本能や野生や理性とも違う想いに、今夜は妙に一人でいるのが心地よい。すべてに感謝したいと思う。

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存在

こんなことはいつまでも続かない。メジャヴやデジャヴの世界に、今ここにあることさえ意味を失う。それでも、全てに感謝したいと思う。

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北方領土

国後·択捉·歯舞·色丹の北方領土4島については、日本の背後にアメリカがいる限り返還される訳がない。

それより、日本の技術力を持って実質的に4島を植民化し、同時に日本の文化を移植すれば、現地は首都モスクワとは掛け離れた辺境の地にある訳だから、日本との交流なくしては生活が成り立たなくなることは目に見えている訳で、その辺の駆け引きが微妙なところである。

いずれにせよ、世界でも最も美形が多いとされる地域との交流が進めば、第2第3のRossian Super Beautiesが誕生する訳で、こんな楽しく素晴らしいことはない。

何事も、利用活用しなければゴミであり、利用活用して初めて資源になる。「豚に真珠、馬に念仏」であってはならないし、主義主張やイデオロギーや宗教に囚われてもつまらない。人生はなるようにしかならないし、常にケ・セラ・セラ、楽しくやらなきゃ損である。

そんなことから、この週末辺りから、街はクリスマスの飾り付けやイルミネーションが一段と華やかになり、否が応でもクリスマスムード一色になる。

覚めてみればバカバカしいが、見えぬ世界を写し出す鏡とすれば、これもまたありかも知れない。

そんな想いに、見えぬ世界をイルミに写し、しばし現身を忘れて街を歩いてみようと思う次第である。

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プレクリスマス

11月も半ばを過ぎると、いよいよ今年もクリスマスシーズンを迎える。

街を彩るイルミネーションが、真冬の寒空に輝き、それだけで寒さが和らぐから不思議である。

人は想いに生きる。そんな想いに、愛と勇気と正義を信じて、今年の冬も乗り越えていこうと思う。

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母性愛

己に生きる者は、三界の欲の炎に焼かれ短命に終わるが、人様に生きる者は、何かと人様の頼みとされるから、長寿を全うするようである。

さしずめ、気立てが優しく楽天的で、自分のことはさておき、親や旦那や子や孫や犬猫に至るまで、世話好きで母性に生きる母親の姿が思い浮かぶが、そんな母親達は、理屈でなく現実をそのまま受入れ、全てを過ぎ超して生きている女(ひと)が多く、多分そんな生き方が「愛に生きる」ことなのだろう。

また、そんな女性は皆さん忍耐強く、男性より長生きしていて、90年代に長寿で国民的アイドルになった双子の姉妹「きんさん・ぎんさん」によると、長寿の秘訣は良いことも悪いことも忘れることだと言う。正に現実を素直に受入れ、拘りを捨てて今に生きることが長生きの秘訣のようである。そんなことから察すると、確かに歳を重ねると、神社仏閣などにお参りしても、具体的な願い事が浮かばなくなるから不思議である。

然れども、やはり大欲はいけないが、多少の夢や希(のぞみ)がないと生きてはいけないことは確かで、私的には小学校時代に立ち返って「挨拶をしよう。お片づけをしましよう。」程度の目標を毎日「今日の目標」に定めて暮らしている。

それにしても、意識せずに身近な楽しみを喜びとして、母性に生きられる女性は本当に大したもので、そんな視点に立てば、大義名分やイデオロギーにしか生きられない男性は、本当に馬鹿な生き物だと思う。

そんな訳で、天照大神の血を引く日本の母性に夢を託し、さらなる成長と発展を願いたいと思う次第である。

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昨日は秋を求めて、白金台の「国立自然教育園」を散策してみたが、平日だったので来園者も少なく、武蔵野の森を思う存分に探索することができた。

しかし、今年は11月の中旬としては暖かく、木々の紅葉もイマイチで、深まりゆく秋を体感したかった私としては、肩透かしを食ったようで、つまらなかった。

それに、普段ならその場その場で会話が弾み、それなりに楽しい交わりが持てるのだが、このところ人に話し掛けるのが妙に億劫になってしまい、昨日はそんな交わりも持てなかった。

