続新型肺炎

中国武漢における新型コロナウイルスの流行について、国際保健機(WHO)は、まだ「国際的な緊急事態」ではないとしているが、河北省で18人目の死亡が確認されており、2000万人近くを事実上隔離する交通遮断措置が、今現在中国当局によって講じていることからも、事態は深刻であり、予断が許されない状況にあることは確かである。

まあ、今回のことがpandemicにならずに、これで終息したとしても、これから日本は観光産業で国を立て直していく訳だから、国際的な生物兵器によるテロの防止も含め、それなりに早期に対策を講じていくべきではないだろうか。

感染源は中国に生息するアマガサヘビやタイワンコブラらしいが、ヘビの体内で生まれたとなると、イメージ的にかなり手強い耐性を持つウィルスのような感じがするが、こんな疫病が発生するのはやはり地球環境の悪化が原因ではないかと思う。

海に流せば希薄されて安全とか、空中に拡散すれば被害が及ばないとかの問題ではない。便利快適を求めるあまり安全や安心を犠牲にしたら何にもならない。とにかく、水や空気がきれいなところには疫病は発生しないから、保健衛生について、まず国全体で意識を高めていくことが必要ではないかと思う。駅や観光地のトイレなども清掃を徹底し汚さずきれいに利用する意識をこれまで以上に醸成して、観光客にも徹底していく必要がある。

そんな訳で、観光も見方を変えれば、移民や難民を受け入れるようなもので、よほど上手に対策を講じていかないと、オーバーツーリズムとなり生活環境の悪化につながる訳で、よくよく考えてみると、この政策自体が日本の風土にそぐわない失策ではないかと思われる。

確かに民間レベルの国際交流は大事だが、それもやはりハイレベルな意識を持つ学術や文化の領域であって、飲まず食わずや出稼ぎと言った低レベルでの交流では、お互いにメリットがなく、国際的な支援ならODAのような形で行ったらいいように思う。

まあ、鎖国とまでは言わないが、人的な交流ばかりでなく、食品や農産品や薬品などの輸入などについても、ある程度の規制は日本民族の存亡が掛かっているのだから、死守する必要があるのではないかと思う次第である。

なお、春節休暇を待たずして武漢を出発した市民は300万人に上るらしく、下手な検疫では心許ない。核兵器も脅威だが、ウィルスや細菌も脅威である。病気は治って元々、とにかく罹患しない罹らないことが大切である。慢性疾患も含め体調管理には自己責任で臨み周囲に迷惑を掛けぬことが大切だと思う次第である。

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新型肺炎


中国の武漢で発生したコロナウィルスによる新型肺炎で、17名が死亡し571名が感染しているらしいが、春節を迎え人の往来が激しくなることから、中国政府は武漢の公共交通機関の運行を全てストップし、事実上1,100万人の大都市は封鎖状態にある。

日本でも中国からの帰還者に感染者が見つかっており、現地でも邦人の感染者が出たらしいので、当分の間、中国からの観光客が訪れる場所には近寄らないない方が無難である。

ところで、最近どこに行っても中国人が目立つが、去年日本に来日した観光客は約3,100万人で、そのうち約1,000万人が中国からの観光客だと言うから驚きである。

最近、日本は「モノづくり日本」を返上して、国策でオリンピックやパラリンピックに便乗して「観光立国 日本」を目指しており、今国会で焦点となっているIR法案(カジノ法案)が成立すれば、ますます外国からの観光客が押し寄せるものと思われる。

また、政府はカジノを家族みんなで楽しめるエンタテイメント施設にしたいと言っており、家族皆んなで楽しめるカジノとはどんなものか見てみたいが、私的にはカジノを家族揃って楽しめるエンタテイメント施設にするには、ちょっと無理があるような気がする。

多分カジノは横浜にできると思うが、カジノは国際的な資金洗浄の場になるのが常識で、酒やドラッグや風俗などとも切っても切れない関係にあるから、かなり横浜の風紀も乱れると思う。

それに、いろんな人間が出入りするようになるから、公衆衛生上も好ましくなく、今回のような得体の知れない伝染病などは、横浜の市民にとってかなりの脅威となる。

そんなことから、今年も横浜では2月の末にカメラ機材の展示会であるCP+が開かれるが、その頃、また変な伝染病が流行らなければいいが、全く脅威である。検疫体制を強化して、日本への感染経路を早期に遮断してほしいと思う。

しかし、それにしても、何から何まで本当に得体の知れない社会で洒落恐ろしい。気力体力共に衰えを感じる私としては、せめてマスクの着用と手洗いやうがいだけは必要最低限の防備として欠かさず励行し、自らの衛生管理と体調管理に努めたいと思う次第である。

