昆虫食

どんなに栄養価が高くても昆虫食などまっぴらご面倒被りたい。迫りくる大飢饉や食糧難の備えかも知れないが、それより既存の農業政策を改め、農作物の自給率を上げた方がいいように思う。

まあ、昆虫食に限らず、最近の社会の流れには腑に落ちないことばかり、ジェネレーションギャップもあると思うが、仮にLGBTの権利保証についても、同性婚や性自認はさておき、トランス女性の女性トイレ使用となるとちょっと行き過ぎに思う。社会制度や合意によって守られてきた社会秩序の崩壊にもつながり兼ねないからである。全方位に個人の嗜好や特性を解放したら何を仕出かすのか分からないのが人間だからである。

そんな訳で、未だに善悪、真偽を写し出す鏡が見当たらぬ私としては、最近の世間の動向は戸惑うばかりである。それにしても、必ず何事にも何らかの予兆があるから、週明けの金融市場の動向には今後の世界経済の行方が決まるというので注視していこうと思う。

改めて、今あることに感謝したい。

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生活

江戸時代の生活を考えれば、今の生活はパラダイス、贅沢は言えない。すべてに感謝したい。

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金融危機

低所得層向け住宅ローンを証券化し世界中にばら撒いき経営破綻した米国の大手投資銀行リーマンブラザーズの経営破綻は、長銀などの日本の金融機関の不良債権を炙り出し金融崩壊のトリガーになったことはご案内の通りだが、とにかく金融機関の破綻が社会に及ぼす影響は計り知れないものがある。

そんな貴重な経験が活かし切れなかったのか、米国カリフォルニア州のSVB(シリコンバレーバンク)がアメリカ中央銀行のインフレ抑制策による利上げから、債権投資が目減りして経営破綻に追い込まれた。さらに、NYの暗号資産取引に特化したシグネチャーバンクも取り付け騒ぎが起きて経営破綻したらしいが、FRBが他の金融機関への波及を恐れてか即刻預金保護に乗り出したのには、何か不穏不吉なものを感じる。

まあ、必ず何年かに一度は手替え品替え金融危機が訪れるのは今や既成の事実であるが、そもそも株取引は3倍、商品取引や先物取引は25倍までビバレッジが掛けられこと自体、自体経済を大きく逸脱する行為であって、金融危機が訪れても不思議はない。

さらに、最近は誰もが無担保で気軽にクレジットでき金融経済は膨らむばかり、そんな私達の日常の金銭感覚にも問題があるように思う。言い換えれば、借金で経済を回している訳で、意図も簡単に信用供与されることに問題がある。やはり誰もが「身の程」に知り慎ましく生きることが、社会秩序を健全に保つ秘訣ではないだろうか。

しかし、今や世界はグローバルに繋がっているから、今回もアメリカの自動車ローンに絡む不良債権や危なっかしい暗号資産取引の尻拭いをさせられたら堪ったものではない。凛とした気持ちで関係当局はことに臨んでもらいたい。

それにしても、今日は朝から雨、あいにく外作業は出来ないが、離れにひとり涼しき草庵に安処する生活には何不自由なく不満はない。人生100歳にて未だに現役にて社会奉仕されている方々には申し訳ないが、隠居が許され飛来するヤマガラやメジロらと共に、自らを省みる機会に恵まれ、心から幸せを実感する。

すべてに感謝したい。

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これが日本

もはや精神崩壊、すべてに意味を失う。今あることに感謝したい。

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意味なき営み

何処までも一人… すべてに感謝したい。

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連鎖破綻のメカニズム

借金が需要を生み経済を後押して、引き起こされるインフレによって債務負担が軽減するとは、何ともはや人間の欲を頼りに経済発展するのもいいが、野放しはどうかと思う。

いづれは経済が破綻する訳だが、破綻しても信用供与した銀行は本質的に無傷、信用供与された借り手は不況の煽りから倒産や失業の憂き目に会う訳で、住宅やクルマが差し押さえられることにもなる。

要するに、お金のない奴に借金させて経済を回し、用済みとなれば潰して精算し、新たな経済システムを構築する訳で、ヒラメキョロ目·風見鶏で、うまく立ち回った奴が勝ちとなる破綻ゲームに生き残ることが、今日的な課題である。

まあ、物価高、食糧難、年金不払いなども起こり得る訳で、今は戦時下にあることを想定し、それなりの対策が必要かもしれないが、庶民のできることは知れている。

そんな訳で、今日も1日が終わる。先日撒いたスナップえんどうが発芽してきたが、今日は夏大根の種を撒いた。明日はじゃがいもの苗床を作ろと思う。あれだけ期待した秋じゃがは霜でおじゃん、防寒対策にてを抜いた結果である。この経験を活かし頑張ろうと思う。

