高齢化

都市と地方にかかわらず世帯の単身化と高齢化が進んでいる。国立社会保障・人口問題研究所が19日に発表した将来推計によると、40年には世帯主が65歳以上の「高齢世帯」のうち東京都45%超を筆頭に単身高齢化が進んでおり、すべての都道府県で30%を超え、全国平均では40%に達するらしく、単身高齢化する社会を支える仕組みの再構築が課題と言える。しかし、そもそも単身高齢化する原因を考えてみると、未婚や晩婚や離婚による少子化や単身化が進んでいるからで、戦後の民主教育やマスコミやジャーナリズムによる愚民化の成果と目されるが、いやはや実に情けない状況である。

特に、最近は行き過ぎた個性重視の風潮やプライバシー保護の世相が、核家族化や単身化に拍車を掛け、いつも気忙しく生活にゆとりもないことも、地域コミニティーどころか家族の絆も希薄化し、「兄弟は他人の始まり」どころの話では終わらない、良好な親子関係を維持することも難しい時代を迎えている。

ところで、一昨日の19日に東京の池袋では、高齢者が運転する乗用車が暴走して、自転車に乗っていた母子が亡くなった悲惨な交通事故があったが、運転していた高齢者は元旧通産省の官僚で、大手企業の役員を経て、勲章を受けた80代の男性だというが、街角にこんな危険も潜んでいるものかと、普段利用する街の交差点だけに、高速道路の逆走以上に怖いものを感じた。まあ、東京ではオリンピックを控え、インバウンドとか言って外国からの観光客目当ての社会インフラが整備されているが、地方に行けば何処も彼処も寂れ果て、閑古鳥が鳴いている始末で、統一地方選が終わったとは言え、民主主義の限界を感じてしまう。まあ、5月1日の新元号の発布に期待するしかないが、とにかく私たち市民が当事者意識を持って、過去のことはともかく、私達のあるべき姿を真剣に振り返る時期にあることは確かである。

とは言え、社会は統治者や支配層に何らかの変革がない限り変わらないのが常である。そんな意味からも、9日後の5月の新元号の発布に大いに期待したいと思う。

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文化

文化とは日々の生活そのものを言うのではないだろうか?

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春だ! 街に繰り出そう! 素敵な出会いが待っている。すべてに感謝したいと思う。

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幻想

過ぎ去れば全てに意味を失う。まるで風を追うようなものである。全てに感謝したいと思う。

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解体


この歳になると暗い話は御免だが、確かに移民が多くなると、外国人居住区が形成され一大勢力になって、国家内国家が誕生すると思う。

しかも、差別や偏見を排除する国家政策から、日本の伝統や文化と相容れない外国人の権利や人権も擁護されるので、ますます日本の伝統や文化や治安が、彼ら風に破壊されていくことは目に見えている。

そんな視点から、改めて世間を眺めてみると、最近は外国からの観光客が増え確かに電車や駅の表示等も中国語や韓国語が併記されて実に見にくい。さらに、今年のお花見では、外国からの観光客が多くなったことや皇居乾通り一般公開にウェディングドレスを着て写真撮影をしている中国女性がいたりして違和感を覚えた。

しかし、パリのヴェルサイユ宮殿を75億円で借り切って結婚式を挙げた日産のゴーンさんもいることだから、グローバル化により世間はそんなものなのかも知らない。

しかし、生粋の日本人ならいくらお金があっても、日本の伝統や文化を汚すような行為は慎み、日本の伝統や文化や習わしに対する誇りや権威を大切にすると思う。

ところで、何事にも表と裏はあるものだが、社会は表向きは誰が聞いてもまともな考えや約束事で成り立っているように思われるが、現実には表にはない裏の駆け引きや約束ごとで成り立っている訳で、簡単に言えば金と女である。この2つが原動力となって社会が回っている訳で、政府高官の汚職や腐敗が当たり前となっている中国のような国では、超現実的な駆け引きや打算やしぶとさを持ち合わせていないと生き残っていけない。つまり、何をやっても儲かりさえすればいい訳で、面従腹背、裏切背信、金にはモラルも倫理もない訳で、実に恐ろしい裏社会のルールによって、社会が営まれているものと思われる。

こんな風に書くと、国際社会の悪事を認めているように思われるが、そうではなく、世界の現実であり、日本でも構造改革によって規制の緩和や規制撤廃を行って利得を得たのは、政府の高官や政治家や御用学者であって、痛みを一気に引き受けたのは彼らの口車に乗せられた一般庶民である。

