昭和の雰囲気が色濃く残る何もない座敷に1人で座っていると、テレビもなかった時代を思い出す。
灯りも蛍光灯でなくて、傘のついた電球だった。ラジオからは浪曲やアメリカのロカビリーやクラッシックが入り混じり、野球や相撲の実況放送に耳を傾けた。
真冬の日曜の朝は、近所の人が道の真ん中でゴミを燃やして暖を取っている。大人も子供も近所で知らぬ者はいない。皆んな顔もろくに洗わぬ感じで道端に屯ろしていた、そんな昭和が甲府の駅前で展開されていたのだ。
道は砂利道で、雨が降れば水溜まりができ、ゴム長は必須、大きな水溜まりにはアメンボーがいた。今ではお笑いだが、そんな貧しき生活にこそ愛があったのである。
まあ、そんな昭和のノスタルジックに浸っていても意味がないが、アメリカはどうやら政権交代が始まったらしく、バイデン政権下で、いよいよ日本もアメリカと中国の格好の餌となる。
貧乏には耐えられるが、中国ウイグル自治区のように民族殲滅の危機となっては、如何に敗戦国とは言っても悲し過ぎる。
そうでなくとも、日本は世界の大実験国であり、種子法が改正されF1作物や添加物フリー、薬害と遺伝子操作食品や様々なワクチン投与から不妊症が増え、愚民化教育によって民族殲滅の危機に瀕している。
まあ、朝から不吉な想いが込み上げてくるが、それはそれとして、その頃の想いを辿れば、ただひたすら家族の団欒が欲しかったように思う。
コタツに座り、みかんと落花生ときっぽしに多分私の原点がある。残された日々は、そんな風に過ごせたら幸せである。
時代の流れは止められない。すべてに感謝したい。