お彼岸前に想う

今日は離れの屋根を塗ろうと能書きを読み、実際に屋根に上って手順などを確認し、いざ始めようとした矢先、amazonから「ふるい」が届いた。

受け取りに玄関先に回ると、ふるいの柄がダンボール箱の外に飛び出ており、配達員が商品の状態を開封して確認したいと言うので、開封してみたところ、ふるいの木枠に何の損傷もなく、取り越し苦労に終わって良かったのだが、開封したついでに、大きなダンボールの外箱を持ち帰ってくれたので、クレームどころか当方としては有り難千万、配達員さんの機転の利いた計らいに感謝した次第である。

それで、開封したついでに、実際に使ってみると、極めて便利、快適にことが進み大満足、当然にしてペンキ塗りは後まわしにして、午前中は庭の土ふるいに没頭した。

ところで、私たちの身体は、宇宙の塵からできていることは、ご案内のとおりだが、そんな地上の生命リサイクルの舞台が地表面にあることは容易に想像がつく。

だから、悪戯に便利快適を求めて地表面をコンクリや構築物で被ってしまうと、地球と私たちの身体との電子レベルのやりとりが遮断されてしまう訳で、不快感や病の元凶になることは想像に難くない。

だから、都会人が週末に海や川や山に出かけて自然と触れ合うこともよく理解できる。つまり電子レベルで地球との情報交換を行っているわけで、私も黒光りした顔と腕になってしまったが、ガーデニングにはまってから、体調が幾分良くなった気がする。

そんなことで、家を建てる時には地鎮祭は欠かせぬプロセスで、それまで幾多の生命体が生まれ死んでいった霊的な働きを「祓い清め」、一旦精算する手続きが必要になる訳で、単なる儀式や金銭的な問題と捉える人もいるかもしれないが、多くの事象がそれぞれの思惑から成り立っていることからして、お軽るいのではないかと思う。

飛行機も電車もクルマも、私達の想いの結晶であり、想いこそすべて、人は想いに生きているからである。

そんなことで、晩節にして最初で最後の最大の断捨離ができたのは、皮肉にもコロナ自粛によるもので、人生いかなる時も、塞翁が馬、良くも悪くもない。捨てる神があれば助ける神があり、失恋や離婚すれば、新たな出会いが待っている。

そんな訳で、何事も終わらなくては始まらない。過去の遺産や栄光にいくらフォーカスしても、それが戻るハズもなく、戻ったところで、周りが変われば、無声映画のチャプリンのようなチンケな存在になってしまう。

時代は大きく変化している。グローバル化は誰にも止められないし、多くの権威が地に堕ち、生活意識やモノへの価値観が大きく変化した今、自分も庭に住まう虫けらと同じ生命体として、内なる真我に目覚める必要があるのではないだろうか。

形を為すものはすべて過去の遺物、私達の想いは留まることを知らない。それほど、私達は雄大で悠久な存在であり、内なる真我も常に移り変わっている。

そんな想いに、今日も不浄な想いを断ち切り、大自然の営みに歩調をフォーカスして頑張ろうと思う次第である。

この動画にあるように、今を大切にしたいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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