ご案内のように、習い事は発表の場がないとうまくならない。常識である。何事も、人の目にさらすことによって進歩発展するからである。巣ごもりや社会との絆を断ってしまったら、それ以上の進歩発展は望めない。
理由は簡単で、それでは時代の要求が分からず潮流に乗る機会を失うからで、自分の内側を深く内観すると同時に、外側にも広く目を開き、人の意見や考えをよく聞き、自分の意見も述べ、時にはディベートも必要である。
まあ、さらに言えば、平凡な日々日常も戦いであり、1日を生き抜くのも、神から与えられた試練であり辛く厳しいもので、決して労苦を惜しんではならない。
ところで、自民党総裁選も候補者が出揃い、各候補共もあらゆる手練手管を用いて戦いに臨んでいる。この戦いなくして、今の日本に未来はないし、結果は問わず、徹底的に日本の将来未来を語り尽くしてもらいたい。
総裁選は習い事で言えば発表会、その成果と進化で、これからの日本の未来が決まる。
一方、日々日常、戦いばかりでなく、癒しや安らぎも確かに必要ではあるが、その中にあっても、自分に厳しく切磋琢磨し精進することが不可欠で、生活は自我と非我、理性と本能の戦いもであり、その最適化を図ることこそ、人間味溢れる豊かな生活を享受できる秘訣である。
すべてのことに時がある。その時をその旬を見逃さない勘所こそ、その人の真価が問われる訳で、言葉でなく人の行為行動をよく観れば、全てが分かる。
しかしながら、今の日本は、馬鹿正直で絶対の信頼がおけた日本の製品もいつの間にかチャイナ品質に置き換わり、物心共に当てにならない信頼できない社会になってしまったが、そんな世相だから、何か一つくらいは、愚直に馬鹿正直であることも必要かと思う。
知識や知恵が増し加われば、狡賢く苦悩が増し加えられる。振り返れば、駆け引きやビジネストークの現役時代に、多くの時間を費やし馬鹿をみた。権威や権力に縋らねば生きられない社会だが、権威を信じ権力に縋ることほど愚かなことはない。
その場の真実や真理は、寡欲になれば、教えや宗教によることなく、容易に想像がつく。言葉でなく、行為、行動、事実にこそ、真実や真理があるからである。
そんな想いに、今日も身を引き締めて頑張ろうと思う。
今日のブログとは全く関係ないが、千里の道のりも一歩から、今は石ころや瓦や木片が混じっていても、創意工夫して何とかして大地を蘇らせてみたい。人生最後のプロジェクトに今日も頑張ろうと思う次第である。