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雑感

昨年のクリスマスから年末年始の決まりごとや母校青学の箱根駅伝なども、ゴーンさんの国外逃亡劇や不穏なイラン情勢や北朝鮮の動向、それに世界的な金融不安などのトピックに揉み消され、さらにマスコミが一切詳細を報道しないことも手伝って、漠然とした不安感の中、時が悪戯に過ぎ去ってしまった感がある。

さらに、遅れて先週の週末に高尾山に詣でた時も、折からのお天気の具合や山頂の不味い蕎麦のせいか、その後も何かさっぱりしない感じが続く。

また、年明けから日中はあまり寒くなく、どうも今年は暖冬のようだが、朝晩は例年並みに寒いので、最近はめっきり起きるのが遅くなった。そんなこともさっぱりしない原因かもしれないが、とにかく気力体力ともに衰えを感じる。

そう言えば、今年は運転免許の更新で、年明け早々に初めて高齢者講習を受講したが、教習所の玄関先で、係りの人に呼び止められ、手厚い指示を受けたのは嬉しかったが、単純に喜べないものがある。

当日の受講者は9名であったが、やはり70歳と言う年齢は隠せない。正に自分も含めて皆さん老人である。約2時間の実技を交えた講習を終え、終わりの教官の挨拶では、運転の注意事項や体調管理や自動運転や自動ブレーキの活用などについてのアドバイスがあり、70歳からのカーライフに向け「はなむけの言葉」をちょうだいした。

確かに運転免許の返納も一つの選択肢だが、やはり田舎ではクルマに乗れないと何処へもいけない。山梨県は71%と人口に対する保有率が全国でも上位に位置する。その分、公共交通機関が未整備とも言える訳だが、高齢になっても運転する場合は、やはり自動ブレーキや自動運転などの新しい機能がついた車を運転した方がいいようである。

私は普段は全く運転しないので、今回の免許更新もどうしようかと迷ったが、妻に難色を示され受講料まで出して急かされたので、やむなく受講したが、苦手な縦列駐車が実技になくて助かった。

そんな訳で、バスや電車が四方八方、縦横無尽に走る都会とはとても比べようがないが、それでもさらに高齢化が進む訳だから、リニア開業を目途に、増える交通弱者の利便性を考慮して、少なくとも15分に1本くらいは幹線道路にバスが走る郷土山梨であってほしいと思う。



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長年使ってきたキャノンのプリンターが壊れてしまった。警告ランプを発しながら作動しない。取説を読むと5回の点滅はプリンターヘッドの故障とあったので、早速アマゾンに出品している中国企業からダメ元で購入したところ見事に蘇った。無条件に嬉しい。

ところで、毎年一月の大学センター試験の頃は大寒に当たり、寒さが一段と厳しくなる。雪が降る年もあり、2月の節分をピークに3月にならないと、三寒四温と言った言葉は使えない。

それなのに、今年は異常気象によるものか、朝晩は寒いが日中は3月なみに暖かい。私はこの冬は寒くなりそうな気がしたので、昨年早めにダウンのロングコートを買って防寒対策に万全を期していたが、この分ではあまり着ない内に冬が終わってしまう。

まあ、軽くて暖かいのでお気に入りだが、年明けのバーゲンセールで、何と5,000円もプライスダウンしておりガッカリした。気に入っているだけに2か月も経たない内にバーゲン対象とは…トホホ悲しくなったが、半額ではなかったことがせめてもの慰めである。

ところで、そんな買い物事情を此処でちょっと深掘りしてみると、グローバル化や少子高齢化の中、新技術の開発や新分野への進出が成功や生き残りの秘訣と言われる一方、既存の分野では終わりのない価格競争から、信用や信頼、品質やアフターケアを重視する日本型のビジネスモデルではコストが嵩み経営難に陥ってしまうらしい。

簡単に言えば、グローバル化した社会では技術革新の速さに呼応して社会のニーズも常に大きく変化するから、大半が悪かろう安かろうの100円ショップ型のビジネスモデルになっていくようで、結局は古いものはダメ、使い捨て、大量生産・大量廃棄、長く使えるモノは作らない。と言った流れになるのではないかと思う。

まあ、いつも100ショップのお世話になっている私のような貧乏人は物価が下がるデフレ環境はありがたいが、社会全体からすれば、終わりのない価格競争は賃金の低迷や所得の低迷を生み、世界的な低賃金労働や低所得化につながっていく訳で、グローバル化によってもたらされるものは、正に低賃金労働市場と言うことになる。

さらに、生み出される富の多くは、ほんの一握りの資本家や支配層のものになってしまう訳で、日本では小泉内閣が構造改革に踏み切った時点で、今日の庶民の低所得化は予想できたはずである。なぜなら、生産コストは賃金が低い後進国の方が断然有利だからで、先進諸国はこぞって生産拠点を国外に移転する事は自明の理であり、賃金水準は相互に影響しあって一定の低水準に落ち着くようになるからである。

