寒さに想う

急に寒くなって、夕刻に向かう今の気温は17°C、ウッカリすると風邪をひく。身体を冷やすと免疫が下がると言うから注意したい。

こんな雨模様のお天気でなければ、自作小屋の実測に取り掛かろうと思っていたが、図らずして延期、途中日が差してきた時は、家の中に長くはいられないので、バーナーで草焼きでもしようかと思ったが、その矢先に雨がぱらつき、出鼻を挫かれた。

しかし、最近はすっかりアウトドア派になってしまい、家の中に長くいられない。特に長く座っているとモヤモヤしてくるので、裏庭に出て鋤きで土起こしでもすると、気分が晴れ晴れして調子が良くなる。

今の自分は、座る仕事は完全にNG、立ち仕事の方が疲れない。もともと、職人肌なのである。

そんなことで、自作小屋の青写真の見直しもそこそこに、何か立ち仕事がしたくなって、家の中を見回したら、別棟に電波を飛ばすWi-Fiルーターが時々途切れると言うので、ルーターの位置を変えることにした。もちろん、途中に中継器を入れているが、別棟とは中庭を挟んでいるので、無理は無理なことは確かである。

そこで、思い切って、部屋の換気扇の窓からルーターをビニール袋に密閉して外に出してみたところ、離れにも届く予想外の結果に、つくづく創意工夫はしてみるものだと、改めて思った。

それで一眠りして今の夕刻を迎えたが、はて、何をして食べようか、こう寒くなると夕食のメニューが浮かばない。とりあえずあったかい味噌汁でも作ってみようと思う。

そんな訳で、また明日から1週間が始まる。お勤めの人は、日曜の夕刻は、ちょっと憂鬱ではないかと思う。お金は只ではくれない。

それにしても、職場環境は大切だ。職場や学校は、たまたま乗り合わせた電車の乗客のようなもので、誰とでも仲良く気が合うと言うわけにはいかない。まぁ、極論を言えば、うわべの付き合いと言うことになるが、それだけでは充足されないのが人間で、やはり程度はあっても、自分を理解してくれる人が1人や2人欲しいものである。

しかし、今のご時世そんな贅沢は言っていられない。まぁ、適当に気を抜いて、頑張ってもらいたい。

いずれにしても、いかなる状況にあっても、体力勝負である。食材を厳選して、巷の健康情報に振り回されずに、素直に自分の好きなものを食べて頑張るのが、私の経験則からして1番だと思う。

想いは果てしなく尽きることがない。すべてに感謝して頑張ろうと思う。

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ペンキ塗り

これまで取り組んできたペンキ塗りで多くを学んだ。まず第一に、塗る前の下仕事の大切さで、これを怠ると塗ったペンキで錆が浮き出て、太陽の光や熱や雨風で簡単に剥がれてしまうらしい。

そこで、私は時間がたっぷりあるので、入念に錆を落とし雨漏れしそうなところはシール材で埋め、箒でよく掃いて綺麗にしてから塗ったが、それでも錆が落とし切れない箇所がたくさんあった。とにかく、昭和のあばら家で、力を入れて金属刷毛やヤスリで擦ると穴があいてしまう所もあった。物干しの土台があったところは鍵穴が数ヶ所開いて、解体撤去後はかなり雨漏りしていたと思う。

平屋とは言っても屋根に上がると、それなりに高所で平らではないので、バランスを取るのに苦労した。よく高齢者が転んで大腿骨を骨折して寝た切りになる話しを聞くが、そんなことになったら元も子もない。

そんな臆病神に取り憑かれ、最初は慎重に座って塗っていたが、これが結構キツイ作業で、身体のあちこちが直ぐに痛くなり、合間に何度休憩したか分からない。

さらに、屋根の端っこになると、手が届かないので塗り損じが生じてイライラついた。そこで、長目の棒の先に刷毛をくくりつけ塗ってみたところ、予想が見事に的中して超楽チン、座らずに立って塗れ、塗料も手に持たず平行がとれる場所に置けたので、身体のバランスも取れて、作業能率が格段によくなった。

