依存

ある日突然、大海に放り出され、命からがら泳ぎ出したものの、未だに行方知れず、神仏の加護も自我や理性や本能も、依存と執着にバランスを失い、失敗と過ちの中に今は完全なメタ漏れマシーンになってしまい、何とか己の恒常性を頼りに生きてはいるが、これもまた不安と恐れの火種になる。

まあ、人間は生き物である限り我欲我執を棄て切れず、寡欲もまた自己否定に通じるものがある。

過ぎ去れば何事も意味を失う人生である。それならば、時流に従いアンテナを高くして、下手な刷り込みに惑わされず自画自賛、己れの潜在意識に沿って我流に生きることも、幸せを実感する秘訣ではないかと思う。

それにしても、本能も理性も深掘りすれば、その依存性から意味を為さない。誰もが人や食べ物への執着を頼りに生きているのが現実で、深淵な事物事象の法理法則、形而上学的な教理経典もある種の幻想や幻覚の域を脱しない。行き着くところは何事も「鰯の頭も信心から」に行き着くような気がしてならない。

そんな想いが、また新たな恐れや不安を生じる訳で、堂々巡りの中にも楽しくやれればいいと思う。

そんな中、今年も夏至を過ぎれば陽から陰へと、12月の冬至に向かって天変地異が大転換していく訳で、時節時流の変化に目敏く見逃さない自分でありたいと思う。

そんな想いに窓辺に目を転じれば、待望のブルーベリーはヒヨドリの餌さになり、新たな生命の源になってしまったが、バジルはバカみたい豊作大きくなり、乾燥して粉にして保存することにした。茄子やミニトマトは鈴成りに、キュウリや大葉やミョウガやオクラも十分に豊作が期待できる。本命のジャガイモは不測の事態にも役立つ勢いで頼もしい。

そんな中、ウクライナでは東部戦線地域から子供24万人を含む120万人がロシアに強制送還されたと言うが、人間ほど恐ろしいものはない。妻の父親はロシアに抑留され命からがら生還してきた経歴を持つが、「コックリさん」の話しは聞いたものの、その他の話しは聞いたことがない。恐らく話すにはそれなりの覚悟が必要ではなかったかと思われるが、今は既に能わぬことである。

そんな想いに、今週も週末に向け、私利私欲我執と依存を頼りに「宅内パワースポット化」に頑張ろうと思う。実践活動こと正気を保つ術である。すべてに感謝したい。

https://youtube.com/shorts/fw6KTDPFIAc?feature=share

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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