昨日アマゾンから届いた高枝切りは、高齢者が使うにはちょっと重すぎたので、即座に返品処理した。やはりこのような大きなものは、店頭で実物をよく見て買うべきである。

まあ、現物を実際に手に取ってみないと、大きさや重量や質感、デザインや色味など、さらに使用感など、微妙なところがあるから難しい。さらに、なるべくものを買わないようにしているので、今後は消耗品は別として、耐久消費財は必ず現物を見てから購入しようと思う。

ところで、世間は妙に静まり返り、総裁選も他国の選挙のようで、イマイチ精彩を欠く。まあ、具体的かつ革新的な方向性が示されないことや、長く続いた政治への不信感や期待薄、それにコロナ禍も影響しているように思う。

また、新聞やNHKやマスコミなどの主要メディアが、何らかの勢力のプロパガンダであることが判明した現在、これらの報道にも関心や興味が薄れた。まぁ、国民や市民の意識を意図的に形成して、ある方向に導いていく事もそれなりに意味はあるが、それも将来の国民や市民に利益を還元するものであれば許せるが、それが、ある一定の支配層や階層のための国民や市民の意識形成であるなら、まさに中国独裁政権と何ら変わらないわけで、不安と危機感を覚えると同時に、私達庶民が「盲目が象に触れる」ような立ち位置では、行動を起こすにも課題がある。まあ、成り行きでは済まされないが、まともなリーダーを欠く今日、仕方ないものがある。

そんな訳で、今日も解体家屋の後始末、庭の土作りをする予定だが、自作小屋の製作は資材の運搬が苦になり、どうしても後伸ばしになってしまう。屋根のペンキ塗りもあるし、寒くならないうちに勝負しなければ、これまた新たな課題を生む。

とにかく、サンルーム風のパーゴラ小屋の製作が最終目標だから、気を引き締めて頑張ろうと思う。

すべてに感謝したい。

人生トラブル続きで再起動の連続だが、新たな視点に立って頑張ろうと思う次第である。

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下火

だいぶコロナも下火になってきたが、ワクチン効果も然ることながら、もとより自然界に存在しないウイルスであるからして、大自然の力によって浄化されてきたのかも知れない。

そんな中、私は解体家屋の後始末に追われ、顔と腕は真っ黒、免役強化に役立つらしいビタミンDの摂取も過剰なほどに、生粋のインド人にも引けをとらない。

まさに、コロナ禍を契機に自然回帰、ネットからも遠ざかり、太陽のひかりのもと、重い石ころや土砂の運搬に日々汗だくだく、権威筋による当世風の筋トレには覚束ないが、免役強化にはかなり役立っていると思う。今は庭に住むトカゲや蝶々や名もなき昆虫がお友だち、時折野良猫が様子見に訪れる。

そんな中、先日も一羽の若い鳩が庭に舞い降り、一向に飛び去る様子もなく、あちこち歩き回っている。何処か怪我でもして舞い上がれないのか気になるので、近づくと舞い上がりもせずに、ちょこちょこと逃げ回る。

カラスの餌食にならねばと心配しながら、昼食を済ませ庭に戻ると、何処かに行って居なくなっていたので、ひとまず安心した。

そんな中、見上げれば柿が赤く色づき、秋のお彼岸に趣きを添える。老木でとても高過ぎて手が届かないので、今年はAmazonからキャッチャーつきの高枝切りを新調し食べ頃を見計らって食してみようと思うが、そんな流れも食糧難への備えである。

コロナによる人口減少の加速、金融資本主義により、崩壊の一途を辿る日本経済に、先日も前日95円の安売りキャベツが、何と345円とはね上がり、ハイパーインフレを予見する値動きに、経済先行きの不安が高まる。まあ、多分取り越し苦労に終わると思うが、それでも、自分なりに果樹やじゃがいもやサツマイモなどの野菜を植え、いざと言う時には、飢えを凌ぐ対策を講じておくことも、戦火に焼かれ苦労した母の話しや想いを引きずっているのかも知れない。

まあ、こんな苦労をせず農地を借りて家庭菜園するのもいいと思うが、水やりに通うのが大変だし、余程まめでないと続かない。いずれにせよ、作物は正直だから、こちらも正直でないと務まらない。

