新たな日常

専業主婦に対する扶養手当や税制面での扶養控除は、家事労働に対する対価だと思うが、女性の社会進出に伴い見直しが進む中、私的には男女性別にかかわらず、働き方の1つとして見直す必要もなかったし、ないように思う。

それは、今回のパンデミックで改めて感じたことで、自粛生活から時間がたっぷりあったので、本格的に家事労働に挑戦してみたが、家事労働は結構重労働で、1日のルーティンワークに組み込むとなると、仕事以上に大変だったからである。

しかし、始めてみると、私は専業主夫に向いているのか、最初は勝手が分からず苦痛だったが、慣れてくると、掃除なども風水や陰陽道などを踏まえると結構面白く楽しいものになった。それに、疲れて頭がモヤモヤした時は、掃除や料理をすると気分転換になって晴れ晴れした気分なるから不思議である。

掃除や料理が根から嫌いなら仕方ないが、小奇麗にして自分の好きなものを作り、美味しく食べることほど楽しい事はないように思う。

まあ、人生は取り越し苦労しても仕方がない。嘘や偽善の世の中だが、そうもこうもしなければ、通っていけない社会であることは確かである。嘘も方便、優しい嘘もなくては生きられない。要するに、キャバクラではないが、楽しく騙してくれるなら、それで良いのである。

それにしても、騙しと悪意の西欧社会に対して、ギリギリなところで誠意と善意を守り抜く日本の社会は、本音と建前が入り乱れ、「本当に疲れる」社会だと思う。しかし、本音と建前を使い分け、ストレスを適当に解消して、過ぎ越さねば身を守れない社会であることは確かで、そんな社会もグローバルの荒波に、新たな分岐点に差し掛かっているように思う。

共稼ぎ子育て世帯は、今日的な成果を拙速に求める社会では余程悠長に構えないとやりきれない仕事を背負っている。時間がゆっくり流れる以前の社会と異なり、結果と成果に急がされる生活環境では、子供と共に情操教育をゆっくり楽しむゆとり等はないような気がする。

そんなことから、私は専ら育爺として、孫娘の遊び役を承っているが、これが実に楽しい。子供の視点で日常が眺められ、幼いパートナーとの日々は新たな気づきや発見の連続である。時代は動いている。いつまでも昔のノスタルジーに浸っていられない。古き良き時代は終わったのである。

そんな訳で、ウィズコロナの時代をどう生きるかが大きな課題だが、やはりコロナそのものが世界基準なので、偽りと偽善を前提に、西洋風の距離感を持って、日本人も自律して生きるようになるのではないだろうか。

まあ、誠意と善意にノスタルジックな思いを抱いている私としては割り切れない気持ちでいっぱいだが、そんな気持ちでは確かに他国の人とは上手く付き合えないかも知れない。

そんな想いに、コロナが示す距離感を指針に、家事労働に勤しみながら新たな日常を手にしていこうと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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