ところで、今上陛下は退位を目前とするメッセージの中で、「国民一人一人が自国の史実を正確に学び、平和への思いを確かにして、諸外国の人と仲良くしていけば必ず平和が訪れる。」と述べられているが、現実にはその史実自体が根本から歪められているわけで、陛下の言われることは間違ってはいないが、結果的には時の権力者や支配層に利用され操られてしまうことになる。

まあ、それだけ私たちは、現実には裏で働く欲望や駆け引きによって、日々の生活や社会を営んでいる訳で、誰もがきれいごとでは済まされないものがある。そんな現実を踏まえると暗くなるが、私的にはそれはそれとして、やはり人間は正直で嘘がなく、長期的視野に立って誠実であり、常に勉強し学習して知恵や知識を蓄え信用第一にあるべきだと思う。

まあ、昔から「類は友を呼ぶ」と言われるから、そんな風にしていれば、自然と周りに正直で誠実で知恵や知識が豊富な人が集まってくる訳で、自分から敢えて人を何らかの尺度に当てはめて選別しなくても済むのではないかと思う。

そんな訳で、人生は限られている。嘘偽りや裏切りや背信に慄きながら欲得に生きるも人生だが、毎年春になれば咲き誇り潔く散っていく桜のように生きるのも楽しいのではないだろうか。

なぜなら、常に清貧にして正しく潔くあれば、身も心も軽く障りがなく、そんな自分自身へのプライドや自信は、下世話な世間の評価や評判や価値観には及ばない重さがあるように思う。

ご案内のように、今や世界金融が破綻する節目に、世界は様々な問題が噴出し構造的なパラダイムシフトなくしては成り立たない状況にある。まあ、東日本大震災のような破壊と再構築の末にどんな社会が来るのか楽しみでもあるが、そんな時だからこそ、私達は創り上げられたフィクションや絵空事の世界観や宗教観ではなく、長年に亘り自らが大切に築いてきた信用と信頼を信じて、感謝と思いやりを持って混乱と乱世の世を生き抜いていけばいいのではないかと思う次第である。

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新紙幣

葉桜も綺麗です

ご案内のように、新紙幣の発行は2024年(令和6年)11月1日と言われているが、3券種の刷新が実現すれば、2004年以来20年ぶりの新券発行となる。政府筋によると、新紙幣の肖像は、1万円札が現在の福沢諭吉から、日本の資本主義発展に貢献した渋沢栄一に、5千円札が樋口一葉から、明治・大正期の教育者で現・津田塾大学創始者の津田梅子に、千円札が野口英世から、日本近代医学の父と呼ばれる北里柴三郎にそれぞれ刷新されるらしい。

刷新する理由は偽造の防止にあるらしいが、一説にはタンス預金の炙り出しや平行して進むキャッシュレス化に伴い、一定額(預金保護1000千万)以上は、旧紙幣との交換比率が低く抑えられ、実質的なデフォルトになると言う噂も飛び交う。

しかし、そんなことが事前に分かっても、庶民にはこれと言った対策がとれる訳もなく、 ビットコインなどの仮想通貨や株式や投信、金や不動産に投資するのも換金するのにまた難しく、その一方で、政府はデフォルト回避の代替案として、年金や介護や保険などの社会保障給付の大幅な削減を提示してくることも想定され、何かと不吉な予感がする。

さらに、消費増税も上限20%への暫時引き上げや、人口減少や異常気象や大震災などのリスクから、今日7割を超える日経市場への外資の撤退なども懸念され、オリンピック後の金融や経済への不安を数え上げれば切りがないが、とにかく年金介護医療などの社会保障経費の大幅削減は必至らしく、高齢者にはかなりの痛手になることは間違いない。

そんな中、孫が手足口病で久々にレスキュー要請があって、今週は孫の世話をしているが、孫は可愛いがとにかく疲れる。熱がある割にはエネルギッシュで寝るどころか、次から次と遊びを持ち出してくる。

それで、こちらがお相手で草臥れて床に寝転がっていると、背中に乗ってバンバンなどとしてくるので、試しにテーブルを手摺りに背中や足を踏んでもらったら、これがすこぶる気持ちがいい。それで、足から肩までバンバン足踏みしてみてと頼んだら、最初は面白がって威勢が良かったが暫くすると「お爺ちゃん、もういい?」なんて飽きてしまったらしく、その表情には笑ってしまった。それでも、身体全体の凝りが消えたから不思議である。いくら可愛がってもワンちゃんではこうはいかない。矢張り人間の子である。思わぬ恵みに感謝した次第である。