まあ、何でもやはり経験、実践行動あるのみ、物事は現場主義に徹するのが一番であることを改めて痛感した。

そんな訳で、昨日でペンキ塗りは全て完了、いよいよ今日からは自作小屋の造作に取り組むが、重くて大きい資材の運搬が問題で、ホームセンターが貸し出すトラックで運べるものなのか、慎重に検討しようと思う。

まあ、趣味ですることだから、どうにでもなるのだが、取り敢えず、資材の運搬搬入と土台の水平水準を如何にするかが課題である。

今日はどうやら雨模様なので、外での作業は無理なので、もう一度設計を見直し、部材の調達方法や見積りを再検討しようと思う。

しかし、この高齢になって、解体業者やペンキ屋や大工の真似事をするとは思わなかった。すべてコロナ禍の自粛巣籠もりによるものだが、普段住まう居住空間の大切さを知る切っ掛けになったことは確かで、改めて地方の小都市の魅力を再認識した次第である。

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出会いと別れ

時の流れほど残酷なものはない。過ぎ去ればすべてに意味を失う。すべてが塵と化してしまう現実になす術もない。

なれば、出会いや別れは何を意味するのだろう。改めて生きる意味を問いたい。

想いは果てしなく尽きることがない。今あることに感謝したい。

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カルマ

「撒いた種は刈り取らねばならない。撒かぬ種は生えぬ。」 当たり前のことだが、何方を選ぶかは人それぞれ、自分の遺伝子をこの世に残したければ前者、残したくなければ、後者を選ぶことになる。

まあ、残酷な話しだが、私たち生き物は親の遺伝子をそのままそっくり受け継いで生まれてくるわけで、滅多に「ひょうたんから駒、鳶が鷹を生む」 なんてことにはならない。さらに、年齢が進むにつれ、親に似てくるもので、ワンちゃんが最初はどれもこれも小さくて可愛い仔犬だが、成犬になるにつれ、手足やしっぽが大きく変わり、仔犬の時とは似ても似つか姿になってしまうことはご案内の通りだが、ティーカッププードルやカニンヘンダックが、期待を裏切り、ワンサイズ大きなワンちゃんになってしまった話しなどは、聞くに数多、血統書や信頼できるブリーダーからの譲渡がものを言う事例には、枚挙にいとまがない。

まあ、因果応報、全てがカルマによるものと悟れば、自然と物事の方向性が定まる気がするが、既に生まれた時から、親や祖先の因縁を引き継いでいることからして、人生は不平等極まりなく、受け身と諦めから始まる訳だが、姿見てくれはともかく、よほど大胆に意識改革しない限り、自分なりに生まれ変わりリインカーネーションできないことは、容易に想像がつく。

まあ、巷に、潜在意識の書き換えなどといったスピリチュアルな話もあるが、多分に眉唾的なものがあると思う。

なぜなら、そう簡単に人間は変わらないし、変えられないからで、それでも手っ取り早く変わりたいなら、生活環境をガラッと変えることが最善策ではないかと思う。

部屋の模様替えや転居から始まり、退職、転職、結婚、離婚や別居などいろいろ考えられるが、その中で、最も有効なものは、全く見も知らぬ縁もゆかりもない土地に行って暮らすことである。今までの一切の腐れ縁を完全に断ち切り、新天地で暮らすのが1番手っ取り早く、自分をリインカネーションできると思う。

なぜなら、そうすれば、周りの風景から毎日出会う人から、その地域の生活習慣や伝統や文化など全く生活環境が変わってしまい、今までのことが完全に過去に追いやられ、意識しなくなるからである。まあ、それだけ生活環境が私たちに及ぼす影響は大きい訳で、家族や地域や学校や職場等の人間関係や生活環境の持つ意味は、普段特に意識はしないが、予想を超えるものがある。

変化と多様性、人生それぞれのステージに置いて生きる意味も変わってくることから、もうすぐ結婚50周年金婚式を迎える私達夫婦の関係も正に天然記念物もの、ガラパゴス的な関係ではないかと思われるが、結婚当初の「手鍋下げてもの貧乏暮らし」の時代から、世間の様子も一変し、集団や群れから個性豊かに生きられる今の時代では、お互いの意識や関係性も大きく変容し、良くも悪くも時代に即した関係性に暮らしていることは、何方様も異論がないのではないかと思う。

まあ、人生全て成り行き、難しい事は考えても仕方ない。物事はいろんなカルマが絡み合い、なるようにしかならないし、あえて人に気配り気遣いをしなくても、生きようと思えば生きられる時代でもあるから、余りカルマに振り回されずに、勇気を持っていろんなことにチャレンジしていくのもありだと思う。

いずれにせよ、生活そのものがカルマなので、自分が描くカルマに生きるには、毎日少しずつでもカルマを意識して物事に取り組む必要がある。

平たく言えば、企業経営では費用対効果、PDCAサイクルであるが、そんな手法も、個人の意識や感情や感覚のレベルで応用できるかもしれない。まぁ、効果測定は実感と言うことになるが、私的には理屈より実感を信じて暮らしているが、自分の感覚や感情に素直になれるから、世間の常識や社会通念からすれば変人でも、自分とするとそれなりに楽で快適である。

そんな訳で、今回のコロナ禍が私達の生活に与える影響の大きさは計り知れないが、不登校児が全国で190,000人もいるとなると、学校教育自体も崩壊寸前、何とかしなくては、自分が良くても次世代に命を繋げられない。

また、種苗法や食品管理法や薬事法の改正など、国民市民の生命に直結する規則や法令の見直しや、業界のあり方など、何か庶民目線無視の方向性が垣間見え、食料の輸入や日本の農業は大丈夫なのだろうか不安になる。

まあ、そんな不安から、食糧危機に備え、私は庭の土作りをしているが、ブロッコリーの苗木も紋白蝶の幼虫青虫に散々な目に会い、農作物栽培の現実を思い知ったが、よく考えてみれば紋白蝶や青虫も生きるに必死なわけで、これが自然の摂理、カルマではないかと実感した。

そんな想いに、今日も外での作業に勤しみ、ネットレシピを参考に、買い置きた食材でおいしいものでも作って食べようと思う。

秋は何といっても食欲の秋、残り少ない人生、一食一食を大切に、自分の実感を信じて秋の味覚を堪能しようと思うが、市内の19歳の未成年者が殺人放火をした疑いで逮捕されたが、恨みによるものか単なる物取りか、真相を知りたいと思うが、親鸞の歎異抄にもあるように、その場の成り行き次第では、物取りや殺人もすると言うのが人間の本性だから始末に悪い。

まあ、戦争が魂の浄化などと言った理屈もあるが、生活環境のあり様やご縁のありがたさをつくづく痛感する。自分を映し出す鏡が未だに見つからない私としては、とにかくお天道様に恥じない生活だけは死守したいと思う。

すべてに感謝する次第である。

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行動

「努力するものは夢を語り、怠けるものは不満を語る」とは井上靖の名言だが、確かに不平、不満、愚痴、泣言ばかり溢していると、夢や希望から遠のくし、実際に実践し行動しない限り夢や希望は生まれない。まずは行動し実践すれば、過ちや失敗から苦しみや悲しみもあるが、その数だけ喜びや楽しみもあるから、日々日常が豊かになり実りある毎日が送れると思う。

