痛み

農作物一つ作るのにもそれなりの時間と手間が掛かるのに、スーパーに行けば遥かに出来映えのいいものが安価に手に入る。

覚めてみれば家庭菜園など馬鹿馬鹿しい、馬鹿阿保がやることである。しかし、それなりの時間と手間が掛かることを机上でなく現実に体験したことは尊い。なぜなら作物を育てる痛みを知ったからである。

大量生産や大量消費の社会では、お金さえ出せばどんなものでも安価に手に入る訳で、そんな社会に「他者の痛み」を知ることは先ず持って困難な訳で、まさに私達の社会は「痛みと感謝」を忘れた社会である。

仮に農作物一つとっても、本来は生産者の時間や手間を軽減し「労役の痛み」を和らげるための農薬や肥料やホルモン剤や遺伝子組み換え技術であったと思うが、それが程度を越して今や健康被害につながっている訳で、まさに「本末転倒」、汚染作物を食べなくては生きられない社会になっている。

さらに、物には適正利潤、適正価格なるものがあると思うが、それを著しく破壊した流通革命やオープン価格なるものは、一見すると私達に幸せをもたらすものに思えるが、やはり度を越せば、価格競争に拍車が掛かり自分で自分の首を締めることになる。

まあ、CD一枚がお米5kより価値あることからしても、もはやお米一粒に「痛み」を覚える人はいない。時代の流れである。

そんな社会において、人の痛みを知り、変化と多様性を理解しろとか言っても、それは単なる処世術を学ぶだけの話しで、相変わらず「今だけ金だけ自分だけ」のバージョンアップに過ぎない。

まあ、人の痛みが分かる振りをして綺麗事を言ってグルメに舌鼓しているのが今の日本のリーダー層であるからして、何とも頼りない話しである。

まあ、技術革新が経済再生復興のカギになることは確かだが、それを使って「人の痛み」が分かる社会に出来るかが課題であり、そこには「富の再配分」を始め、国防や食の安全などの課題をクリアーする知恵が必要不可欠である。

そんなことで、今日は大きく育ったホワイトセージを二周り程大きい鉢に植え直し、庭先のアップルミントを鉢植えにした。赤星病に罹った梨の葉っぱを取り去って薬剤を散布さたりしたが、バジルは今年も絶好調、連日大きくなるので、切り取って笊に並べて乾燥バジルの下ごしらえをした。

まあ、いつかはこの草庵ともお別れ、人生は短い、無駄には過ごせない。意味なき営みとは言え、神仏の慈愛に守られ今あることに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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