そんな訳で、もうそろそろ育爺生活も終わりかと思いきや、今回のようにしばしば突発的にオファーがあるから、まだ当分の間は卒業できそうもない。まあ、レスキューに向うと、朝などは出掛けるまでがひと戦争で、こんな時代に子育てしなくて良かったとつくづく思うが、今の子育て世代は忙しく時間にゆとりがなくて可哀想である。

そんな想いに、今回の働き方改革が「ゆとり教育」ならぬ「ゆとり子育て生活」の一助にならんことを心から期待したいと思うが、新紙幣の発行も一悶着あるような現実に、不安は募るばかりだが、それはそれとして、私的には前向きに心して頑張ろうと思う次第である。

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文化


過去・現在・未来を繋ぐ長い時間軸の中で普遍性を求めない限り、相対的な関係性の中に己の存在を見出さなければならない。そんな今日のモダニズムにおいて、伝統や文化は単なるエンターテイメントや金儲けの道具になってしまい本来の意味を見失っているような気がする。

文化とは長い時間軸の中で培われた生活そのものであって、私たちのすべてを包含するものである。朝目覚めて住まう街の空気を吸い、身近な出会いや語らいや出来事の中に、自分らしい生活を支える全てのものが包含されている訳で、それぞれの生活に共通項を見出せるとしたら、それは一体何なのだろうか。

時代はポストモダニズムに突入し、普遍性を手放し「イマ・オレ・カネ」に生きる今日的なセルフィシュな生き方に、自らの「偽善や自己矛盾」を正当化し、誰もが己のアィデンティを主張し合えば、今日のイギリス議会のようになってしまう訳で、古くは利権がらみの族議員、新しくはネオコンや金融エリートやLGBTなどの価値観や世界観は、互いに自己主張が強すぎて、妥協や合意形成に至ることはまず持って難しいように思う。

そんな想いに、この春は平成最後のお花見や新元号の発表から、万葉の悠久の世界に遊ぶ日本の文化の素晴らしさに改めて気づき、悠久の時間軸に生きる意味を痛感した次第である。

桜も散れば新緑の季節である。清々しい五月の風に、今年は成り行きに任せて吹かれてみようと思う次第である。

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春は出会いと別れの季節である。そんな出会いと別れも何回も繰り返すと、甘くほろ苦い思い出はそれとして、新たな出会いに夢と希望を抱いて生きるようになる。

何度も忘れられない想いの中に、私達は何を求めているのだろう。でも、春は毎年やってくる。その意味を知りたいと思う。

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新元号

新元号「令和」の二文字は、万葉集巻五の「序」にある「梅花の歌」32首から引用されたもので、この歌は大伴旅人を中心とするグループによって詠まれたもので、「序」は「歌」と異なり漢字を使用した漢文体で書かれていることから、元号の出典先に選ばれたものと思われる。

初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす
新元号の公表後、安倍晋三首相は記者会見で談話を発表し、令和について「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ、という意味が込められている」と説明する一方、悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然、こうした日本の国柄をしっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人一人の日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる、そうした日本でありたいとの願いを込め、「令和」に決定したとの言葉を添えている。なお、出典とした万葉集に関しては「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書」される。

新元号にある「令」は、令息とか令嬢と言った言葉からも「良い」と言う意味があるが、ひざまずく人に物事を申しつける命令の意味もあり、令和を漢文調に読み解くと「和たらしむ」とも読める。

まあ、君主が元号を定める由来は、君主は空間だけでなく時間をも支配するとすると言う思想に基づくもので、正に私達国民は天皇陛下に全てを捧げる臣民と解することもできる。

しかし、そんな難しい解釈はさておき、最近は政治思想や宗教の違い、帰属や性的嗜好LGBTなどと言った「自分の立ち位置」を最初から明確にして、お互いに持論を転換主張して譲らないことから、分断や分裂が避けられない時代でもあり、そんな世相からして、より高い次元による権威に基づき「和たらしめる」ことも、合意形成へのきっかけや糸口になるのではないかと思う。

時に、今は桜前線真っ只中で、皇居の乾通り一般公開なども平成最後となることからいつになく盛況のようであるが、これが仮に公開されなくてもクレームをつける人もいない訳で、日本国民の皇室に対する敬愛と尊崇の気持ちには特別なものがある。

それ故に、この絶対とも言える権威を利用するようなことがあってはならない訳で、政治権力や教育やマスコミに組するものは、諸外国の圧力や邪悪な勢力の誘惑や脅しに負けないで自分を律して、皆んなの模範となるような生き方を示してほしいと思う。

とにかく、私達は一人では生きていけない。安全安心便利快適な都市生活も、必ず誰かがその責務を担っている訳で、他者や社会への奉仕や奉公と言った感謝と思い遣る心がなくしては、私達は幸せな生活を実感することはできないと思う。