まあ、木々の木漏れ日に巣食って獲物を待ち受ける大蜘蛛の様子も野鳥の声も、何か精彩を欠いているような感じがしたのはなぜだろう。不思議に思った。

それでも、繁華街や電車の中とは違い、空気の匂いがして、気分は爽快、足取りも軽く、改めて私達のルーツは自然にあることを実感した。

しかし、帰りは例の如く秋葉のヨドバシカメラに寄り、最近発売となったMacbook Airやガジェットを物色し、小田急で弁当を買って帰宅した次第だが、何かと自分の中に混在する「斬新さと自然回帰の想い」の落差には呆れ果てる。

まあ、何事も変化と多様性に満ちているから楽しく、バラエティに富んでいるから面白いのであって、毎日同じことの反復では退屈してしまう。改めて惰性とマンネリを嫌う自分を知る思いがした。

そんな訳で、伝統と超近代的なものが混在する日本は、やはり文明国の中でもピカイチだと思うが、そんな中にも「 井の中の蛙大海を知らず」となってはガラパゴス列島になり兼ねないので、積極的に新たな出会いに身を置き、頑張ろうと思う次第である。

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秋に想う

何もいらない… 何もほしくない

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出会い

人は想いに生きる。

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七五三

ご案内のように、七五三(しちごさん)は、7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝う日本の年中行事で、神社やお寺に「七五三詣で」をして、神仏に子供の健やかなる成長を報告し、感謝とその後の健やかな成長を祈願する奉告祭である。

特に、神道では産土神(うぶすながみ:生まれた土地の氏神)が、子供の健やかな成長に深く関わっていると言うから、有名な神社を選んで参拝するより、地元の神社に参拝する方がよく、また、子供達にとっても着慣れない衣装を着せられ、あちこち引き回されたら、嬉しくも楽しくもなくなってしまうから、近場の神社やお寺に家族揃って参拝する方がいいように思う。

そんなことから、我が家では先週の土曜日に、地元の池上本門寺に七五三詣でをしたが、特に下の孫娘は、私の退職後の隠居育爺生活の要だったので、衣装に合わせた和髪型を目にした時は、親馬鹿を遥かに超えた感覚を覚えた。

まあ、行き届かない育爺だったが、それでも一応元気に七五三ができたことがやけに嬉しく、その後の会食では普段飲まぬビールを飲みスッカリほろ酔い気分になってしまった。

そんな訳で、先日も地元のスーパーで、三歳の男の子を連れ、双子の一人をバギーに乗せ、もう一人を抱っこしていたお母さんに、思わず声を掛けてしまったが、多分退職後に育爺生活をしなかったら、赤ちゃんを覗き込み、声を掛けるようなことはしなかったと思う。

孫の成長もだが、七五三は私の成長の節目でもあった訳で、改めて全てに感謝する次第である。

ところで、話は元に戻るが、七五三は神社なのか、それともお寺なのか気になるところだが、そもそも、日本は多神教の国で、古事記によると、 伊邪那美命 の汚物から生れた神様もいるくらいで、世の中には、俗に言う「八百万神(やおよろずのかみ)」がおり、 森羅万象に神の発現を認める古代日本の神への観念は、今でも私達の心の中に深く息づいているように思う。

まあ、 グローバル化に伴い、「変化と多様性」の中に、差別や偏見から解き放たれ、真の自律と自由に生きるには、他の宗教を排除するような一神教にあっても、柔軟にFlexibleに、他を否定するような信仰では時代にそぐわない訳で、そんな視点に立てば、日本人の宗教観は近未来的である。

町内会のお祭りで神輿を担ぎ、 ハロウィンでは仮装して大騒ぎをし、クリスマスを祝い、お正月には初詣でをして、さらに、教会で挙式したりする訳で、まあ、そんなところが、 森羅万象に神を見る日本人の感覚や感性ではないかと思う。

まあ、放蕩を重ね妻子を捨てて出家し、挙げ句の果てに苦行を重ねて涅槃に至ったお釈迦様の生涯が、私達には「実践的な哲学であり指針であり鏡」な訳で、何事にも拘らぬ心が、幸せを引き寄せる秘訣に思える。

そんな想いに、今日も全てに感謝して、愛と勇気と正義を信じて頑張ろと思う次第である。

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黄昏

黄昏は寂しい。全てに意味を失う。

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