チャットボット

問い合わせにチャットボットを導入している企業が多く、しかもAI化が進んでいる。それなりの回答は得られるものの、何かしっくりしないものがある。

モノによっては堂々巡りすることもあり頭にくるが、これからは生活全般がこんな感じになっていく気がする。何か寸法の合わない服を着せられている感じで、コスト削減や効率化の代償は、行き過ぎたAIの進化支配を加速し、既存の関係性が破壊され、合理性の追及から面白味のない生活になっていく気がする。

まあ、文化文明の進展から他人に依存しない社会生活は魅力だが、簡単な挨拶ができる程度のやり取りはほしい。なぜならAIチャットボットと人間の肉声とでは雲泥の差があるからだが、その音声もAIによる合成音声となると、ネットを介する関係には何か胡散臭いものを感じる。

そんな中、ネット界隈では恒星間天体3I/ATLASのことが異星人の人工物ではないかと言う話が広まっており、ただならぬ様相を呈している。特に太陽に最接近した時、太陽フレアーを減衰させるような光線を発射し、通常の彗星とはかなり違う動きをしているらしい。

まあ、これも巨大隕石や巨大地震の発生にまつらう都市伝説の類いかも知れないが、社会の閉塞感や不安感を利用し、既存の社会構造の大変革が進みつつあることは確かである。

紙幣が紙切れに年金が差止めされ、身近な支えもないとなると悲惨な現実しか浮かばないが、それもそれなりのピントと捉え、ネットに頼らぬ生活への回帰も選択肢のひとつに方策を考えようと思う。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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儚さ

映画はNetflixやAmazonPrimeVidoeで観るようになって久しいが、時に映画館で観ると新鮮味がある。

コーヒーやポップコーンを食べながら迫力あるシーンを大画面で観るとド迫力のサウンドとキャラメルの味覚が絡み合って家では味わえないダイナミックスがある。

また、イオンモールなどと日比谷や日本橋辺りで観るのとでは、観た後の余韻が違うから不思議である。そんな感覚は観劇やコンサートでも同じで、劇場のロケーションも見逃せないものがある。

ところで、家のWi-Fiがダメになり、今お流行りの10GのWi-Fiに替えてみたが、ストリームアンテナが5本あるから実に快適だが、その分お財布が軽くなった。

そんな中、朝いちで窓を開け朝日と新鮮な大気に喜びを感じていたら、カマキリのカマ子が網戸に逆さまになって息絶えていた。生命あるものの宿命だから仕方ないが儚さを感じる。後で土に帰してやろうと思う。

そんな訳で、改めて今あることに感謝したい。

お別れに来たカマキリのカマ子です
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想い

今日も寒い。何か取っ掛かりがないと動き出せない。困ったものである。昨夜は帰宅が遅かったので疲れたが、就寝前に温めのお風呂にゆっくり入ったのが功を奏して、朝の目覚めは爽快そのものだった。しかし、ゴミ出しや石油ストーブの燃料切れで、外気に晒され身体が冷え切ってしまった。

冷えは大敵と言うから、朝風呂にゆっくり浸かり洗濯物を干したが、薄曇りで午後取り込んだら半乾きなので除湿器をつけて部屋干しした。

それにしても高市片山最恐?コンビには心からエールを贈りたい。巷の自動車走行税の創設もキッパリと否定したのは小気味いい。保身に右往左往する親中媚中属議員とは一線を画するものがある。

そんなことで、今日の昼は残りの食材で焼そばを作り、クリームシチューを温めて食したが、温かくて旨かったので腹一杯食べてしまった。

しかし、こう寒くなると菜園は昼の暖かい時を狙って頑張るしかない。しかし、その頃になると昼寝になるから始末に悪い。終活に向けてやり始めたデジタルデトックスも何時になったら終わるやら、一代奮起して腰を据えなくては終わりそうもない。

そんなことで、掘炬燵に座れば、その心地よさに浅い眠りの自分がいる。そんな日常に現役時代を振り返ると、如何に世間体を気にして愚かなことに労力を使っていたことがよく分かる。内なる自分に問えば、すべてに満たされているのに愚かである。マズローの自己実現も他者の評価や世間体、今流行りの承認欲求にあるとすれば、実に愚かである。そんな意識は棄てるに限る。今はひたすら世間を離れ好き勝手、日頃のご縁とその恩恵に浴する生活にひたすら感謝しかない。

しかし、世の中よくしたもので、ステージが変われば交わる人も変わる。生きる世界が変われば配役が変わり生活が一変する。惰性やマンネリを断ち切るには転居が一番と言われるが、それは住まいが変われば生活空間が変わることから生活意識が変わり、日々の話題が変わるからである。

私的にはコロナ禍による菜園ライフが切欠で、作物を育てることに癒しを感じるようになった。それまでは専らアロマやお香などの癒しアイテムや音楽や写真、文化芸術や神仏への帰依や信仰、他者との交わりを通して癒しは得られるものと思っていたが、その本質を深掘りすると、それらは単なる他者依存に過ぎないような気がする。

