尽きない

尽くせぬ想いに、時は残酷である。もう一度会って話をしてみたいと想っても、もう二度と会えない人もいる。打ち解け合い分かり合いたいと想うのは世の常であるが、機会を失えば、その想いは叶わずして永久に葬られてしまう。

想いの多くは、なぜそう想うのか確たる理由や根拠がよく分からない。それは、子供の頃の家庭環境やふとした思い込みから、学校でのいじめや事故や事件に巻き込まれたり病気が原因であったり、家庭や地域の仕来りやしがらみであったり、時には受けた教育による世界観や宗教観や、職場の習わしが原因であったりもする。それに、恋愛や親子間の確執や葛藤や性差によるものかも知れない。

しかも、仮にその原因が特定できたとしても、時の流れに流されて、何の解決にもならないことが多い。つまり、想いは単なる想いつきや想い込みであり、それに時空を超えて彷徨うがゆえに、ある意味、現実からの逃避とも考えられる。言い換えれば、想いは現実に真正面から向き合うことを回避するものかもしれない。

そんな複雑怪奇な人の想いは、極めて抽象的で、とても言葉では言い表せない。表情や仕草は勿論のこと、音楽や踊りや、時にはファッションやアクセサリーやタバコや香水など、数え上げたら切がない。

しかし、そのトータルとも言うべき「その人が持つ独特な雰囲気」は、その人なりの魅力であり欠点でもある。不思議なのは、魅力が魅力に、欠点が欠点に終わらないことで、正に、想いが創り為す人の魅力は「蓼(たで)食う虫も好き好き」なのである。

そんな訳で、どう生きても、その想いの理由や根拠は分からず仕舞いであるが、その一方で、具体的な目標に向かって努力していくことも大切である。まあ、適度に想いを過ぎ越して現実的に生きる知恵もなければ、実りある人生は手にすることが出来ないように想う。

されど、想いは果てしなく尽きることがない。雪降る季節に、クリスマスが真近に迫っている。理由は分からないが、そんな想いに週末は遊んでみようと想うのである。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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