しかし、頭の良い人にありがちだが、考えてばかりいて行動しない人は、功利主義的な発想から、欲得や利得にばかり目敏くなって、それに今日的な物質至上主義や貨幣経済システムの功罪が加わると、益々思考オンリーになって、さらに所詮人生は限られた資源を奪い合う椅子取りゲームみたいなところもあるから、臆病神や貧乏神に取り憑かれ、多くのチャンスを見過ごし、不安や不信や恐ればかりが募って、陰鬱な日々を送ることになるのではないだろうか。

まあ、同じことをしても、損得抜きでするのとしないとでは雲泥の差があり、毎日を楽しく喜びを持って生きるには、必要以上の利得は百害あって一利なしである。

時には、敢えて「ダメ元覚悟」で挑戦してみるのも楽しいもので、うまくいくと喜びが半端じゃない。

まあ、損得を離れれば、それこそ、楽しいことがこの世にはいっぱいあり、何から手をつけていいか分からないほど人生は豊かである。しかし、そこに、ひとたび利得や効率と言った損得勘定を持ち込むと、すべてが金銭価値に換算されてしまい、まるでバーゲンセールの食材や食品で腹を満たすように、根源的な興味や楽しみや喜びが削がれてしまうから不思議である。

また、人生は食べ物と一緒で「旬」が第一、必要な時に必要なものが満たされてこそ、本当の楽しみや喜びを知る訳で、その日の体調や感情に素直になって、周りの生活環境と一体となって生活することが、そんな豊かな生活を支える秘訣ではないかと思う。なぜなら、私達の生命活動は、周囲の空気や明るさや湿気や匂いなどと密接に関係しているからである。皮肉にも現代人はそんな大切なことを忘れ、常識や社会通念や人の意向や評価を第一に生活している訳で、頭のいい人ほど、臨場感の薄い妄想や虚構に取り憑かれて生きている気がする。

仮に食材を例に上げると、旬のものは物がよく安くて美味しいし、先日も椎茸を和風に炒めて食べたが、カミさんからリクエストが来るほど好評だった。正に作り手冥利に尽きる訳で、旬の食材をいっぱい使って、いろんな料理に挑戦したくなる。つまり、夢や希望が生まれ、目標が一つ生まれることになる。

まあ、欲得や利得に目敏いオバタリアン的な発想や世俗の価値基準や世界観を捨て、もっと素直になって自分や世間は眺めれば、路端に咲く1輪の花のように、凛とした自尊自立の存在になれるような気がするのである。

そんな想いの中、今日は雨だったので、料理と部屋の片付けに終始し、厳しい冬の寒さに備え、電気毛布や電気ヒーターなどの暖房器具の整備をした。

想いは果てしなく尽きることがない。10月も既に中旬、時の流れに唖然とする現実に、ゆっくりゆったりと自分の半生を振り返る幸せに、感謝しかない。

階下に裏庭越しに見下ろせば、離れの屋根も昭和の荒屋にしてはそれなり綺麗に見え、我ながら大満足、シール材入りのペンキは塗り難かったが、苦労した甲斐があった。高所の壁面はいろいろ考えあぐねた結果、長目の棒に刷毛を巻き付け脚立に跨り塗っている光景は、物見珍しさから、通りすがりの近所の奥さん方との会話も盛り上がり、晩節の楽しい想い出話しとして記憶に刻まれた。

過ぎ去ればすべてに意味を失う儚さは、死によって完遂する。果てしない想いに、いま此処にあることを心から感謝したい。

それにしても、愛は幻想かも知れないが、永遠の憧れ、夢、希望である。生命ある限り、その意味を問い続けていこうと思う。

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生活

早朝からカラスが鳴いている。窓からの冷気が甘いキンモクセイの香りを運んでくる。今日も1日が始まる。時折りワンチャンの鳴き声も聞こえるが、もうしばらくして6時になるとお寺の鐘が鳴る。

