存在

存在することに意味がある。そこに下世話な言葉が入り込む余地はない。それにしても、その意味を知ることは至難の業、隠れた本質は、現実や実体を超えたところにあるような気がする。

改めて、存在の意味を問いたいと思う。

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まん防

コロナ禍も一時は終息かと思いきや、オミクロン株の感染拡大から、自治体によっては民間企業や団体にワクチン接種を促す動きも出始め、公権力の行使から組織内のパワハラも懸念される。

不要不急の外出を控え、人との接触を必要最低限に抑えることは、市民、国民の最低限のマナー、エチケットだと思うが、ワクチン接種を強要する社会の動きには違和感を覚える。

正に、戦時中の非国民的な差別意識や偏見が露見し、集団心理に容易に付き従う日本国民の素直な国民性が見て取れる。お上の言うなり、思考停止で隷属的な国民性は未だに健在、呆れ果てるが、戦後の民主教育の成果としたら、寒いものがある。個性なき民主社会、異論もなく反対の意思表示もなく、作られた面相と見た目に踊らされる社会の愚かさには、自主自尊のカケラもなく、自立と自信のなさが伺える。

これだけ社会がめちゃくちゃになり、変化と多様性の中に埋没しているにも拘らず、考えればそれなりにさまざまな感染対策や対応策があると思うが、そもそも医学的な根拠や見解が公的な機関から何ら示されていないことも変な話で、何やら不穏なものを禁じ得ない。

果たして、感染しても重症化しないのに小さな子供にワクチン接種を強要する必要があるのだろうか。物事には様子見と言う選択肢もある訳で、余りにも思慮配慮を欠く社会の流れには、呆れ果てて言葉が出ない。

欧米社会では日本より酷い状況にも拘らず、通りを歩く人のマスク姿は疎である。情報源が主にテレビや新聞などの大手マスコミに限られる日本では、大方の庶民が知る由もなく、異論も反対のデモもない状況からして、それなりの勢力の情報統制や意識形成が功を奏しているものと思われる。

まあ、そんな私もマスクやプレート越しを敢えて無視する勇気もなければ度胸もない。何か言われても面倒だし、言われれば気分が悪くなるだけで、周りは知らん顔、当局は面倒なことは一切取り合わないからである。

そんな訳で、今暫く表立った活動は控えようと思うが、仮に世間がさまざまな場でワクチンパスポートが求めるようになったら、それこそ世も末、この国の将来が一段と危惧される。そんなことから、各分野のリーダーは身命をかけ、事実と科学的な根拠に基づき、勇気を持って持論を展開し、新たな民主国家の方向性を示してほしいと思う。

過ちや失敗はつきもの。道はただ一つ、ダメなら戻ってやり直せばいい。やり直りしは幾らでもきく。そもそも、過ぎ去ればすべてに意味はない。あるのは、過去や未来から解き放たれた唯一無二の今現在があるだけである。

そんなことから、今あることに感謝し、内なる真我の声を聞き、今この瞬間を自分らしく生きていこうと思う。

すべてに感謝したい。

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ゆめ

人生は束の間、しかも二度と戻れない。だから、今ある自分を信じて、清らかにして思いっきり文化芸術に触れてみたい。

過ぎ去れば全てに意味を失う。今あることに感謝し、今を生き抜こうと思う。

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ご縁

今回のオミクロン株は感染力が半端じゃなく、弱毒化し重症化しないまでも、自粛モードが再燃して嫌な雰囲気である。明るい兆しが見えはじめた矢先、社会活動にも影響が出始め、今後の動向が気になる。

とにかく、限られた関係性の中では、得るものも得られないし進歩や発展もない。自粛が長引けば長引くほど惰性とマンネリの中に埋没してしまいそうで、困ったものである。オンラインサロンなどもあるが、やはり何処か一味足らない感じがして興味が薄れる。やはり、リアルな出会いの場がないと、何か満たされないものがある。