日夜、大地とお日様と水と空気に、大自然の法理を学び、いずれは宇宙の塵となる身の上、その恩寵に心から感謝したい。

想いは果てしなく尽きることがない。今ここにあることを重ねて感謝したい。

それにしても、秋の夕刻はそれなりに風情がある。疫病退散を願うアマビエや二つ頭のヨゲンノトリに肖り、気兼ねなく安心して、大好きなレビューやコンサートやバレエを、今一度大手を振って楽しみたいものである。

人は人に傷つき人に癒される。とにかく頑張ろうと思う。

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情欲

美女が奏する弦歌の響きは情欲を持って人を惑わす。不浄なる想いは不浄なるものに惹かれ、その虜となる。

正に無明が織りなす意味なき人生、改めて愛の本質を問いたい。

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ご案内のように、習い事は発表の場がないとうまくならない。常識である。何事も、人の目にさらすことによって進歩発展するからである。巣ごもりや社会との絆を断ってしまったら、それ以上の進歩発展は望めない。

理由は簡単で、それでは時代の要求が分からず潮流に乗る機会を失うからで、自分の内側を深く内観すると同時に、外側にも広く目を開き、人の意見や考えをよく聞き、自分の意見も述べ、時にはディベートも必要である。

まあ、さらに言えば、平凡な日々日常も戦いであり、1日を生き抜くのも、神から与えられた試練であり辛く厳しいもので、決して労苦を惜しんではならない。

ところで、自民党総裁選も候補者が出揃い、各候補共もあらゆる手練手管を用いて戦いに臨んでいる。この戦いなくして、今の日本に未来はないし、結果は問わず、徹底的に日本の将来未来を語り尽くしてもらいたい。

総裁選は習い事で言えば発表会、その成果と進化で、これからの日本の未来が決まる。

一方、日々日常、戦いばかりでなく、癒しや安らぎも確かに必要ではあるが、その中にあっても、自分に厳しく切磋琢磨し精進することが不可欠で、生活は自我と非我、理性と本能の戦いもであり、その最適化を図ることこそ、人間味溢れる豊かな生活を享受できる秘訣である。

すべてのことに時がある。その時をその旬を見逃さない勘所こそ、その人の真価が問われる訳で、言葉でなく人の行為行動をよく観れば、全てが分かる。

しかしながら、今の日本は、馬鹿正直で絶対の信頼がおけた日本の製品もいつの間にかチャイナ品質に置き換わり、物心共に当てにならない信頼できない社会になってしまったが、そんな世相だから、何か一つくらいは、愚直に馬鹿正直であることも必要かと思う。

知識や知恵が増し加われば、狡賢く苦悩が増し加えられる。振り返れば、駆け引きやビジネストークの現役時代に、多くの時間を費やし馬鹿をみた。権威や権力に縋らねば生きられない社会だが、権威を信じ権力に縋ることほど愚かなことはない。

その場の真実や真理は、寡欲になれば、教えや宗教によることなく、容易に想像がつく。言葉でなく、行為、行動、事実にこそ、真実や真理があるからである。

そんな想いに、今日も身を引き締めて頑張ろうと思う。

今日のブログとは全く関係ないが、千里の道のりも一歩から、今は石ころや瓦や木片が混じっていても、創意工夫して何とかして大地を蘇らせてみたい。人生最後のプロジェクトに今日も頑張ろうと思う次第である。

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大地

今日も屋根のペンキ塗りは後回し、庭の土づくりに没頭した。多分明日もすると思う。道具は鍬とふるい、馬鹿げているが、何故か楽しい。

妻が勝手口から「頑張り過ぎ…やめたら」と言うが、やめられない。とにかく、解体家屋のガレや石ころや瓦の破片などを取り除くと、気分爽快、大地の生命力が復活するみたいで、力強い波動を感じる。

特に、今回の解体置場になって土に埋もれていた30年前の解体家屋の風呂場の床をハツリしてコンクリを撤去したら、封じ込められていた大地の生命力が復活したような感じを受け、遠目からもその違いがみてとれる。

とにかく、きれいな庭に仕上げたい。全力を尽くしたい。今の夢はこれだけ… 太陽と大地と水と、そこに住むトカゲや蝶々やトンボや名も知らぬ昆虫、それに直植えした庭木に、話し掛けるのが日課になった。

スマホもカメラも今はそこそこのスペックで充分なまでに進化し、興味も関心も薄れた。その一方、ガーデニングは自然が相手、収穫や結実を願うなら、それなりに時を意識しなければならない。そんな時を意識しなければならないところが気に入った。

なぜなら、自分自身も時を意識しなければならない存在だからで、晩節を迎え、コロナ禍にあって、多くの絆が断ち切られた今、本当に自分にとって大切な人やものが、朧げながら見えたきた。

そんな訳で、宇宙の塵、土から生まれ、土に帰る。そんな日常に大大満足、今日も明日も「成り行き」を友に、身近な出会いを大切に頑張ろうと思う。

すべてに感謝したい。

やはり、日本は100年遅れている。モノやお金に惨憺する生活に、そろそろ見切りをつけてもいいように思う。個人は勿論、社会全体がコロナを契機に、大きく意識転換し、人間味ある生活を享受できる社会になることを心から願いたい。

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平凡

昨日アマゾンからゲットした木製の「ふるい」は便利快適そのもの、使用感抜群で、やはり大は小を兼ねることを実感した。

それで屋根のペンキ塗りが後回しになってしまったが、午後からの雨、昨夜の雨から、後回しにして正解だった。

一夜明けて、雨模様の週末の土曜日、朝は何とか雨がやんでいたので、今年こそ手間の掛かる薔薇をフェンス脇に植えてみようと、良さそうな場所を掘ってみたところ、整地で取り切れなかった瓦や石が沢山でてきてショックだったが、気を取り直してフェンス傍を耕していたら、雨が降ってきたので中止、時間も10時半だったので、昼食の用意をすることにした。

定番のコールスローを作り、何かしようと思ったが、冷蔵庫を覗くとカレーの残り、鶏肉のソテーの残り、それに町内からお祭りのお赤飯が届き、妻が朝に作った厚焼きたまごもある。

それでも何か作りたいので、お湯を沸かして市販のラーメンを作って食べた。

食後は腹こなしに朝の続きをしたかったが、生憎の雨がやまない。それで2階に上がりベッドに転がって、小屋の屋根に使う単管パイプなどを調べているうちに撃沈、目覚めたら3時を回っていた。

長く寝すぎて身体が怠い。顔でも洗ってスッキリしようと思う。

ところで、離れの自作小屋で、やはり造作には水平水準をしっかりしないとダメなことが判明、それで、エントリーモデルのレーザー墨出し器を購入することにしたが、出費が嵩んで頭が痛い。

それでも床が斜傾していては気持ちが悪いし、柱も真っ直ぐでないと、それこそ見た目も本当のバラックになってしまうので、何としても避けたい。自分なりにパーゴラ風のものにして家族や知人にお披露目したいし、気楽に皆んなに使ってもらいたい。まあ、裏庭は隠れ家的なスペースな割には広いので、きっと誰にでも楽しんでもらえると思う。

それに、皆んなが楽しく寛いでもらうには、先ずは自分が寛ぎの人間にならねばならぬが、その辺のところは諸兄諸姉との交わりに学び努力して、ブラッシュアップしていこうと思う。

人は想いに生きる。その想いの本質を掴むまでは何としても死ねない。ポカーンと何かをどこかに忘れてきたような感覚、永遠に想いを馳せる自分の存在に、改めて存在の意味を問いたい。

今日も1日が暮れていく。すべてに感謝したい。

モノに支配されてはたまらないので、購入には更なる検討が必要かも…? 

