貧困

ひと頃、コラボレーション(collaboration)と言う言葉が頻繁に使われたが、異なる分野や部門を超えて、人や団体が協力して事業を企画し運営していく上で、結構都合のいい言葉で、ちょっと違うかなと思っても、コラボなどと説明されると、何となく納得してしまうところがある。

確かに分野や部門を越えてコラボすると、既存のジャンルの垣根が突破われるので、新しい発想から、今までにないものが生まれてくることは間違いないが、それも程度問題で、よくよく拝見すると、何か中途半端なものに仕上がっているものもある。

私は古い人間だから、多少高くついても「餅屋は餅屋、餅屋の専門性」を信じて、ことに対処しているが、最近は技術革新の急速な進展から規制緩和や撤廃が進み、多くの分野で専門性が失われ確たるテリトリーがなくなったのか、電力事業への異業種参入など、俗に言う専門性とかギミックを売りにする業種が少なくなってきたように思う。

まあ、世間全般が「何処を切っても金太郎あめ」になってしまい、卑近な例を上げれば、再開発された都心のグルメスポットなどは、最初は物珍しかったが、客引き用に洗練された店造りも次第に何処に行ってもみんな同じように見えてきて、今では全く興味が薄れ時には嫌気がさす。

そんな感覚は、ネットを通して多くの情報が行き交い、いろんなものが洗練され、こなれて、より良いものに仕上がっていく一方、良くも悪くも横並びに平準化されてしまい、粗削りなローカルな持ち味がなくなってしまうからではないかと思う。

また、私達の関係においても、極めてローカルなものであり、知り合えばお互いに掛け替えのない存在でありたいと願うし、ある意味、絶対的な信用と信頼に裏打ちされた関係性を心の奥底で願っている訳で、時にそれがしがらみとなりリスクになることも、ご案内の通りである。そんなことから、ホリエモンは「持ち家と結婚は人生最大のリスクである」と言っているが、それだけ家庭を持つことが、責任を伴い難しい舵取りが求められることを物語っているようにも思う。

しかし、割に合わないリスクとは言っても、家庭や家族に代わるものがあるかと言えば、微妙ではあるが、やはり家族や同胞を最優先に様々なリスクから身を守り助け合っていくというのが、現世や娑婆の掟ではないかと思う。

そんな視点に立てば、今回の遅きに失する政府の新型コロナウイルスへの対応はどうかと思うし、さらに感染拡大が危惧されるのに、災害用に備蓄してあるマスクや防御服を中国に送ってしまった東京都や兵庫県の判断も、都民や県民の税金で購入したものであることから、腑に落ちないものがある。

まあ、国や民族を超える人権とか人道上とか言われれば、それまでだが、いいことだからと言って、闇雲に良いことにはならない訳で、やはりそこにはそれなりの思慮深さや先見性が求められる。もし、日本でパンデミックになったらどうするのだろう。マスクや防護服を送るのはいいが、それならまず最初に自分の私財を投げ売って買い求めて然るべきではないかと思う。そんなお二人はグローバルリストとしての国際的な評価や名声が欲しいのか分からないが、すべてがお金や売名行為に結びつく世相を排しない限り、今の日本は本来の日本を取り戻せないのではないだろうか。

今や国民の一割が年収180万に満たない生活レベルにまで貧困化が進むと言われる日本の現実は実に嘆かわしいが、果たしてこれから株高やインバウンドで賄いきれるのだろうか。我々団塊の世代が知る貧乏はいいと思うが、今日のような格差のある貧困はいけない。「バカでも頑張らなくても生きられる」そんは幅のある社会でなくでは、私のような馬鹿な人間は行き場を失ってしまう。

つくづく政治の劣化、貧困化を憂う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク