夕刻

人は人に傷つき人に癒される。しかし、高齢ともなれぱ、もはや夢を語っても結末が伺い知れるようになると、世間も良きにつけ悪しきにつけ狭くなって、宜しくない。

しかし、むかし、青島幸男と言う都知事がいて、型ハズレと言うか型破りと言うか、元気ハツラツ物怖じしない「ハッスル婆さん」と言う役柄を面白おかしく演じきっていたが、そんな風に生きても、やはり世間をある程度伺い知ると、寂しさが募る気がする。

芭蕉の句に「物言えば唇寒し秋の風」と言うのがあるが、言葉の力にも限界を感じる私としては、夕刻は寂しさが募る。

まあ、一瞬一瞬を大切に、しかも、これまでの自分をゆっくり振り返る日々日常に、なにものにも代え難い幸せを感じるが、未だに現役を貫いている諸氏諸兄の皆さんには心から敬意を表したい。

貧乏だが必要なものは一応揃っているし、モノやお金に支配される生活から離れ、あればあるなりに、なければないなりに、生きている。まあ、寛容、鷹揚、成り行きそのものの毎日だが、聖路加国際病院の故日野原重明先生のように104歳までとは言わなくても、かなりの高齢に至るまで、現役を貫く人もいる今日、私的には退職し隠居生活をする意味をはかり知るに、その尊さを実感する。

隠居とは言え、日々の出会いや出来事にも、また成り行きとは言っても、それなりの意味やカルマを伺い知る訳で、こんなことは仕事をしていては、如何に天職と言えども、よほど気持ちの切り替えが上手でないと能わぬことである。

そんなことから、今日は離れの屋根をシール材で補修し、ペンキ塗りは無理をせず明日に持ち越した。明日ペンキを塗り終えれば、いよい自作小屋の資材調達から組み立てに取り掛かるつもりだが、アマゾンで購入した高枝切りで二つほど柿を採ってみたが、やはりまだ硬く時期尚早、知り合いの「柿は10月下旬だよ」との言葉どうりである。

しかし、今度の高枝切りは軽くて扱いやすくて気に入った。これなら女性でも充分扱える。

そんな訳で、今日は夕刻に至る1時間ほど、大貫妙子のビデオを観てみたが、窓を赤く染める夕陽がビデオの雰囲気をそれなりに盛り上げてくれ、久々に大貫妙子の世界に遊び楽しかった。

もうしばらくすれば、午後5時ともなれば真っ暗になる。季節の移り変わりの早さには、いつも驚かされるが、今日は親戚から頂いた愛知県半田のうどんを賞味しようと思うが、洗濯こそはしないが、料理とお掃除は私のテリトリーで今ではスッカリ板についた。家事の意味や生活の本質も知り、日々日常の意味と深さを改めて痛感する。

すべてに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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