確かに、お金がなくては何もできないが、自分の想いや夢を叶えるために、お金の奴隷になってしまったら元も子もない訳で、日産のゴーンさんのような事例は極端なものではあるが、大なり小なり私達もお金の奴隷や虜になってしまい、自己中心的な考えに取り憑かれてしまいがちである。

そんな想いに、今日も恵みをいただいて元気なので、新元号に肖り、夢と希望を持って精進して、自分なりに晩節を飾る花を咲かせていこうと思う次第である。

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お花見


朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや(有朋自遠方来、不亦楽乎)」とは、論語の学而編にある有名な言葉であるが、平成最後の週末に昔の職場の仲間たちと会食したが実に楽しかった。

退職して9年になるが、当時の職場の想いが一気に蘇り、気心の知れた仲間との再会は本当に嬉しかった。現役時代はいろんな人と出会ったが、今でもこうして会える人は稀である。大切にしたいと思う。

しかし、目まぐるしく変わる時代の流れに、私達は常に自分の方からアプローチしていかないと時代遅れになってしまい、気づけば周りから一人取り残され、誰からも相手にされなくなってしまうこともあり得る訳で、国立社会保障人口問題研究所の調査によると、65歳以上の男性の会話の頻度は「2週間に1度以下」が15%もあり実に寂しい限りである。因みに女性は5.2%と、男性の1/3である。

しかしながら、そうは言っても見ず知らずの人に形振り構わず矢鱈話し掛けるのも怪しい人に思われてしまうし、仕事のつき合いしか知らない男性は、話し掛ける言葉にも躊躇してしまう人が多いのではないだろうか。

私も退職仕立ての頃は、前職のカラーを引き摺っていたように思うが、もともと私はミーハーで、職場にどっぷり浸かるタイプではないから、退職後はカメラ片手にストリートフォトしたり、音楽好きでお祭りやイベント会場にもお邪魔する内に、結構話す機会にも恵まれ、話し相手に困ることはない。それでも高齢になると、いろいろなことが分かってくるから、夕刻に響く自分の靴音には一抹の寂しさを覚える。

そんな中、昨日は横浜の大岡川の桜祭りに、結成11年目となるユーミンの女心を男が歌うちょっとクレージーなトリビュートバンドのステージを観に行ったが、結成11年にもなると熱狂的なファンもかなりいて盛り上がりのステージだった。私は近くの橋の欄干からビデオ撮りしていたが、知らぬ間に周りにファンが集まり、私も一緒になって手を振ったりエールを送ったりして、年甲斐もなくフィーバーしてしまった。

ファンの中には子連れのママもいてフィーバーしっぱなしで、愚図る子供とのやり取りには笑ってしまったが、そんなこともステージが終わってから盛り上がり大岡川の良い思い出となった。

ところで、私は大岡川の桜まつりは初めてで、電車を降り大岡川の橋のたもとに差し掛かると、神奈川県知事候補の選挙カーに女性候補者が窓から身を乗り出して手を振り、神奈川県の教育問題について有権者に投票を訴えていた。

そう言えば、今年の春は統一地方選挙の真っ只中にある。新元号ばかりに気を取られ地方選挙のことはついその次になってしまった。

そんな選挙の春と言えば、4年前の春は職場にお休みをいただいて、2年前に亡くなった愛犬のTiffanyがヘルニアで腰のレントゲンを東京のクリニックに撮りに来たことが思い起こされる。その時は先方の都合で深大寺に立ち寄り時間調整したが、深大寺には調布市の投票所があって、お寺の境内に続く石階段の脇を入った集会所のようなところが投票所になっていたのが印象的でよく覚えている。

いずれにせよ、候補者は大変である。落選すれば職を失うし、正に日頃のお付き合いがものを言い、芸能人と同じ人気商売であることに間違いはない。

そんな訳で、政治家は利権に絡まぬ人が理想とは言え、利権に絡まぬ人などいないから、私的にはそんな綺麗事はよしにして、利益絡みを公にして選挙にしたほうがいいように思うし、現実に裏ではそうなっている。

ところで、今年は意外にも横浜の方が東京より桜の開花が遅い。さらに、昨日は天気も冴えずに寒かった。でも、ユーミンの女心を男が歌うちょっとクレイジーなトリビュートバンド「漢組の生演奏」が聞けたし、周りのファンとも一緒に盛り上がり熱いエールも交換できたので、収穫のある1日だった。

残るは皇居の通り抜けにでも行って、平成最後のお花見の締めくくりができたらいいと思うが、とにかく残された日々を大切にして生きていこうと思う次第である。

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