今日も相変わらず庭の土作り、鍬と熊手とふるいが、今ではスマホやカメラに代わる、私のお気に入りガジェットである。
鍬で土を起こし、熊手で石ころやコンクリや瓦の破片が混じった土を掻き集め、ふるいに掛けて取り除く作業の連続だが、何故か一向に飽きない。多分目に見えて、庭がキレイになっていくからである。
そんな日常の昼食は、定番のコールスローと昨日の残りのチャーハンに、王将の冷凍餃子をやき、ラーメンを半ラーメンに、それに松屋の牛丼の元をチンして、二人して食べたが、身体を使っているせいか、ご飯がやたら美味しい。
そんな食事も、昼も夜も、最近は私がもっぱら用意しているが、レパートリーも増えて、結構楽しい。妻も現役時代のお三度に見切りをつけたのか、手出しをせずに、私に任せっぱなしで、好き勝手にやらせてくれる。食事が終わると、次の献立が話題となり、朝は新聞の折り込みチラシの安売りが、会話の中心になる。
いつしか「食い気」のみになってしまったが、二人だから料理をするものの、一人ならそんな面倒なことはしない。まあ、どちらが先に逝くか分からないが、男性は72.14歳の健康寿命から81.64歳の平均寿命までの10年間は、何らかの病気や障害を患って、好きなものも自由に食べられなくなると言うから、今は最高に幸せな時だと思う。
自分の好きなものを自由に食べられることが、ある意味、健康のバロメーターだから、常にバランスの良い食事を心掛け、体調管理に努めていこうと思う。
それにしても、これから過ごしやすくなるのはいいが、寒さで震える日も間近だと思うとゾッとする。庭の柿もだいぶ色づき、今日は熟した柿が落ちてきた。それで拾って食べてみたが、これがとてつもなく甘くてうまい。目視では20個ぐらい枝にぶら下がっている。この1両日中が収穫の時期かもしれない。高枝切りを何とか手配して、秋の味覚を楽しもうと思う。
恙き秋の味覚に、改めて大自然の素晴らしさを覚える。すべてに感謝したい。
想いの意味を改めて知りたい。なぜなら、良くも悪くも、それが紛れもなく自分だからである。見えざる意識を何としても超えてみたい。想いは果てしなく尽きることがない。その本質を知りたいと思う。