「人は想いに生きる」とは、このブログのテーマだが、物理的な3次元の世界に時間を加えた4次元の世界に私たちは生きてはいるが、そんな時間と空間を超えた仮想の5次元らしき世界がスマホの中にある。その意味から私達は既に5次元の世界に暮らしていることになるが、しかし、よくよく考えてみると、スマホがなくても、私たちは万葉の時代から時空を超えて、恋する人に想いを寄せて生きている訳で、虚構や妄想が夢や希望となって今日の文化文明を創り上げたと言っも間違いではない。
さらに時代は、VRやARやMRなど仮想次元への進化が止まらないが、今回のコロナパンデミックによって、その動きはさらに加速され、その先駆けとして、リモートワークやテレワーク、ウェブスタディーやオンライン診療、時差出勤や在宅勤務や在宅学習など、ウェブやオンラインを利用した時空を介して生活する様になりつつある。
これから、こんな生活様式が普及し定着してくると、私たちの生活全てがAIによって管理されるログ社会になっていくものと思われる。
今にネットを介さなければ人を愛せない時代が訪れるかもしれないわけで、そんな状況を先読みして、ネットを介するお見合いサイトが既に誕生している。
そんな文化文明の行く先は、私たちの「色気や食気」と言った原始的な欲求を満たしてくれるものかどうか分からないが、時代はLGBTや小児性愛やDragへと行き過ぎた歪んだ愛(差別や偏見?)の存在も否定できない状況にあることはご案内の通りである。
まあ、それだけ私たちの想いや欲求が不可解かつ不可思議なものと言える訳だが、「飲む、打つ、買う」に始まり、本能を乗り超え理性や精霊の世界へと、さらに詫び、寂(さび)、かろみ(芭蕉の俳諧の理念)に至る「日常の卑近なものへの美意識や世界」へと、想いはひたすら彷徨うばかりだが、そんな日常にふと気づくと晩年を支えてくれた2匹のワンちゃんも既に他界し、残るは18歳になる老齢犬のみである。
お互いオリンピックまで長生きしようと誓った仲だが、延期となればさらにハードルが高くなる。
そんな訳で、3ヶ月に及ぶ自粛生活は、異次元の世界からこれまでの関係性や意識を見直すきっかけになったことは確かで、そんなことから、これからは暫く、スマホに頼らず、卑近な世界を通して異次元の世界に遊んでみようと思う次第である。