石川啄木の短歌に「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買い来て妻とたしなむ」と言うのがあるが、花を買い来て癒しを得ることはステキだが、それは本当の癒しとは違う気がする。

敢えて言えば、ある種のドーパミン的な癒しに思える訳で、ペットを可愛がったり花や作物を育てたりする時の幸福感や癒しの感覚とはちょっと違う気がする。脳機能の観点からすると本当の癒しとは、何かを見守ることや育てることで分泌される幸せホルモン「オキシトシンやセロトニン」による癒しと言うか、他者への依存や支配から離れ、利他的な献身によって得られる幸福感が真の癒しではないかと思う。

簡単に言えば、何かに奉仕することや優しく見守る無償の愛と言ったものから得られるのが本当の癒しで、特に意識しなくても、女性は子供やペットの世話をしたり、花を育てたりして、また男性は社会や家族のために献身的な努力をして、幸せを実感している。

まあ、長々書いてしまったが、いずれにせよ日々日常、癒しや安らぎを求めて人は彷徨い続けているわけで、人生は寂しく儚い中にも、身を投げ出せばそれなりの癒しや安らぎが得られるものと思う。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

https://youtube.com/shorts/BE2bGkWqU8M?si=Kp3UwYr7RzChG-QK

今日的な課題を抱えながらも高市さんは頑張っている。幾重にもエールを贈りたい。

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寒む~

寒い、とにかく寒い。そんな日に限って歯のメンテはあるし、横浜に用事はあるし、動き回らなくてはならない。

まあ、予定を反故にすると、先方の都合もあるからそのままだが、薄ら寒いお天気で、気が乗らない。

それにしても、高市旋風が吹き荒れる中、中国は台湾海峡を巡り大規模な軍事演習を頻繁に行ったり、大阪の駐日領事が「高市さんの斬首」を仄めかす投稿を公式SNSに載せたり、日中関係の悪化が危惧される。

そんな中、高市総理は自衛隊の士気を高めるために俸給の底上げを指示したらしいが、外国や在日外国人への分厚い手当てを踏まえれば、あって然るべき英断だと思う。

とにかく、中国共産党は国内の惨状からして、人間の尊厳や生命を著しく軽んじる傾向があるから困ったものである。まあ、この種の民族性はちょっとそこらでは変わらないから、お隣韓国と共に当たらず触らずが望ましいが、相手がとにかく日本の利権利得欲しさにかなりの「かまってちゃん」だから困ったものである。

まあ、本当はアメリカも中国もロシアも裏で繋がっているのだろうが、何を持って「その分取り合戦」に合意するかだけのことだから、首相を始め国会議員は皆蚊帳の外、とにかく市民庶民が流血惨事にならぬ英断を祈りたい。

そんな想いに、今日も草臥れるが頑張ろうと思う。

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カマキリのカマ子

カマキリのカマ子です

あさ一で外に出るとカマキリのカマ子がいた。左足がもぎ取れてしまい痛々しい。昨日もイチジクの葉っぱに大きな蜂がいて、刺されては大変と葉っぱを切り落としたところ、もう飛べないらしく葉っぱにしがみつく姿は哀れだった。

寒さに向かい、自然界の営みは美しくもあり無情でもある。今年初なりした我が家の柿は4年にして結実したが、数は採れないものの甘くてうまい。元からある柿の木は大木だが枝下ろししたからか実をつけない。まあ、実をつけても高枝切りでないと高過ぎてどうにもならないからどうでもいい。

そんな1日の始まりだが、今日は1日中頭が痛くて優れなかった。それでもカミさんから頼まれたCDの焼き増しが終わり一安心、明日は何とか家のリフォームに復帰したい。

そんな訳で、浅い眠りに明日を託し頑張ろうと思う。そんな想いに改めて今あることに感謝したい。

https://youtube.com/shorts/_tjFZHrVEsw?si=-WDhxujJoSZxThHo

この動画からして、日々の面倒を嫌がらずに自分のことは自分でしないとボケそうな気がする。悪戯に長生きしても仕方ない。好奇心旺盛に世間体を気にせず魂を爆発させて生きていきたい。新たな出会いに幸あれと思う次第である。

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想い

20世紀はモノづくり物質文明の時代だったが、どんなに便利グッズやツールに囲まれても幸せになれなかった。いや寧ろ、モノによる雑念に惑わされ、心の平安を失った時代である。

改めて文化文明の恐ろしさと言うか功罪を痛感するが、そんなモノがもたらす文化文明の中で得たものを一つずつ断捨離していくと、利得損得に囚われない遊びの世界が広がってくる。

まあ、魂の叫びとでも言うか、本当に他愛のない下らないものに感動しまくりの世界が広がっていく訳で、巷の健康管理などどうでもよくなる。

嫌なことはしない、人様にご迷惑を掛けてはならないが、風が吹くまま気が向くまま、好き勝手にやればやるほど、人生は感動的なことに気づく。正に「疲れたら寝る、腹減ったら食う」の生活には、生命の歓喜が宿る。

とにかく、世間は易しいことを無理矢理難しくしている訳で、元々千差万別の人間を一括り金太郎飴にすること事態に無理がある。それは共産自由を問わず巧妙なヒューマンコントロールに過ぎない。極論すれば、真の幸せ幸福とは、モノの支配から離れ、世間の常識や政治や経済宗教の枠組みから離れたところに存在する訳で、それはとりもなおさず魂の歓喜であり感動である。

まあ、婚活アプリや出会い系アプリなどは交際の切欠にはなるが、正に商業ベースに乗る作られたサービスであり、それは物質文明がもたらす一過性の娯楽に過ぎない。

そんな想いに、想いの本質を問いたいと思うが、改めて、洗脳された生活に己の愚かさを痛感する次第である。

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里芋

里芋は掘り起こして株元から里芋を剥がすのが一苦労、途中で嫌気が差して、そのまま段ボールに放り込んである。

乾燥しないと腐るので、頃合いを見て乾燥するつもりだが、昨日は食べる分だけ里芋を取り出し豚汁を作ったが旨かった。

実りの秋は楽しいが、秋も深まると朝夕はヒーターがないと心細い。あっという間に日が暮れて一頃のように座敷の西陽がぎらつくこともなく、何処かもの悲しいものがある。

親戚の叔母が亡くなり、寂しくなるばかりだが、炬燵に入るとその心地よさに全てを忘れる。有難い。

まあ、気持ちを切り替えて頑張るしかないが、改めて今あることに感謝したい。

今年はカマキリのカマ子に会えなかった。その代わりカメムシのカメ子に会えたが、カメ子とは反りが合わない。作物の天敵だからである。そんな訳で、今日も朝日を浴びて頑張ろうと思う。

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存在

全てに時がある。改めて存在の意味を問いたい。

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年末に向けて

ついにガソリンの暫定税率が撤廃され年内にもガソリンが値下げされる。合わせて灯油も値下げされると嬉しいが、そうはいかないらしく両手を挙げて喜べないものがある。

それでも一頃より値下がりして18L 2000円を切っているので、値上がりしない内に買いだめするのも一手である。冬の寒さは身体に堪えるし灯油は電気やガスより安価である。

そんな中、国の家計調査の依頼があり、流れで一旦はお受けしたが、よくよく考えてみたらスマホで回答できるとは言え、年末年始はいろいろあるし、残された時間は少なく貴重なので、丁重にお断りをしたところ快諾してくれて安心した。

とにかく、時間ほど貴いものはない。正に「時は金なり」残された時間を実りある有意義なものにしなくては後悔が残る。世間に転がれば義理や人情に絆され、世間体や常識を無視することは出来ないが、成るべく関わらないようにしないと、やりたいことができなくなる。まあ、高齢になると世間もこちらを相手にしなくなるから好都合である。

それにしても、朝日が障子に当たると何とも言えない高揚感を覚える。昔プロ野球の金田投手がTVコマーシャルで「きょうスタでやったるで!」とか言うのがあったが、正に「きょうスタでやったるで!」といった気持ちになるから不思議である。

そんなことで、改めて今あることに感謝したい。

新体制に期待したい。

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戦後レジーム

ドイツ、フランス、イギリス、イタリアなど名だたるヨーロッパの諸国やアメリカが、いま難民や移民の流入によって崩壊寸前にあることはご案内の通りだが、日本も大幅なビザの緩和やJicaによるホームタウン構想など、かなりヤバイ状況にある。

世界で最も簡略な就労ビザや、円安インバウンドによる公共の場でのマナーやエチケット違反、さらに地域社会のコロニー化や犯罪の多発や治安の悪化など、日本の文化や伝統が破壊され、民族のアイデンティティーが失われる事態に憤りを覚えるのは私だけではないと思う。

まあ、グローバルな時代に、難民や移民の受け入れは人道的な立場から歓迎されるが、それも度を越すと、その国の伝統や文化、さらに民族のアイデンティティーを見失い、国家存続の危機さえ招き兼ねない。

とにかく、日本は戦後の愚民教育によって、国民がみんな生き甲斐を失い「宙ぶらりんの根なし草」になってしまい、そもそもリーダーたるものが、その地位に連綿としがみつく輩ばかりで、その最たるものが石破さんで、彼の言動は正に日本民族にあるまじき醜態である。

まあ、日本の覚醒を高市新体制に託すしかないが、せめて母国の伝統や文化、アイデンティティーを尊び守るために戦場に散った先人への気持ちを素直に感謝する国民でありたい。その意味からして、国歌斉唱や国旗掲揚に異議を唱える日教組は如何なる組織か、グローバリズムに名を借りた新コミンテルンではないかと思う。

いずれせよ、既得権にしがみつく悪党が暗躍する世相にあっても「渡る世間は鬼ばかり、食べて通るが精一杯、長いものには巻かれろ」で、あってはならないと思う。自尊自律にあって、美しき伝統や文化、身近なアイデンティティーを尊び、次世代に引き継ぐ崇高な意識がなくては、真の自尊自律はあり得ないからである。

そんな想いに、改めて、今あることに感謝したい。

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