時折、風向きによっては電車の走る音も聞こえることがある。表通りを走る車やバイクのエンジン音もそれなりだが、新聞配達が4時ごろ表の家の新聞受けに新聞を入れにくる。私の部屋は表通りから奥まった別棟の2階なので、それほど騒音は気にならないが、世間にはさまざまな生活音があるのを、改めて離れのペンキ塗りで知った。

クルマやバイクの走る音、人の足音や話し声は言うに及ばず、宅配の荷物の上げ下げや隣家のテレビやラジオの音、都市ガスや道路工事や何やら叩いている音、パンや焼芋などの物売りや廃品回収車や町内や行政の広報放送やら、一日の終業を知らせる学校や行政のテーマミュージックなど、結構いろんな生活音がしている。

まあ、何かしら活動すれば音が出るのは当たり前だが、そんなことに何か意味を持たせて「カラスが鳴くのは不吉だ」なんて言ったりして、人間とは本当に始末の悪い生き物である。

まあ、それだけ警戒心や不安感を持って、外敵への備えを常にして生きていることになるが、基本的に不安や恐れを基調として、物事の生活設計をすると、ろくな人生にならない訳で、ある程度割り切って、自分の思うことをしていかないと、幸せになれないと思う。

ところで、アメリカ国籍で90歳になる日本の気象学者 真鍋淑郎氏に、今年のノーベル物理学賞が授与されるようだが、先生曰く、「日本の社会は他人への配慮が先行して住みにくい」と言うが、確かに何かしら周りを気にして生きているのが日本人で、yesノーがはっきり言えないのが日本人だと思う。

相手のことを思いやって、自分を差し控えたり優しい嘘をつくのも、その場を取り繕うには良いかもしれないが、そんなことが繰り返される社会は、本音と建前が入り乱れ、結局は本質を失う社会になると思う。

それぞれの立場を明確にして、差別や偏見のない社会を目指すべきで、その意味において、若い人たちは勇気を持って、社会に立ち向かってほしいと思う。

時代は大きく変化しており、私たちの未来は決して暗くはない。変化と多様性に生きなければ取り残される時代が直ぐそこまで来ている。他者への配慮も必要だが、自分を偽ってまでも気配りする必要はない。お互いの違いを認め合い、変化と多様性に生きることにこそ、私たちの未来があり発展がある。

そんな想いに、今日も1日自由を満喫して、生きる意味を確かめようと思う。すべてに感謝したい。

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続ペンキ塗り

今日は朝から頑張ったので、屋根のペンキ塗りも粗方8割を塗り終え、明日には屋根上の焼き鳥老人から解放される。とにかく、ペンキが手や腕にくっついて、ケロイドみたいで気持ちが悪い。

軍手からビニールの手袋に替えてみたが、軍手以上にペンキが張り付いて勝手が悪く、直ぐに軍手に戻したが、やはり何回も使い回ししていたので、時々指が互いに張り付いて、イラついた。明日は最終日、千秋楽なので、新しいのに替えて、塗り終えたい。

とにかく、このところ毎日、午前中はいつも屋根の上で作業しているので、流石に近隣の人も気になるようで、毎日何かと話し掛けられる。今日は町内の3人から話しかけられ、その奮闘ぶりを褒められた。まあ、好きでやっているとは言え、毎日の悪戦苦闘ぶりをそれなりに褒めてもらえば、年甲斐もなく悪い気はしないが、それより、人は見ていないようで、よく観ているもので、近所の若夫婦が不仲などと言った陰口も、何処からともなく聞こえてくるのも納得できる。

ところで、新コロパンデミックも、このところ新たな感染者が激減し、緊急事態宣言解除を受け、先行きも明るくなってきたことから、一気に旅行やグルメなどの需要が盛り返してきたようで、喜ばしい。

その一方、アメリカ経済は近年にないインフレに見舞われているようで、日本でも日用品の値上げが目につくが、異次元の金融緩和策からハイパーインフレへの懸念が払拭されないところに不安が残る。

