コロナ自粛から始めたガーデニングやDIY、男の料理も絶好調、メニューも増えた。朝起きてトイレを掃除し、庭を掃き清め花に水をやり、玄関先に手水すると、実に気分がいい。
ところで、今週は週始めから知り合いの水道屋さんが離れの風呂場の解体に一役買ってくれ、くたびれたが充実した1週間だった。
そんなことで、とにかく腹が減ってご飯がうまい。体力もついてきて、腰の不安もなくなつた。やはり人生自分の好きなことをするが1番、食事なども自分が食べたいものをたらふく食べるのが、1番のダイエットである。食べたいものを存分に食べれば、間食もしないし、自分の気持ちも収まる。食べると言う根源的な欲求が満たされることこそ、幸せの第一歩である。
昔読んだダイエット本に、「食べることを楽しみにしない」などといった愚かな記述があったが、実に馬鹿げたアドバイスである。なぜなら人間の本質を知らないアドバイスだからで、自分の根源的な欲求をごまかして、何になると言うのだろう。下手な栄養学など糞食らえ。
人生、食に限らず不安に不安を重ね、嫌なことを続けていれば病気になる。健康不安から食べたいものも食べられないようでは、まさに地獄である。食えなきゃしょうがないが、そうでなければ自分の好きなことで生計を立てるのが1番、嫌いな連中とは適当に距離を置き上辺でつきあい、健康第一に家族や気の合う仲間と楽しくやるのが1番である。
そんな中、今日はもう金曜日、ゴールデンウィークも迫ってきたが、3度目の緊急事態宣言に、今年も巣ごもりのゴールデンウィークになりそうである。オリンピックも無理してやるようで、何が何でも実施したい利権屋の思惑も、ここまでくれば立派である。評価したい。
クーベルタン男爵が唱えたオリンピズム、オリンピック精神は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」と言うものであるが、このコロナ禍で、それが実現できる訳がない。素人目にもリスクが大き過ぎる。
まあ、完全に利権屋ベースになっている訳で、政治家や有識者、マスコミやジャーナリズム、社会のしかるべき地位にいる人たちの「本音を語らぬ」生き様に、今日的な社会の一端がうかがえる。実に愚かである。
そんなわけで、人生は全て成り行き、信じるものも加齢と共になくなってきたが、反対に信じることを捨ててみたら、気持ちも楽になって、全てを受け入れられるようになった。信じることを手放せば、本来の感覚と感性が蘇るからかも知れない。
そんなことから、今日も朝日を浴びて、日々日常の日課に苦楽して、人生の機微を楽しもうと思う次第である。