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お彼岸前に想う

今日は離れの屋根を塗ろうと能書きを読み、実際に屋根に上って手順などを確認し、いざ始めようとした矢先、amazonから「ふるい」が届いた。

受け取りに玄関先に回ると、ふるいの柄がダンボール箱の外に飛び出ており、配達員が商品の状態を開封して確認したいと言うので、開封してみたところ、ふるいの木枠に何の損傷もなく、取り越し苦労に終わって良かったのだが、開封したついでに、大きなダンボールの外箱を持ち帰ってくれたので、クレームどころか当方としては有り難千万、配達員さんの機転の利いた計らいに感謝した次第である。

それで、開封したついでに、実際に使ってみると、極めて便利、快適にことが進み大満足、当然にしてペンキ塗りは後まわしにして、午前中は庭の土ふるいに没頭した。

ところで、私たちの身体は、宇宙の塵からできていることは、ご案内のとおりだが、そんな地上の生命リサイクルの舞台が地表面にあることは容易に想像がつく。

だから、悪戯に便利快適を求めて地表面をコンクリや構築物で被ってしまうと、地球と私たちの身体との電子レベルのやりとりが遮断されてしまう訳で、不快感や病の元凶になることは想像に難くない。

だから、都会人が週末に海や川や山に出かけて自然と触れ合うこともよく理解できる。つまり電子レベルで地球との情報交換を行っているわけで、私も黒光りした顔と腕になってしまったが、ガーデニングにはまってから、体調が幾分良くなった気がする。

そんなことで、家を建てる時には地鎮祭は欠かせぬプロセスで、それまで幾多の生命体が生まれ死んでいった霊的な働きを「祓い清め」、一旦精算する手続きが必要になる訳で、単なる儀式や金銭的な問題と捉える人もいるかもしれないが、多くの事象がそれぞれの思惑から成り立っていることからして、お軽るいのではないかと思う。

飛行機も電車もクルマも、私達の想いの結晶であり、想いこそすべて、人は想いに生きているからである。

そんなことで、晩節にして最初で最後の最大の断捨離ができたのは、皮肉にもコロナ自粛によるもので、人生いかなる時も、塞翁が馬、良くも悪くもない。捨てる神があれば助ける神があり、失恋や離婚すれば、新たな出会いが待っている。

そんな訳で、何事も終わらなくては始まらない。過去の遺産や栄光にいくらフォーカスしても、それが戻るハズもなく、戻ったところで、周りが変われば、無声映画のチャプリンのようなチンケな存在になってしまう。

時代は大きく変化している。グローバル化は誰にも止められないし、多くの権威が地に堕ち、生活意識やモノへの価値観が大きく変化した今、自分も庭に住まう虫けらと同じ生命体として、内なる真我に目覚める必要があるのではないだろうか。

形を為すものはすべて過去の遺物、私達の想いは留まることを知らない。それほど、私達は雄大で悠久な存在であり、内なる真我も常に移り変わっている。

そんな想いに、今日も不浄な想いを断ち切り、大自然の営みに歩調をフォーカスして頑張ろうと思う次第である。

この動画にあるように、今を大切にしたいと思う。

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9月も中旬ともなれば、真夏の日差しもおさらば、かなり過ごし易くなる。芸術の秋、スポーツの秋と洒落たいところだが、最近はすっかり食い気にハマってしまい「食欲の秋万歳」で、今日は地元のスーパーの安売りで手に入れたシイタケを豚肉で炒めて新たなるレシピを開拓しょうと朝から画策している。

そんな中、オリンピックも終り、世間はコロナと自民党総裁選に暇がないが、何故か日経が31年ぶりの高値を更新し、株価においては日本は好景気にある。まあ、景気もお天気も男女の関係も変化と多様性の中にハチャメチャ状態にあって、何が正当なのか理解に苦しむ。

まあ、本来ならこの時期にオリンピックだろうが、コロナや狂った国際情勢によるものなのか定かではないが、オリンピックの大赤字も公表されることなく、事務的に処理されていくのだろう。コロナや新たなる男女関係の多様性から、一段と少子化高齢化が進み、毎年政令都市規模の人口が消滅していく憂慮すべき状況にあることは、ご案内のとおりだが、何の対策も見え去らぬところに、この国の民主主義があり、市民国民が全く知らない分からないところで国の方針が決まっていくところに問題がある。

まあ、民主主義とは名ばかりで、自治体行政も国からの通達通りに運営されている訳で、政治行政の役割は単なる統治者のパペットであり、決して真理や真実を追及する生業ではない。まあ、誰もが物質至上主義、貨幣経済システムの支配下で、惰性とマンネリの狂った歯車を回し続けている訳で、ある程度は仕方ないにしても、その欲もほどほどにしないと、生命体としての機能を維持することも難しくなることを心する必要がある。

