信仰?

お月様が見えます

信仰の本質は、何か願いごとが叶うとか、思いがけない幸せに巡り会ったとか言ったことでなく、心の平安が得られるところにあると思うが、信仰に立てば、神様から贈り物が得られるとか、良いことが次々の起こるなどと言った世俗的な信仰を得々と書き綴っている教会のブログがあるが、分り易いとは言えば分かり易いが、どうかと思う。

これまでも、ご当人は公園の銀杏を拾い集めては「神様の愛とご意志の賜物」と痛く感動しているが、指導者がそんな視点で信仰を捉えているとしたら、怖いものがある。

そんな中、今朝は昨日の台風10号の影響で幾分湿ったいつもの散歩道を歩いていくと、雨傘がフェンスにブル下がっている。多分の昨日の雨で急遽買い求めたビニール傘だと思うが、安物だから捨てていったのか、それとも置き忘れたのか、成り行きは分からないが、とにかくフェンスにブル下がっている。駅構内に近い場所なので届けてやればよかったが、時間も惜しかったので、そのままスルーしてしまった。

しかし、もし仮にその時突然の雨に遭遇したら、濡れ手に粟と、ちょと拝借してその場を切り抜けることもあり得る。そのような思いも寄らない出来事に、信仰のご利益を感じる手合いが、前述のブローガーの感覚ではないかと思う。

しかしながら、ここで暫く考えてみると、そんな落とし物にも、日本人は外国人と違って霊魂が宿ると思っているから、躊躇せずにそう簡単に拝借する人は多くないのではないだろうか。しかし、その一方、最近は日本人もグローバル化し、自転車などはカギを掛け忘れると、十中八九盗難の憂き目に会うから、道端の自転車も乗れるなら前述の銀杏と同じ感覚で拝借する人も多くなってきたのかもしれない。

それにしても、仮にもしその物に霊魂が宿っているとしたら、それこそその霊魂を引き継ぐことになるから、迂闊にものに触れることも考えものである。つまり、物には物たら占める原因や目的や作者の意図、設置者や所有者の想いが宿っている訳で、仮に大切にしているものを盗んだとしたら、元の所有者の想いが込められていることから、かなりヤバイことになるのではないだろうか。

そんなことから、とにかく謂れなきものには関与しない、受け取らないと言うのが一番で、ビジネスや政界での様々な形での接待ややり取りは、高官や重要人物になればなるほどリスクが高くなり、ハニートラップの様相を呈するものと思う。

まあ、利権と権力の娑婆だから仕方ないと言えば仕方ないが、膨れ上がって制御不能となった今の日本の社会システムも戦争などによる終結を迎えるよりコロナのお蔭で急ブレーキがかかり、視点を変えれば、戦争による終結より、犠牲者も少なくて良かったのではないかと思う。

一説に、戦争によって魂の浄化が図られると言った「人間の生命を軽視した不遜な思想」もあるが、そんなことを言う奴ほど、世俗の欲得に侵され、寡欲に生きる知恵を忘れてしまった連中であり、思い上がりも甚だしい。

そんな訳で、ポスト安倍の総裁選も、政府筋の利権に群がる利権屋の悪あがきにしか見えないが、聞けばパソナの竹中平蔵の名前もちらつき、本当に欲の皮が突っ張った連中ばかりで、彼らの欲得への執着は留目を知らない。まあ、MT理論や自慢の経済政策がコロナにどれだけ通用するか見物だが、大掛かりな事業資産を有する大企業ほどコロナの影響を真面に食らい危ないらしい。聞けばそろそろ日本の商社も解体に転じるようで、大手企業ほどコロナの打撃は大きいようである。

まあ、コスト削減とマネーゲームに現を抜かし、モノづくりや技術開発や研究への教育投資を怠ったつけが回りに回ってきた訳で、このコロナ旋風にどの業界も組織も人材不足で進むべき方向性を見失っているが現実である。

秋に向かい9月からのマイナポイントも景気浮揚の一翼を担う施策だが、国の施策としては何処かのスーパーのマーケティングのような感じで心許ない。もっと長い視点で持続可能な政策や対策を講じていくべきだと思うが、その知恵も知識もないのが悲しい。

そんな訳で、今日は何やら夏日がぶり返し熱中症対策に追われそうである。一難さればまた一難、コロナと共に秋の台風や地震や津波など、本当今の日本は疲れる、安らぎがない。そんな想いに、來るべくお彼岸のお月見団子を楽しみに、コロナ対策を万全に、健康管理に努めていこうと思う次第である。

 

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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