つまり、グローバル化とは世界的な低賃金労働市場を創り出し、低賃金で富を生み出す経済生産システムによりモノによる世界制覇を目指すもので、一部の資本家や支配層を除き、New World Orderの掛け声の下、ビッグデータとAI化とブロックチェーンによるキャシュレス化に伴い、ほとんどの市民や庶民は、集積された個人データから格付けされ峻別の果てに、彼らの奴隷や家畜にされてしまう訳で、ビッグデータと人工知能に検索をかけ、物事を判断している私達の今日の状況を踏まえると、名実ともにスマホは現代の神器であり、クラウドにある遥か彼方のAIとビッグデータは、私達の将来を左右する神そのものと言っても過言ではない。つまり、敬虔なクリスチャンも現実にはAIが神様なのである。

まあ、安全、安心、便利、快適を求め続けた結果が、社会の拝金主義やお金に絶対の価値と信頼を寄せる守銭奴を生み、相互の信用や信頼の喪失、偽善や疑惑や不信による社会の分離や分裂や分断、孤立や孤独を招いてしまう訳で、あまりにも悲し過ぎる結末に唖然とする。

そんな世相に、私的にはいつも信じて疑わずして無条件に私達につき従ってくるワンちゃんたちの姿には、癒されると同時に、私達が突き進もうとしている社会や世界への警告にも思えてくる。

まあ、忠犬ハチ公ではないが、運命共同体とでも言ったらいいのか、掛け替えのない特別な関係とでも言うのか、人の数、生き物の数だけ幸せがあり、愛は個別に存在し、決して平準化や序列化やマニュアル化やノウハウ化し得ないばかりか普遍化さえできないもので、当事者しかその価値は分からないものと言える。

そんなことから、これから進み征く社会が、一刻でも早く富の集積から解放され、さらに、様々な社会システムやイデオロギーからも解放され、私的には全ての存在が個別の愛に生きられる社会になればいいと思うが、それこそ虚言(そらごと)、無知蒙昧の為せる業、自己矛盾に満ちた妄想、妄言、虚構、幻想に過ぎない。

悲しきかな我が妄想、しかし、その妄想や妄言、虚構がなければ一刻も生きられないことも現実である。普遍的かつ不滅な価値をお金に求めようが、神の愛に求めようが人それぞれに勝手だが、全てが死すべき運命にあることを忘れてはならない。

そんな想いに、全てに感謝し、日々日常に死欲とも思える行為を繰り返す現代社会の現実に、改めてその場の幸せに生きる難しさを痛感する次第である。

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The road to hell is paved with good intentions. (地獄への道は善意で敷き詰められている)と言う言葉があるが、善意や正義を振りかざす人ほど利己的な人間はいないとも言われ、未だに自分自身を写し出す鏡が見当たらない私としては、妙に納得できる言葉である。

確かに、自分が知り得た限られた知識や経験で正義や善意を語るのは、おこがましく愚かなことである。自分の行動規範とするならまだしも、人に押し付けては傍迷惑だし罪になる。

なぜなら、私達が持ち得る善意や正義の前提となる知恵や知識や経験は、父母の教えや教育や社会通念や常識に始まり、単なる一世代の所産に過ぎないからで、不完全極まりなく、よって立つ理性や知性ほど当てにならないものはないからである。

そんなことから、時には道徳や社会通念や常識から掛け離れた感覚や感性の方が的を得ているケースもあり、感情や情動を一方的に押し殺すのも考えものである。

さらに、今の社会は、基本的に弱肉強食、力としての武力やお金、権力や権威や法律、正義や善意などから秩序立てられており、ある意味において時代の成り行きでもあるからして、真実でも普遍的な真理でも価値観でもないからである。

つまり、私達が暮らす世界や社会は、私達人間が創り上げた虚構や虚像の所産であり、夢や幻、妄想や幻想に他ならないのである。

そんなことから、信じて疑わぬ愛も、時には足枷や頸城となり、時には依存や支配となり、癒しや安らぎ、信用や信頼、親切心や思い遣りも時にはお節介となり、愛も悪徳や罪にもなり得る訳で、愛を形にすることの難しさを痛感する。

そんな訳で、難しいことはさておき、未だに自分を写し出す鏡が見当たらない私としては、今日もその場の色気と食い気に、愛と正義と勇気を探し、自分なりに自分を信じて頑張ろうと思う次第である。

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想い


断捨離とは単に物を捨てることではない。物を手放すことに始まり、時には自分の心や身体さえ、自分のものではないと言う境地に至ることで、全て借り物、我に非ざる、つまり非我なる自分に至ることにある。