いずれにせよ、ばら撒かれたお金は株式や不動産に投資され、バブルが崩壊すれば、お金持ちが元手を失うだけの話だから、私のような貧乏暮らしには関係ない。しかし、お隣韓国では、雇用環境の悪化から、若者がこぞってキャッシングしてFXやウォン買いに投資(投機)しているようで、先行きが思いやられる。

以前、CD 1枚がお米10キロに相当することに、今日的な価値観を垣間見たが、今ではゲームやネットビジネスにその場を奪われ、もはや「汗水垂らして頑張り通す…勤労奉仕」などといった言葉は死語に近い。

まあ、ペンキ塗りの労務単価は13,400円/1日であるが、私的には株取引よりペンキ稼業の方が、ストレスもなく性に合うが、時折り足元がふらつくようでは務まらない。

そんな訳で、大きく膨らんだ金融経済の先行き不安も気にはなるが、今こそ、米中二大超大国の狭間にあって、日本の超エリート集団の力が試される訳で、その責務は重い。私的には日本は超少子高齢・人口減少社会にあるから、高齢者が働きながら亡くなっていけば、相続税もそれなりに取れるので、それなりにソフトランディングできるのではないかと、甘い観測にある。

まあ、これからの人口減少社会は、無理は禁物、必要なものは一応揃っているし、無理して成長する意味もない。そもそも人間の生活は、完全なる消費であるからして、必要以上の経済成長しても、百害あって一利なしである。

物事の道理を極めることは大切だが、それをいたずらに応用して、自らの生活を破綻に導くような行為は差し控えるべきで、技術革新(イノベーション)による経済成長などと言った経済対策は過去の遺産、大量生産大量消費に歯止めがかかる人口減少社会においては、既に時代遅れオワコンである。

今は不便を楽しむレトロな生活の方が、生活心理に合っているし、若者が休日にキャンプを楽しむのも、モノが溢れモノに支配される生活へのアンチテーゼであり、生命の絆を模索するバイオフィリア時代の幕開けかもしれない。

そんな訳で、今日も1日ペンキ屋さんの稼ぎはないが、天地はそれなりに、真っ黒に日焼けした顔と太くなった腕と丈夫な足腰を授けてくれた訳で、つくづくカルマの意味を痛感する。

今日も1日が終わる。おいしいものをたくさん食べて、明日もまた頑張ろうと思う。

それにしても、グローバリゼーションは楽しい。時代は変化と多様性に富んでいる。そんな時代に、新たな視点で挑戦してみたい。

すべてに感謝したい。

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地域文化の再興

やっぱりアメリカである。憧れのアメリカはそれなりに今も健在。それに対して、日本は疫病神に取り憑かれ全く元気がない。

過ぎ去れば全て意味を失う。新たな地域社会の構築を目指して、共に頑張ろう。

さあ、ポストコロナだ。大きく意識を転換して、新たな生活をスタートさせよう。今年の冬は楽しみ倍増、すべてに期待したい。

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平凡

お寺の鐘の音に目が覚めた。曇り日のようだが、雨さえ降らなければ、強い日差しはペンキ塗りには天敵、カンカン照りでは、直ぐに焼き鳥になってしまう。

そんなことから、今日も無理をせず、慎重かつ手早く、できれば一気に片付けたい。何せペンキはあちこちくっつくし、塗料やハケの後片付けも面倒である。

一昨日、ちょっと離れたホームセンターに単管パイプの下見に行ったが、イチジクの苗木をつい衝動買いしてしまった。この冬は植木鉢に植え替えて養生し、春になっならみかんの苗木と一緒に地に降ろそうと思うが、これで、ブルーベリー、富裕柿と4種の苗木が出揃ったが、できたらザクロとりんごも上手く配置して植えてみたい。

そんなことから、来年の春までには、何とか頑張って土作りを完成させたい。結構広いので大変だが、晩節最初で最後の断捨離再生プロジェクトだから、何とか形にして、いろんな方と今流行りのチェアリングでもしながらお茶でもして、楽しい語らいの場として活用してみたい。

