今日も寒い。何か取っ掛かりがないと動き出せない。困ったものである。昨夜は帰宅が遅かったので疲れたが、就寝前に温めのお風呂にゆっくり入ったのが功を奏して、朝の目覚めは爽快そのものだった。しかし、ゴミ出しや石油ストーブの燃料切れで、外気に晒され身体が冷え切ってしまった。
冷えは大敵と言うから、朝風呂にゆっくり浸かり洗濯物を干したが、薄曇りで午後取り込んだら半乾きなので除湿器をつけて部屋干しした。
それにしても高市片山最恐?コンビには心からエールを贈りたい。巷の自動車走行税の創設もキッパリと否定したのは小気味いい。保身に右往左往する親中媚中属議員とは一線を画するものがある。
そんなことで、今日の昼は残りの食材で焼そばを作り、クリームシチューを温めて食したが、温かくて旨かったので腹一杯食べてしまった。
しかし、こう寒くなると菜園は昼の暖かい時を狙って頑張るしかない。しかし、その頃になると昼寝になるから始末に悪い。終活に向けてやり始めたデジタルデトックスも何時になったら終わるやら、一代奮起して腰を据えなくては終わりそうもない。
そんなことで、掘炬燵に座れば、その心地よさに浅い眠りの自分がいる。そんな日常に現役時代を振り返ると、如何に世間体を気にして愚かなことに労力を使っていたことがよく分かる。内なる自分に問えば、すべてに満たされているのに愚かである。マズローの自己実現も他者の評価や世間体、今流行りの承認欲求にあるとすれば、実に愚かである。そんな意識は棄てるに限る。今はひたすら世間を離れ好き勝手、日頃のご縁とその恩恵に浴する生活にひたすら感謝しかない。
しかし、世の中よくしたもので、ステージが変われば交わる人も変わる。生きる世界が変われば配役が変わり生活が一変する。惰性やマンネリを断ち切るには転居が一番と言われるが、それは住まいが変われば生活空間が変わることから生活意識が変わり、日々の話題が変わるからである。
私的にはコロナ禍による菜園ライフが切欠で、作物を育てることに癒しを感じるようになった。それまでは専らアロマやお香などの癒しアイテムや音楽や写真、文化芸術や神仏への帰依や信仰、他者との交わりを通して癒しは得られるものと思っていたが、その本質を深掘りすると、それらは単なる他者依存に過ぎないような気がする。
石川啄木の短歌に「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻とたしなむ」と言うのがあるが、花を買い来て癒しを得ることはステキだが、それは本当の癒しとは違う気がする。
敢えて言えば、ある種のドーパミン的な癒しに思える訳で、ペットを可愛がったり花や作物を育てたりする時の幸福感や癒しの感覚とはちょっと違う気がする。脳機能の観点からすると本当の癒しとは、何かを見守ることや育てることで分泌される幸せホルモン「オキシトシンやセロトニン」による癒しと言うか、他者への依存や支配から離れ、利他的な献身によって得られる幸福感が真の癒しではないかと思う。
簡単に言えば、何かに奉仕することや優しく見守る無償の愛と言ったものから得られるのが本当の癒しで、特に意識しなくても、女性は子供やペットの世話をしたり、花を育てたりして、また男性は社会や家族のために献身的な努力をして、幸せを実感している。
まあ、長々書いてしまったが、いずれにせよ日々日常、癒しや安らぎを求めて人は彷徨い続けているわけで、人生は寂しく儚い中にも、身を投げ出せばそれなりの癒しや安らぎが得られるものと思う。
そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。
https://youtube.com/shorts/BE2bGkWqU8M?si=Kp3UwYr7RzChG-QK
今日的な課題を抱えながらも高市さんは頑張っている。幾重にもエールを贈りたい。