まあ、幸せは人が運んでくると言うから、新たな交わりがなければ、社会活動も停滞するのが当然で、新年度の人事異動などで目先がぱっと開けるような感覚を覚えるのも、新規性や変化の中に新たなものを期待するからである。その意味から、人的リソースの入れ替えがスムーズにいかない硬直化した組織などの将来性は暗いと言える。

ところで、コロナを契機に訪れた「非接触型の新時代」では、AIやロボット技術が急速に進化進展して、社会の様々な分野で雇用がAIやロボットに置き代わっていくようで、私の地元のスーパーでも自動レジが普及し始め、慣れればそれなりに便利である。

それでも、昨年の暮れに、スーパーの駐車場で、年末の大売り出しをやっていて、昔のレジスターで店の店員が現金販売をしていたが、箱入りのサツマイモを買いながら、店員との何気ない会話に何故か新鮮なものを感じて楽しかった。そんなさり気ない交わりの場もなくなってしまうと思うと寂しい限りである。

しかしながら、考えてみれば、世界は私たちの想いよって形作られていくものだから、便利なAIや機械に真似できない感性や感覚や技能などを身につけ、AIやロボットと共存していけば良いわけで、私たちの未来は如何にして、AIに使われるのではなく、AIを使いこなすかが課題となる。

一説に、ポストコロナでは、データ集積型の論理的定型業務はAIの方が遥かに人間より優れていることから、単純労務はもちろん、専門性が高くも定型化されたお役所仕事や医者や弁護士の仕事でさえ安泰ではないらしい。

まあ、全くなくなるとは思えないが、お役所や警察や裁判所でやっていることは、自由裁量権の幅が少なく誰がやっても同じなので、今日のような硬直した組織運営から抜け出せないなら、AIの方が遥かに優れておりコスパの良い仕事をすると思う。

よって、如何なる業種もそこに何らかの人間的な要素が絡まない限り、それなりのサービスが成り立たなくなる訳で、料理で言えば一味違うものがないと、仮に高度な専門知識を有する業種であっても、これからの時代は生き延びていけないような気がする。なぜなら、大方の業務はAIやロボットで処理対応できるからである。

そんなことから、新時代を生き抜くには、如何にして本来の人間性に目覚め、感覚や感性を伸ばしていくかが大きなガキとなる訳で、そういったものは、独創性を欠く商業ベースの学習プログラムではとても得られるはずもなく、自分に目覚め個性の延長上にあるところに課題がある。

まぁ、簡単に言ってしまえば、自然との触れ合い、自分も自然の一員と言う認識を持てるかどうかがカギになるわけで、ガーデニングなどもホームセンターのマニュアル通りやっていては、そんな感覚や感性は身に付かない。

そんな訳で、何もかもあちこちのタイルが次々とこぼれ落ちていく年齢だが、それでも気づいたら拾い上げて補修して、大地と天空に想いをつなげて元気をもらい、今日も精一杯生きていこうと思う。

すべてに感謝したい。

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意味

過ぎ去れば全てに意味を失う。改めて生きる意味を問いたい。

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想い

静寂を友に… 愛の本質は別れにあるのかも知れない。

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意味?

「今だけ、金だけ、自分だけ」グローバル富裕層のhappinessがこのようなものだとしたら、邪気と邪念に取り憑かれた生活としか思えない。

物欲と快楽の果てに、心の安らぎがあるのだろうか。「無から有」を創り出せない私達は、何らかの搾取にしか生きられないことは確かだが、今日的な世相を踏まえれば、少しでも心の障りがないように生きていきたい。

余りにもかけ離れた生活感や感覚に、グローバルリズムがもたらした価値観や世界観の多様性と狂気を感じる。

「働かずして楽して儲ける」そんな生き方も人それぞれだが、そんな搾取が罷り通る社会に問題がある。富の偏在と貧富の差を痛感せざるを得ないが、来たるべきポストコロナの「風の時代」には、AIによる富の適正配分と経済活動の好循環がもしかしたら実現するかも知れない。

