意識

ご案内のように、日々日常の感情や感覚、思考や行動は顕在意識によるものでなく、もっぱら自分で自覚できない潜在意識によるものらしい。

早朝の甲府城址

つまり、自分が自分だと自覚している自分は、実は意識できない潜在意識によって形作られたもので、自覚できる自分は、実は本当の自分(思い込みでない客観的な自分)とはかなり違う訳で、その意味において、私たちは実体なき無我なる存在であって、身体の恒常性を維持するため、潜在意識や顕在意識、交感神経や副交感神経などによる連携プレーによって形作られる幻影のようなものかもしれない。

然しながら、少なくとも心身の恒常性を保つには潜在意識が大きく関わっていることから、仮に思い込みの自我であっても、自分は存在する訳だから、無我なる存在と言うより非我なる存在と言った方が、私的には的を得ているような気がする。

それに、私達が神の創造物であったとしても、与えられたタレントを駆使して自由に生きられる訳だから、少なくとも己の存在の証として、非我なる存在くらいは肯定したい。

そんな中、先日人間の意識のあり様を研究し、将来AIに埋め込む研究が進められていることを知ったが、正にそうなれば完全に私たちはAIの管理下に置かれてしまう。

まあ、複雑多岐にわたる私たちの精神構造を反映したものができるかどうか疑問だが、少なくとも私たちが日々日常の食べ物や生活環境によって大きく健康状態や寿命が左右されることからも、まんざら不可能でもないような気がする。

事実、私たちは、日々摂取する食事からビタミンやミネラル、酵素や補酵素、糖質や脂質やタンパク質などの栄養素から、体内で血液やホルモンを作り出し、副交感神経によって体温や血流や血圧の調整を行って巧みに身体の恒常性を維持している訳で、生命体を1日でも1秒でも延命しようとする営みは、ある意味において、常に異性との交わりも求めているわけで、その意味からして、今日的な社会制度やシステム、婚姻関係に拘り過ぎるのも前時代的なものと解される。言い換えれば、今日的な社会制度やシステムに、私たちの生理機能や精神構造はもはや完全にマッチしていないのである。

しかしながら、私たちは宗教や倫理の力を借りるまでもなく、肉体を超えた精神活動によって支えられている部分もあり、本能や野生だけに生きられる存在でもない。

そんな訳で、とにかく、心身の恒常性を維持するには、肉体的にも精神的にもかなり難しく、体温や血流や血圧の調整から、様々な外敵から身を守る認知活動や日々の思考や判断は、顕在意識や潜在意識、交感神経や副交感神経の巧みなリレーによってなされており、さらに、何事も物事には計り知れない要素が複雑に絡み合っていることからすれば、「5分をもつて最善とすべし」と言う家康の言葉には深みがある。

そんな訳で、先週は妻の菩提寺に墓参したが、今週は私の実家の菩提寺にお墓参りして、今年のお盆は田舎でゆっくり静かな祈りの時を持とうと思う。

すべてに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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