改めて考えてみるに、目が見えなかったり耳が聞こえなかったりしたら、言葉の意味も力もよく分からないのではないかと思われるが、現実には、手や肌の感覚や匂いや周りの気配を敏感に察知でき、それらの感覚や感性から生きる力をもらえるのではないだろうか。
さらに、深掘りすると、そもそも私たちの目や耳が感知できる範囲は限られており、時には、感知できない波動の方が、現状や未来の予兆を克明に知ることができるのかも知れない。
そんな見えぬ世界の意味や情報は、例えば言語が異なる歌や、極めて抽象的な旋律によって奏でられる音楽などでも感じ取れる訳で、そんな視点からすると、言葉も、音や光と同じ様に、単なる波動ではないかと思う。
そんなことから、言葉の意味や音域や抑揚、漢字のような象形文字などからも、私たちは様々な情報の波動を受けているものと考えられる。
ところで、風水や家相によると、人の出入りが激しい駅や学校などの周囲は、気が乱れて良くないと言うが、確かに個人の持つ気が出入りして、人がたくさん集まれば酸素が不足し炭酸ガスが多く発せられるわけだから、それなりに生活環境に影響があるものと思われる。
さらに、多くの人の前で話をするとか、歌を歌うとかすると緊張するのも、そんな場の空気というか、個々人が発する気によるのではないかと思う。
そんなわけで、日頃どんな言葉に接しているか、どんな音楽に接しているか、どんな色味に接しているかで、つまり、どんな波動に接しているかによって、かなり心身の状況も変わってくるように思う。
そんな思いに、改めて日々日常に接する歌や言葉の意味を、別の視点から捉えてみようと思う。