まあ、朝から批判めいたことばかり書き散らして申し訳ないが、本当に今の日本のリーダーたちの不甲斐なさには失望する。

そんな訳で、今日は天気がいいようなので、先日Amazonで購入したシール材が入ったペンキで、離れの屋根でも塗ってみようと思う。どうなるものやら、先ずは錆びを落とし、箒で掃き清めることからスタートだから、さしずめ今日は一畳くらい塗れたら上出来としたい。

まあ、健康管理と昼に食するシイタケレシピもあるから、とにかく張り切っていこうと思う。

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夏と秋

秋のお彼岸が近づくと、めっきり秋らしくなって、夕刻は風が冷たい。

コロナで町の秋祭りも、昨年に引き続き今年もお札と紅白のお饅頭やお赤飯は配布されるが、お神輿の巡回や屋台の出店などのお祭りごとはすべて中止、寂しいに尽きるが、神輿が 2年にもわたって町内の家々を五穀豊穣を感謝して巡って回らないとなると、自分なりに、お酒と供物を用意して、それらしき祝詞を上げる必要があるのかも知れない。

そんなことで、庭の柿も日増しに赤くなって20個ほど食べられそうな実が目視できるが、何せ手が届く高さではないから困ったものである。

いずれにせよ、今年も夏は完全におしまい、秋の夜風にカサカサと木蓮の葉が靡く。

今日は私のスペシャルカレーと餃子が我が家のメインディッシュだったが、明日は安売りのシイタケを使った料理に挑戦してみようと思う。

改めて、実りの秋に想いが募るが、と同時に無病息災に過ごせた「過ぎ去りし夏に」心から感謝したい。

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庶民

国がデフォルトになれば、多くの生活インフラや社会制度が麻痺してしまうから、健全な市民生活が立ち行かなくなる。

この動画の情報が本当かどうか定かではないが、日本のマスコミでは一切報じられていない。

その一方、日本の株価は昨日14日、30,670円と31年ぶりに過去最高高値を更新した。行き場のない余剰資金が株などに投機的に投資されているからだと思うが、生業で汗水たらして働く庶民にとって、とんでもない悪行いや蛮行であり、経済金融システムによるコンビニエンスの追求が、この結果を招いているものと思う。

まあ、余剰資金で株や債券に投資する位ならまだマシだが、信用取引やFXなどのレバレッジをかけた投機が常態化する社会は異常である。しかも、今や子供にお金の使い方や投資教育の必要性を重要視する傾向にあり、秩序なき物質至上主義や貨幣経済システムへの信奉には歯止めが掛からぬ状況にある。

まあ、世の中には、「やってやれないことはないがやらない」と言うことがあるもので、差し詰め「飲み打つ買う」などと言った道楽も、この手のものになる。まあ、世の中、悪いことの方が魅力があるし、面白いし楽しいから始末に悪い。結論を言えば、何事もほどほどと言うことになるが、人間の欲望にはきりがないから、危ないものには最初から近づかないことである。

そんな訳で、コロナ自粛で、これまでの生活に見切りをつけ、自然やアナログ的な労働に活路を見出した私としては、大金を出してグルメを食するより、汗水流して畑を耕し食べるおにぎりのほうが、今ではよっぽどおいしい。

労働や勤労こそが報いられる社会でなくては、健全な市民生活は維持できないわけで、日本の今の状況は、お隣韓国とは違う意味で危機的な状況にある。

貧しくも生活に必要になものはみんな整っている。昔に比べれば、それこそ月とスッポン、贅沢な快適な生活をしている訳で、コマーシャルやマーケティングによって人間の欲望を煽り立て、不必要な悪魔の歯車を回し続けるのもいい加減にしてもらいたい。正に社会悪である。

そんなことで、今日も朝から庭作りに励みたいが、何やら天候不順に悩まされそうな感じがする。いずれにせよ、かんかん照りより曇り日の方が作業しやすいし、多少の雨なら関係ない。

これまでに数え切れないほどの生命が誕生し死んで埋もれている大地から、そのメッセージをいただきながら、今日も1日元気に頑張ろうと思う次第である。

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