信頼

小池百合子都知事の「学歴詐称疑惑」が一部メディアで指摘されているが、渦中にあるエジプトのカイロ大学が「小池氏が1976年に卒業したことを証明する」との声明を発表した。さらに、日本の一部メディアがカイロ大学の卒業証書の信憑(しんぴょう)性に疑問を呈していることについて、「カイロ大学及びカイロ大学の卒業生への名誉棄損であり、看過することができない」と批判しており、エジプトの法令にのっとり、適切な対応策を講じることを検討しているとの警告を発している。

何やら唯ならぬ様相を呈してきたが、都知事選を前に真実は一つ、小池さんが卒業証書を公開すれば済むことである。これまでにも公開しない理由が分からない。

いずれにせよ、真実がきちんと公開されることが前提で、都知事選への都民の1票が決まると思う。

ところで、小池さんも私たち一般庶民もなぜここまで学歴にこだわるのだろうか。それは学歴が持つ権威にあるからで、権威筋が発する言葉や情報に信用と信頼を置くからである。

つまり、学歴が信用と信頼の証になっている訳で、これが嘘となると、最初から「騙しの姿勢」で人や世間と対峙している訳で、仮にそんなことで東京都知事までのし上がったとしたら、まさに権謀術数の天才なわけで、機を見て世間を泳ぐ才能はピカイチと言える。

そんな視点で世間を眺めると、今現在はどこの国の政府もコロナウィルスにたじたじで、都合の悪い事はひた隠しに国民を欺き、何とか国政を維持しているのが現実だから、彼女のそんな数奇な才能に、これから都政を賭けてみるのも面白いかも知れない。

そんな訳で、世間は弱肉強食、利権を貪る欲得の果てに、失脚と台頭を繰り返すだけで、やっていることはいつも同じ、アホらしくて見ていられない。

しかし、そんな中にも真剣に物事を捉え考えて発信している人もいるわけで、いま世界的に政府の嘘やごまかしが直ぐにバレてしまうのは、ネット社会の進展によるもので、これだけ情報化が進んでしまうと、情報を完全に規制し統制するのは難しい。簡単に言えば情報戦、プロパガンダや印象操作の応酬になる訳で、言葉の使い方やイメージが全てを決めると言っても過言ではない。もちろん画像や動画の切り取り方も、イメージ作りに一役も二役も買っている事は言うまでもない。

今や神と崇められるGoogleやFacebookやTwitterも、AIによる情報操作が行われているわけで、真実を伝えるものとは言い難く、そんな印象操作と群衆心理に奔走しているのが、現代社会の実態だと思う。

そんな嘘と虚構、妄想と妄言の外交は、お隣韓国や北朝鮮のお家芸であり、中国やアメリカやロシアだって程度差こそあれ同じである。

しかしながら、嘘は嘘、虚構は虚構に過ぎず、常に騙しの後ろめたさが付き纏う上に、つじつま合わせに、ときには殺人といった犯罪行為などの権謀術数を凝らさなくてはならない訳で、そのエネルギーたるものは凄まじいものがあると思う。

正に知能犯であり、人の弱みにつけ込み、人の不幸の上に自分の幸せを平気で築けるサイコパスといった種類の人間でなくてはできない士業である。

そんな訳で、ちょっとした嘘もすぐ妻にばれてしまう私としては、嘘に嘘を重ねるほど賢くなく、恥をかくのが関の山であるからして、とにかく正直に清貧にして、大自然の波動の中に調和して生きているのが現実である。

初夏を迎え、コロナウィルスも大分落ち着いてきたが、これで終息したわけではない。これから第2波、第3波と変異、重症化、激症化したウィルス感染が起こるかもしれない。そんなウィルスに、人間の嘘が通用すれば越したことはないが、果たしてポストコロナの社会はどんな社会になるのだろう。

少なくとも、「新しい日常」「新しいライフスタイル」といった抽象的な内容の伴わない真実味の乏しい「美辞麗句」に騙されるほど愚かなウィルスではないはずで、やはり、いつの世も真実を語る絆に生きるのが1番だと思う。

そんな思いに、身近な絆を大切に新たな出会いを信じて頑張ろうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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