見え透いたお世辞や必要以上の謙遜をしていては、良好な人間関係は築けない。
なぜなら、それは本音や本心で相手に接していないからで、そんな人に誰が心を開き親しく接してくれる訳がない。さらに、お世辞は相手を認め尊重することにならないし、不必要な謙虚は予め自分の非や失敗に予防線をはるだけで、見方を変えれば失敗を恐れ責任を回避する何ものでもない。要するに、最初から相手に対して、「あなたとは上辺のお付き合いです。」と言っているようなものである。
そんなことから、私はお世辞や不必要な謙遜はしないことにしている。第一思ってもいない褒め言葉を言うのは、相手に対して失礼であり馬鹿にしていることになる。
また、嘘も3回言えば本当になる時代とは言え、嘘をつけば虚構の世界で相手に接することになるから、最終的には自分の嘘で自分が図られることになる。そんな人生の結末は、実に恐ろしいことになる。言い表せぬ寂しさと深い孤独を味わうことになるからである。
年老いて誰もが程度の差こそあれ、深い絶望感や喪失感にさいなまれ寂しい思いをするのは、気づかぬ嘘と虚構の中に生きているからなのである。
いや、自分はそうは思っていなくても、そう信じ込まされているのである。なぜなら、自分の意識をまっさらにして、様々なものを改めて観察してみると、結構いろんなことが根も葉もない思い込みから、良し悪しを判断していることに気づくからである。つまり、常識や風俗や習慣や教育によって、私達は操られ様々なことを思い込まされているのである。
まあ、極論を言えば、いかなることもケースバイケース、よくも悪くもないのである。
そんな想いの中、今日も1日が終わってしまう。寒さに向かう折、コロナウィルスも第三波に突入しており、いつ医療体制が崩壊するかわからない。ウィルスも変異しているかも知れない。免疫力の低下が著しい高齢者は注意を要する。
とにかく、人様にご迷惑をかけぬよう、ウィルス対策して頑張ろうと思う。
想いは果てしなく尽きることがない。今年のクリスマスや、来春のお正月はどんな風になるのだろう。コロナ禍に負けず、心豊かに平穏無事に過ごせたらいいのだが…
それにしても、やはりacid jazz は最高だ。今夜はこのノリで乗り切ろうと思う。お休みなさい。