断捨離とは単に物を捨てることではない。物を手放すことに始まり、時には自分の心や身体さえ、自分のものではないと言う境地に至ることで、全て借り物、我に非ざる、つまり非我なる自分に至ることにある。
当然にして、生きている限り欲望は尽きない。だから、湧き上がる想いを捨て去るのではなく手放すことで、心の平安や安らぎを得るしかない。
簡単に言えば、自分を信じて頑張る中にも、時には気前よく諦める心を持つことで、その極意は「宵越しの金は持たない」江戸っ子の気風にある。
まあ、人生はその失敗の数だけ楽しい訳で、目標を持って頑張ることも大切だが、諦めるときは気前よく、想いを手放せる勇気を持つことが、日々日常を楽しく気楽に生きる秘訣ではないかと思う。
もっとも、世の中はよくしたもので、捨てれば何かしら代わりのものが現れる訳で、正にお釈迦様の言われる通り「物事に執着」する必要はない。
そんな訳で、成人の日も終われば、冬の寒さも節分に向かって増すばかり、昨年の節分に、大学合格祈願の絵馬やお礼参りの人で賑わう湯島に梅を観に行ったことが昨日のことのようである。寒い日でLINEの文字が打てずに電話に切り替えたのを思い出す。ネギの匂いに誘われて駅前の立ち食い蕎麦の美味しかったことが忘れられない。
つくづく、全てに感謝したいと思う。