AI技術の進化発展に期待したい。

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規制

今年の冬は昨年に比べ寒さが一段と厳しいような気がするが、冷えは万病の元と言うから注意を要する。とにかく、節分が過ぎるまでは寒さが半端でないから、身体を冷やさないことである。

しかしながら、家の中に籠ってばかりいては、これまたうまくない訳で、コロナ関連で自宅待機にでもなったら、別の意味で健康を害することになる。

今世界はコロナと異常気象から、経済活動が停滞し、物価が上昇する一方、モノによっては入手困難になり、将来的な食糧不足も懸念され、何か不穏なものを感じる。

そんな中、農業関連のYouTube動画を拝見すると、農業現場では燃料の高騰や農業資材の高騰が半端でなく、農業従事者の平均年齢が70歳を超える現状からしても、日本の農業は適者生存の瀬戸際に立たされているようである。

スーパーに行けば、世界中の食品が自由に手に入る現状に、そんなことは御首にも感じないが、将来の食糧難に備え、とりあえず3ヶ月や半年ぐらいのお米や味噌や醤油ぐらいは備蓄していたほうがいいかも知れない。

ところで、前にも何回か述べたが、日々日常の活動や生活環境が身体に及ぼす影響を身をもって体感した私としては、日々日常口にする食べ物は地産地消、身土不二を基本にするのがいいように思うが、そんな事は農家や充実した家庭菜園がない限り不可能に近い。

スーパーには世界中の食品が所狭しと並んでおり、しかも自分で作るより安価である。そんな中、確かなエビデンスはないが、できるだけ国内や地元で育つものを厳選して食べていけば健全で健康的な生活が送れるような気がする。

ところで、コロナはオミクロンの感染拡大から、いつになったら大手を振って街を歩けるのか、全く見通しがつかない。2月に開かれるカメラ関係の展示会CP +も、ワクチン証明やPC ar検査証明がないと入場できないようだが、それでどこまで有効性が担保できるものか疑問だが、窮屈な社会になったものである。

そんなことから、イベント参加を心待ちにしていた私だが、今年も時期尚早にして、オンラインに切り替えて参加しようと思う。第一マスクやフェイスシールド越しに、新製品の説明を受けても、またモデル撮影をしても窮窟で興醒めしてしまうからである。

そんな訳で、暗い世相は政府筋やマスコミ関係に任せて、私的には神仏から日本の妖怪アマビエやヨゲンノトリに、事ある毎に燈明とお香を捧げ、ホワイトセージで部屋の空気を清めたりして、なるべく快適な生活空間にしてコロナに打ち勝っていこうと思う。まあ、人生はシンプル、身も心も清らかに軽く、心に障のない生活を心掛けるのが一番である。

そんな想いに、改めてすべてに感謝する次第である。

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oldies

子供の頃の記憶が蘇る。道路は砂利道、どの家の玄関先にもゴミ箱があった。雨が降ると砂利道に水たまりができて、場所によってはアメンボーが泳いでいた。

半世紀以上も前の街の風景だが、鮮明に覚えている。納豆売りの掛け声や豆腐屋のラッパの音、牛の絵が描かれた大八車で牛乳を売りに来た。確か、文さんとか言う魚屋も魚を売りにきた。

戦後の蛍光灯もない時代のこと、コタツの上にはみかんと落花生が定番だった。そんな時代の痕跡は、今は何一つ残っていない。

古き良き時代、必死に育ててくれた父母の恩寵に、実りある晩節にて報いたいと思う。

今あることに感謝したい。

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想い

連日寒い日が続くが、今朝の最低気温はマイナス6度、それでもお日様が顔を出すと、エアコンやヒーターなどとは比べものにならぬほど温かいから不思議である。

コロナ自粛から、今では家の掃除やお料理やガーデニングが日課になり、感謝と喜びの中に一日が終わる。

しかし、そんな中にも、趣味のストリートフォトや舞台芸術への想いは冷めやらず、ポストコロナには孫をお連れに都会の街に繰り出して、青春の想いを爆発させたい。

想いは果てしなく尽きることがない。すべてに感謝したい。

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