人生は思考や思索も大切だが、正気を保つには考えてばかりしていないで行動することが大切である。Apple Watchが長く座っていると立つことを知らせてくるが、人間は身体を動かすことで心身のバランスが取れ、健全な思考と生活ができるのではないだろうか。

そんな訳で、ここからは午後の昼寝をしてからの話しだが、結局ペンキ塗りは前回の分を合わせて、全体の二分の一くらいしか出来なかった。やはり昼に差し掛かると暑くなるし、無理な姿勢から脚がふらつくようになるので、今回も無理をせずに明日に持ち越した。

遅々として進まず、手もペンキで汚れて薄汚くなってしまい、薄め液でもよく取れないから、明日は軍手でなく、ゴム手袋にしようと思う。

そんなことで、今日もこの時間になると、ガラス窓がセピア色に染まり、時計がなくても夕刻が間近いことが分かる。昼は定番のコールスローにチャーハンと半ラーメンを作って食べたが、夕食は頂いた昨日の半田のうどんをリピートして、サバの味噌煮と鶏肉のソテーにしようと思う。

料理も5時半から始めて概ね6時半まで大体1時間位かかるが、最近は手順もかなりスムーズになり、料理ができる頃には、鍋釜も綺麗に洗って片付け、キッチン周りは水滴もない状態で終わるが、そこにカミさんがつけたしで使うとそれなりになるが、性格や性分はそれなりなので黙っている。

そんな訳で、今日も一日が終わる。とにかくペンキ塗りを早く仕上げ、自作小屋の造作に取り掛かりたい。力仕事は午前中だけにしているから、遅々として進まないが、私の体力では精一杯、疲れも残らない。

バーベルもスクワットもしないが、腕っ節も幾分太くなった気がするし、立ったり座りするのも苦労でなくなった。コロナ自粛でフレイルになりかけたが、4月からの一連の解体作業で、それなりの体力が保持できた。喜びであり感謝しかない。

よくクリスチャンには、祈ってばかりしていて、神様のご計画に期待するだけで、何も自分からしない人がいるが、そんなのダメで、とにかく自分なりに目標を立て、それに向かって努力し精進することが大切で、その過程において神仏の慈悲や加護があると考えるのが、健全な宗教観であって、依存体質を捨て自尊自立の自分を支えてくれるのが神仏の本懐であって、神仏にすべてを委ねてしまっては、単なる宗教組織の奴隷になってしまう。

言葉は難しい。心身疲労の時は全面的な支えが必要となるが、皮肉にも、如何なる時も自分の出来ることに未来を託す勇気と気力と気合いに己を託さない限り、立ち直れない。

何をしてもらえるでなく、何ができるかを真剣に考えることに人生は尽きる。

想いは果てしなく尽きることがない。美味しい鯖の味噌煮を作って、明日の活力にしたい。どうぞ、私の努力が実り楽しい夕食に内に一日が豊かに終わりますよう、心から神仏に願いたいと思う。

すべてに感謝したいと思う。

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香り

そこはかに香る甘い金木犀の香りに、今のすべてがある。優しいけど悲しい寂しい香りだ。

そう言えば、母が亡くなった年も、こんな感じだった。季節は春だったが、庭先にさく木蓮の白い大輪に、すべてが語られていた。

夜明けにはまだ間がある。風がなく何故か鳥の鳴き声も木蓮の葉が擦れる音もしない。不思議だ。いつもなら、表通りを走るクルマやバイクの音も聞こえるのに…

まるで異空間に取り残されたような感覚に、金木犀の甘い香りだけが、まるで私を誘うかのように漂う。

想いは果てしなく尽きることがない。その想いの意味を本質を知りたい。改めて生きる意味を問いたい。

すべてに感謝したい。

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