昨日、たいして重いものも持たないのに、腰痛が再燃した。これまでの2度の経験からすると、1週間から10日は動けない。
まあ、一難去ってまた一難。何とかして今回も、災難を小難に、頑張っていこうと思うが動けないのが辛い。
しかし、この半年、コロナ禍の自粛生活から始めた離れの片付けや庭の手入れに伴い、風水や家相を学んだことから、トイレや玄関先の掃除に始まり、鬼門封じや、敷地が1部道路の突き当たり「路中殺」にあたるので沖縄の守り神雌雄のシーサー「石敢富」を軒先に置いたりしてきたが、多分そのこともあって、この程度の小難に済んだと思うが、反対に単なる迷信と捉えるかでは、雲泥の差がある。
私的には、お釈迦様が戒めている流言迷信は信じないが、それでも気軽にやれるものなら災難避けとして、取り入れてもいいように思う訳で、近年にない3回に亘る腰痛騒ぎにも一定のご利益があったものと考えた方が、精神衛生上いいように思う。
しかし、それにしても、1匹もワンちゃんがいなくなると寂しいものである。今は夫婦二人きり、考えてみれば、結婚して47年、その間、子供が生まれ、文鳥や鶏、うさぎにオカメインコ、4匹のワンちゃんも次から次とやってきたが、いつの間にか、それぞれの道に去っていって、今は誰もいない。
庭に目をやると、オカメインコのウィンディーが外にいるワンちゃんSunday君を「Sunday Sunday…」と呼ぶ声が聞こえるようである。鶏のブラッキーもコケコッコーと近所迷惑になる大声で鳴き、春になると植木の新芽を食べてしまったことが思い起こされる。今となってはそんな困った出来事も懐かしい。
新聞に目を通しても、ろくな記事はなく、上部表向きの言葉ばかりで、人生や生活の機微や真実を語るものは少ない。むげに悲観してもいけないが、ありもしない思ってもいない言葉を語るのもどうかと思うし、結局は何らかの利権に浴していることになる。
まあ、本音を語れば嫌われるし、夫婦仲もうまくいかなくなる。人とすれば、少しは人に気に入られたいし、認められたいし、そんなことの連続で、いつしか自分を見失いそうになるが、改めて自分の人生の目標を見定める必要があるように思う。
そんな訳で、父母やワンちゃんたちに朝1番で挨拶したが、やはり値は値で、奮発して買ったお線香の香りは、いつもの毎日香とは一味違いいい匂いである。
これから、歳を重ねるごとに、体力の衰えや体調不良に悩まされると思うが、それも捉え方1つで穏やかに豊かに過ごせるものと思う。
改めて、すべてに感謝したい。