すべてに感謝したい。

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衝撃の事実としても…

じゃがいもやさつまいもで食いつないでいけるといいが、畑作を真剣に考えたい。物事すべて行動あるのみ、頑張ろうと思う。

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金融恐慌

ウクライナを舞台に一年間に及ぶ戦争ビジネスではどうやら間に合わなくなったようで、いよいよ金融恐慌が始まりそうである。

それにしても、あれだけ戦争でいろんなものを投入した訳だから、誰かが恐ろしく儲かっているわけで、コロナワクチンにしても然りである。

世界恐慌とは裏腹に、しこたま儲けて我が家の春を満喫している連中もいるはずで、誰かがブラックジョークを引く羽目になる訳だが、とにかく台湾に絡めて戦争に加担しないことが第一、戦争回避を世界中にアピールしていくことが一番である。

日本のジャーナリズムに期待したい。

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お花見

木蓮も負けていません
玄関先の水仙も元気です

今年も我が家は世俗から離れ、草庵にて花木は元気そのもの、 連日畑にやって来るヒヨドリやヤマガラやメジロたちにリンゴやミカンを分け与える日々日常に、幸せを実感する。

東北大震災をして12年、未だに2千人を超える行方不明者がいる現実に「非合理と不条理」の意味を改めて考えてしまう。

未だに行方不明者が2千人を超える現実に、ウラン濃縮や人工地震説が飛び交う世情や、コロナやウクライナ情勢が重なりあって、やるせない想いに憤りを覚える。

然れど、季節は本格的な春に向かってまっしぐら、感傷にばかり浸ってはいられない。持ち得る力を奮い立たせ、悔いなき日々を送ろうと思う。

改めてすべてに感謝したい。

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技術革新

とにかく時の流れが速過ぎて、あっという間に一週間が過ぎてしまい、今日は月曜日、早朝に目が覚めたので、寝巻き姿で失礼してゴミ出ししたが、昨夜の雨で大気が適度に湿っていて実に気持ちがいい。

部屋に戻り、昨夜途中放棄した申告書類を見直ししてパソコンに入力したが、何とか今日中には済ませたい。

それにしても、最近の技術の進歩は半端ではない。スマホが二年も経たぬ内に陳腐化して「ウス呆けたもの」になってしまうように、何から何まで更新の憂き目にあることはご案内のとおり、今まで以上に拘りや執着を捨て、新たな視点に立つ必要がある。

大金を叩いたカメラも、パソコンやスマホに至ってはサポートがなくなったら使い物にならない。先日物置小屋を片付けていたら、エプソンのプリンターが出てきたが、20年以上も前の代物でパソコンに繋いだら、自動的にネットからドライバーがインストールされて稼働状態になったが、インクが詰まってして使い物にならない。それでも、今使っているプリンターより綺麗に保管されていて、殆ど未使用状態で棄てるには気が引ける。Chatgptで問い合わせてみたら、使用インクは生産終了になっているが、代替インクで使用できるとのこと、プリントヘッドを外して掃除すれば使えそうだが、遊びでやるのも楽しいかも知れない。

いずれにせよ、今はネットをググれば、何から何まで最新の情報が手に入るから、小手先の知識は学校や教師に頼ることもない。事実、趣味の畑作やDIYはネット情報を頼りに取り組んでいるが滅多に失敗しない。

まあ、多くの人が拡散された情報を使いこなしさらに情報を拡散するから益々技術革新が進む訳で、一説には今の私達は江戸時代の将軍様より多くの情報に触れているようで、これでは世間がせせこましくなる筈だが、そんな時代だからこそ、何事も執着を棄て、新しいものには素直に向き合い受け入れる姿勢が大切である。

まあ、極端なことを言えば、時代の速さに呼応して、結婚も三度くらいは許容範囲かも知れない。同性婚やバイセクシャルや変わった性癖などはご当人でなくては分からないが、何事も「類は友を呼ぶ」から、それなりに落ち着くところに落ち着く訳で、過去を悔やまず、成り行きに任せて生きるのが、新しい時代を楽しく幸せに生きる秘訣かも知れない。

まあ、拘りや執着は一種の依存でもあるから、依存を断ち切る術を自分なりに持つ必要があるように思う。

そんな訳で、今日も時の流れに、様々な想いから離れ「ヒラメ·キョロ目風見鶏」で時を伺い生きるしかないが、少なくとも「ウクライナやコロナにみる大義名分や主義主張に潜む闇」には、無意識にでも加担したくない。

まあ、時代を読み解けば、世間の闇に益々厭世的になってしまうが、涼しき林野に安処することこそ、心の平安と安楽を手にする秘訣でもあるから、家相風水を手本に身近な生活環境を整え、自宅をパワースポットにするつもりで、頑張ろうと思う。

改めて、すべてに感謝したい。

ところで、今流行りのChatgptは一度でも試してみる価値はある。人工知能の素晴らしさを実感するが、それ以前に私的には自分の感覚や感性を信じたい。

「手術は成功したが…痛みが取れない、患者は死んじゃった」のでは意味がない。技術は重宝しても、やはり物事の決断は己の感覚や感性を信じたいと思う。

すべてに感謝したい。

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