、新春の夢や希望を祈願する雰囲気が伝わって来ない。

まあ、社会全体が沈み込み躍動感がなく、伏せて様子見しているような感じで、明日への夢や希望が具体的な形となって見えて来ないのはなぜだろう。

そんな中、今年も成人式を迎えるが、そんな沈滞ムードを一気に吹っ飛ばしてくれる新成人が現れることを期待したい。

ところで、今年は昨年末からゴーンさんの国外逃亡劇から、日本の主権のあり方に疑問を感じる訳で、ゴーンさんの弁護人のコメントにしても全くお他人事で当事者意識に欠ける。これが日本の超エリートだと思うと情けない。弱者に強く権力者や支配層に厚い日本のエリート層の拝金保身意識には失望する。

さらに、それでまかり通ってしまうところも問題であり、今日のマスコミやジャーナリズムも司法当局と一蓮托生と言える。しかも、一連托生の彼らインテリ集団が、現世の地位を利用して、死後も極楽浄土の蓮の上で安楽な生活が保証されているとしたら、神も仏もない。まあ、現実に神も仏もないのかも知れない。

まあ、そんな失望感が胸を過るが、酸いも辛いもの知り尽くした一般庶民が物申し立ち上がらないのも可笑しな話で、そんな為体な連中が未だに失業せずに、平均給与2千万を下らぬ高給取りであり続けることも不思議と言えば不思議である。

少なくとも高給取りに恥じないジャーナリズムを展開してもらいたいものである。とにかく、最近の新聞の紙面を見れば、オリンピックもあると思うが、スポーツや芸能や癒しや健康、グルメやファッションばかりで、政治や経済や金融に至っては、海外のウェブサイトにあるような報道は皆無であり、正に日本の報道は意図的にガラパゴス化されているとしか思えない。

まあ、誰もが食べていかねばならぬ事情は分かるが、少なくとも世界や社会の真実を正しい知見によって偏りなく伝えてほしいと思う。

まあ、電波が途切れれば、全てご破算ではあまりにも寂しいし、お金は残っても、とてもプライドは持てない仕事になってしまう。

まあ、結論を言えば、何を信じるかの問題であるが、お金を信じるのか、人との絆や信頼を信じるのか、神仏の存在を信じるのか、それこそカラスの勝手だが、生まれながらにして持つ良心と邪心の狭間の中で、少なくとも日本人としてのプライドを捨ててはならないと思う。

如何に出世しても、その地位や身分に相応し恥じぬ仕事をしてこそ職責を全うしたことになる訳で、処世術に長けてお金や地位を得ても、それは売国奴や守銭奴に通じる行為であり、仕事に対するプライドも己の存在意義も見失ってしまうのではないだろか。

そんな訳で、激動と前途多難な年明けに、その重責にある日本の官僚エリートを始め、社会の中枢に働くインテリエリートらのご活躍に心から期待したいと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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