コロナに思う

2018年の日本の食料自給率はカロリーベースで37%と過去最低である。仮に新型コロナウィルスの感染により物流が遮断されたら、品不足から物価が上昇し、特定の食品が食べられなくなる可能性がある。

そもそも私たちの健康は「身土不二」とも言われ、生まれ育った土地の食べものを食べていれば健康でいられると言うが、今日のようなグローバルな時代になるとそうもいかない。簡単に言えば、私達の身体の60%は外国の食べ物で出来上がっており、日本人の寿命が延びても、様々な疾患で苦しめられていることからも、納得できるものがある。

そんなことから、今回の新型コロナウィルスの感染拡大をきっかけに、私達は今の自分の生活を見直す必要があるのかもしれない。

しかし、物流についてはスーパーなどの供給側の事情もあり、また私達の購入志向にもよるから、なかなか改善は難しいと思うが、健康志向と合わせ意識して地産地消の食品を選び購入していくことも必要ではないかと思う。

簡単に言えば、地域農業の復活を図ると言うことだが、少子高齢化が進む中、農家の担い手不足から専業農家は難しく、働き方改革から副業し得る農業政策も期待されるが、誰もが宅地並みに農地を買える政策を取らない限り難しいと思う。

しかし、簡単な家庭菜園でも結構なものが出来るので、いざカオスともなれば、自給自足で難局を乗り越えるノーハウを予め学んでおくことも無駄にはならないのではないだろうか。

そんなわけで、今回のコロナウィルス騒動では、グローバリズムによる国際分業の思わぬ危機に直面した訳で、やはりとんでもない運賃をかけて海外の物を輸入して食べるような生活は一部のブルジョアジーの思考であって、多くはローカルな交わりの中にあることが健康に幸せに生きる秘訣ではないかと思われる。

そんな視点に立てば、グローバリズムによる世界統一国家(NWO)の樹立は、支配層による世界統一奴隷隷属国家の樹立と言えないこともなく、広く庶民の幸せを保障するものではないことが分かる。

まあ、私たちの幸せは、丘に登って見渡せる範囲を統治するギリシャの都市国家くらいがよく、その意味では、明治維新前の日本は藩政による地方自治が営まれていたわけで、今日のような課題や難題を中央と地方で押し付け合い、現実的な問題解決にならない中央集権的な自治体運営は百害あって一理なしといった考えも成り立つ。

馬鹿でも、頑張らなくても生きられる、そんな社会を理想とするなら、グローバル思考や思想は断ち切り、明治維新革命以前の藩政日本に戻るのもいいかも知れない。トランプさんやイギリスのブレグジットに見られるように主権の回復やナショナリズムに戻ることも強ち間違いではないのではないだろうか。

つまり、いくら謳い文句が良くても、世界中でとてつもない格差の拡大が生まれていることは紛れもない事実であり、一部の富裕層やブルジョアジーを合法的に擁護するような体制作りに一般庶民の幸せはないことは明らかである。

誰もが裸で生まれる原点に戻り、利権や利得、地位や名声への欲望から離れ、各自が自らの価値観で差別や偏見から解放されて自由に生きられる社会であってほしいと思うが、所詮人間が絡むと理想と現実のギャップに泣かされることが多く、人間の知性や理性や意志の力に限界を感じる。

さらに、今回の新型コロナウィルスのような殺人生物兵器を作るに至った人間の思考回路は完全に狂っている訳で、物欲と快楽に憑依された哀れな人間の姿を具に見る思いがする。

そんな訳で、楽しみにしていたCP +もオジャンとなり、この分だと春の桜のお花見も自粛しないと命に関わるような雰囲気であるが、こんな時こそ、体調管理に万全を期して免疫力をつけ、感染拡大の一端を担ぐようなことがないようにしたいと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク