初夏に

すべてまぼろし … 想いは果てしなく尽きることがない。

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すべてに感謝したい…

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テイクアウト

居酒屋チェーンのモンテローザの食事券を頂いたが、 会食する機会もなく期限切れが迫ってきたので、メニューを物色してテイクアウトした。

お店は夕方5時からなので、妻に相談したところ、二つ返事で焼き鳥弁当と明太重ね弁当に決まった。メニューは居酒屋メニューらしくない弁当類が並び、生き残りを掛けた戦略が見え隠れする。それぞれ半分にして食べみたが、ごはんが多くて食べきれなかった。

ところで、最近は何から何までネットで買えるので、コロナ禍でも一向に困らない。ごはん類も、白米から発芽米、お赤飯から鳥ごはんまで、いろいろあって、おかずも、大抵のものはチンすれば容易に食べられる。

こだわれば、 素材から吟味して調理法も考えて食べることになるが、 そんなことは毎回は無理なので、 できたらいいなくらいに考えている。

まあ、食べることばかりが免疫強化につながる訳でもないから、当分はネット通販やテイクアウトを上手に活用して、退屈な自粛生活を乗り切っていこうと思う。

それにしても、この時期に居酒屋とは無縁な私に食事券が回ってくるほど、様々な業種や産業で、新しい取り組みが為されている訳で、私も私なりにへこんでばかりしていないで、新たな発想で新時代を乗り切っていこうと思う。

いずれにせよ、今日は期せずして美味しい居酒屋弁当にありつけてラッキーだった。すべてに感謝したいと思う次第である。

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5月

ベッドに転がり足を高くあげたら、足がつって痛い。それも両足である。これまで夜寝ていて片足がつることはあっても、真っ昼間から両足が麻痺するようなことはなかった。

ちょつと心配だが、午前中に重いものを運んだからかも知れない。

それにしても、新緑の5月ともなれば、心うきうき、じっとしてはいられない。 新たなゲノムにスイッチオンして、頑張ろうと思う。

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信じる者は救われない

世の中すべて成り行き、 必然と偶然が織り成す出来事をどう捉えるかで、その後の日常も変わってくる。

一見、信念を捨てると拠り所を失い不安になりそうだが、いざ捨ててみると気楽そのもの、人生拘るに値しない。談志師匠の言う「人生暇潰し」である。

そんなことで、目を外に転じれば、季節はや初夏に突入、5月の風に鳥たちも勢いづき、枯れ木同然だった山椒や紅葉や柿ノ木もあっという間に芽吹き、 coronavirus もどこ吹く風である。

そんな想いに、今年の初夏も拘りや信念を捨て、その場の風に吹かれてみようと思う。

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心変わり

人類の歴史が嘘と虚構による統治支配の歴史だったとは、いやはや何と言っていいか、権威に騙され信じて犠牲になった同胞のことを思うと言葉を失う。

まあ、世間は所詮「 鰯の頭も信心から…」信じる者は救われるのだろうが、現実を直視すれば、全て成り行き、清濁·真偽もない。要するに、現実が転がっているだけで、「 生き物に餌あり…」ではないが、好きなものが食べられて、その場が凌げればいいように思う。

そんな想いに、春の長雨らしき久々の雨に、なぜかこれまでと違った感覚を覚える。多分コロナ禍によるものだろうが、 自然をロマンティシズムで捉えられなくなってしまったような感じがする。

すべて嘘と虚構となれば、愛することも誓い合うことも、信用も信頼も単なる成り行きになってしまい、そんなものにいつまでも縋ってはいられない。

まあ、 東日本大震災の「 原発神話」が崩れたように、コロナが既存のライフスタイルを大きく変革したように、時代は好む好まざるを問わず、刹那的な諦めを求めている。

そんな想いに、 大自然の営みを真摯に受け止め、 今夜は春の長雨に 付き合っていこうと思う次第である。

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思わぬ出来事

ついに我が家の電気温水器が壊れてしまった。 何せ20年近く使用してきたので無理もない。 それで、 今回は電気でなく都市ガスの給湯器にしてみたが、 実に快適である。

しかし、不要となった電気給湯器の撤去や 老朽化した配管は使えないので、 新たな配管を外壁に取り付けることになり、 思わぬ出費に頭が痛い。

まあ、水回りはお金が掛かっても、毎日使うものだから、しっかりしておかないと不安だし、不便をしてもつまらない。

そんな訳で、先週の金曜から土日を挟んでガスや水道工事に明け暮れ、昨日やっと安心してお風呂に入ることができた。

そんなことで、 もう当分は水漏れやお湯切れに悩まされることもないと思うが、 時が経てばどんなにいいものでも故障したり陳腐化するから、それなりの覚悟や蓄えをしておかないと大変なことになる。改めてお金のありがたさを痛感した。

それにしても、 20年という歳月は、 宅内の配管の内側をあれ程までに腐食するものかと驚いた。赤錆で真っ赤、 温水タンクに至ってはヘドロのような赤錆がびっしり底にこびりついていて驚嘆した。 こんな水で、 毎日顔や身体を洗っていたかと思うと気持ちが悪くなった。 「三尺流れれば水清し」と言うが、やはり、 水はタンクに溜めおきせず、流水を使うに越したことはない。

ところで、 一説によると、コロナ禍にあって在宅勤務が常態化する昨今、 家のリフォームやもうワンランク上の家に住み替えする人が増えているようで、コロナ禍による新たな需要が生まれているらしい。

まあ、 日本人の住宅は一時「うさぎ小屋」 などと揶揄されたが、自宅ほど自分を解き放ち寛げる場はないから、できるだけ広く明るく風通しの良いすっきりした部屋に住まうことが、 無病息災に通じる近道ではないかと思う。

そんな訳で、 離れのお風呂の取り壊しに始まり、 温水設備の入れ替えなど、 水に関わる問題もやっと一段落し、 夢見枕に水害に会わずに済むことになって大満足である。

それにしても、持つべきものは親しき友、電話一本で水漏れや電気設備の不具合など直ぐに気持ちよく駆けつけてくれる。感謝である。

隠居の身ではあるが、 私も彼らに肖って、できることで社会に恩返ししようと思う次第である 。

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感覚と感性

改めて考えみると、目や耳が不自由だったら、言葉やその持つ意味や力を満足に体得できないように思うが、現実には手や指や肌の触感や匂いや周りの気配から、目や耳からと同じように、言葉の意味やその力を得られるのではないかと思う。

さらに、深掘りすると、そもそも私たちの目や耳が感知できる範囲は限られており、時によっては、感知できないものが放つ情報や波動の方が、現状や未来の予兆を色濃く示しているのではないだろうか?

そんな見えぬ世界の情報や意味は、例えば言語が異なる歌や極めて抽象的な旋律によって奏でられる音楽などでも感じ取れる訳で、そんな視点からすると、言葉も音や光と同じ様に、単なる波動だと言える。

そんなことから、言葉の意味や音域や抑揚、漢字のような象形文字などからも、私たちは様々な情報の波動を受けているものと考えられる。

ところで、風水や家相によると、人の出入りが激しい駅や学校などの周囲は、気が乱れて良くないと言うが、確かに個人の持つ気が出入りして、人がたくさん集まれば酸素が不足し炭酸ガスが多く発せられるわけだから、それなりに生活環境に影響があるものと思われる。

さらに、多くの人の前で話をするとか、歌を歌うとかすると緊張するのも、そんな場の空気というか、個々人が発する気によるのではないかと思う。

そんなわけで、日頃どんな言葉に接しているか、どんな音楽に接しているか、どんな色味に接しているかで、さらに、どんな波動を受けているかによって、かなり心身の状況も変わってくるように思う。

そんな思いに、改めて日々日常に接する音楽の意味を考えてみようと思う次第である。

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苦楽

コロナ自粛から始めたガーデニングやDIY、男の料理も絶好調、メニューも増えた。朝起きてトイレを掃除し、庭を掃き清め花に水をやり、玄関先に手水すると、実に気分がいい。

ところで、今週は週始めから知り合いの水道屋さんが離れの風呂場の解体に一役買ってくれ、くたびれたが充実した1週間だった。

そんなことで、とにかく腹が減ってご飯がうまい。体力もついてきて、腰の不安もなくなつた。やはり人生自分の好きなことをするが1番、食事なども自分が食べたいものをたらふく食べるのが、1番のダイエットである。食べたいものを存分に食べれば、間食もしないし、自分の気持ちも収まる。食べると言う根源的な欲求が満たされることこそ、幸せの第一歩である。

昔読んだダイエット本に、「食べることを楽しみにしない」などといった愚かな記述があったが、実に馬鹿げたアドバイスである。なぜなら人間の本質を知らないアドバイスだからで、自分の根源的な欲求をごまかして、何になると言うのだろう。下手な栄養学など糞食らえ。

人生、食に限らず不安に不安を重ね、嫌なことを続けていれば病気になる。健康不安から食べたいものも食べられないようでは、まさに地獄である。食えなきゃしょうがないが、そうでなければ自分の好きなことで生計を立てるのが1番、嫌いな連中とは適当に距離を置き上辺でつきあい、健康第一に家族や気の合う仲間と楽しくやるのが1番である。

そんな中、今日はもう金曜日、ゴールデンウィークも迫ってきたが、3度目の緊急事態宣言に、今年も巣ごもりのゴールデンウィークになりそうである。オリンピックも無理してやるようで、何が何でも実施したい利権屋の思惑も、ここまでくれば立派である。評価したい。

クーベルタン男爵が唱えたオリンピズム、オリンピック精神は「スポーツを通して心身を向上させ、文化・国籍などさまざまな違いを乗り越え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって、平和でよりよい世界の実現に貢献すること」と言うものであるが、このコロナ禍で、それが実現できる訳がない。素人目にもリスクが大き過ぎると思う。

まあ、完全に利権屋ベースになっている訳で、政治家や有識者、マスコミやジャーナリズム、社会のしかるべき地位にいる人たちの「本音を語らぬ」生き様に、今日的な社会の一端がうかがえる。実に愚かである。

そんなわけで、人生は全て成り行き、信じるものも加齢と共になくなってきたが、反対に信じることを捨ててみたら、気持ちも楽になって、全てを受け入れられるようになった。信じることを手放せば、本来の感覚と感性が蘇るような気がする。

そんな想いに、今日も朝日を浴びて、日々日常の日課に苦楽して、人生の機微を楽しもうと思う次第である。

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ワクチン

これでも接種しますか? ワクチンパスポートがないと社会生活が制限されるかも知れないが、私は遠慮したい。

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