当然にして、生きている限り欲望は尽きない。だから、湧き上がる想いを捨て去るのではなく手放すことで、心の平安や安らぎを得るしかない。

簡単に言えば、自分を信じて頑張る中にも、時には気前よく諦める心を持つことで、その極意は「宵越しの金は持たない」江戸っ子の気風にある。

まあ、人生はその失敗の数だけ楽しい訳で、目標を持って頑張ることも大切だが、諦めるときは気前よく、想いを手放せる勇気を持つことが、日々日常を楽しく気楽に生きる秘訣ではないかと思う。

もっとも、世の中はよくしたもので、捨てれば何かしら代わりのものが現れる訳で、正にお釈迦様の言われる通り「物事に執着」する必要はない。

そんな訳で、成人の日も終われば、冬の寒さも節分に向かって増すばかり、昨年の節分に、大学合格祈願の絵馬やお礼参りの人で賑わう湯島に梅を観に行ったことが昨日のことのようである。寒い日でLINEの文字が打てずに電話に切り替えたのを思い出す。ネギの匂いに誘われて駅前の立ち食い蕎麦の美味しかったことが忘れられない。

つくづく、全てに感謝したいと思う。

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愛の形


人を好きになることは罪ではない。明日をも知れぬ現実に、私達はもっと素直に生きてもいいように思う。

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愛とは?

愛とは? 私達の心を揺さぶる愛の本質とは何なのだろう。改めて変化と多様性の時代に、私達の社会制度や常識について、先人の勇気ある行動をヒントに考えてみようと思う。

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池上線


記憶では20年位前にヒットした曲である。当時は池上線など全く縁がなく、歌詞にある沿線の様子など知る由もなかったが、この4、5年前から馬込の孫の家に出入りするようになって、五反田や戸越や蒲田から池上線を利用することもあって、断然この曲が好きになった。

ところで、今日は今年最初の連休中日だったので、それこそ30年ぶりに高尾山にストリートフォトに出掛けてみたが、天気予報が雨だったせいか人出も少なく、結構ゆっくりゆったりフォトすることができた。

もちろん、往路はケーブルカー、復路はリフトを利用したが、ケーブルカー駅を下車して少し歩いていくと峠の団子茶屋があり、やけに「みたらし団子」が美味しそうに売られていたので、買い求め食べてみたが、クルミ味に甘辛のタレが絡みとても美味しかった。

場の雰囲気もあり、結構の人が買って食べていたが、人間の身体は正直なもので、食べたら温かくなって脚が軽くなったような気がした。それから途中の薬王院を散策しながら山頂に向かったが、都会のハイキングコースらしく遊歩道がしっかり整備されているのはいいのだが、私的には何となく物足りなさを感じた。人間とは本当に欲の深い贅沢な生き物である。

そんなことで、山頂に着くと、あいにく富士山は見えなかったが、それなりに視界が開け、お弁当を広げる人達の笑顔と歓声に、私も別に腹も減っていなかったが、物は試しと、峠の茶屋で蕎麦を食べてみたが、ネチネチした妙な食感で美味くなかった。

まあ、ご案内のように、高尾山の山頂はあまり見るところもないので、暫く山頂で休み中間地点のリフト乗り場を目指して下山したが、途中後ろから何組も子供達のグループに追い抜かれ、歓声を上げながら走り抜けるヤンチャぶりに引率者が手を焼いているのが可笑しかった。

リフト駅に着くと、何やら気温がぐっと低くなり一瞬「ケーブルカーにすればよかったかな」と思ったが、いざ乗ってみると、上りコースより下山コースの方が一気に下界が見下ろせ正解である。高尾山の下山にはリフトを進めたい。往復切符を買うと割引きがある。

そんなことで、帰りは電鉄の駅に通じる茶屋で、暖を取りながら酒まんじゅうを試食してお土産に買って帰宅したが、今回の高尾山は参拝そっちのけの食べまくりハイキングになってしまい、我ながら笑ってしまう。まさに旅はグルメであり、日常性の打破に他ならない。

そんな訳で、話を元に戻すと、同じ電車でもやはり山の手を走り高尾山に乗り入れる京王線と京浜地区の商業地や住宅地を走る抜ける池上線とでは、沿線の雰囲気がまるで違う。私的には昭和のレトロな雰囲気が未だに残る庶民的な池上線の沿線の方が好きである。

そんなことから、今度ラーメン好きの孫娘と池上線の沿線でラーメン行脚でもして、歌詞に歌われる池上線が走る街の雰囲気を味わってみようと思う。

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再選万歳!


4年に1度の台湾の総統選は、民進党の蔡英文総統が香港の政情混乱を追い風に、大差で対中融和派の最大野党国民党の韓国瑜高尾市長(62)らを退け、再選を果たした。

本当によかったと思う。確かにAI時代を迎え、自由主義体制は共産主義体制に比べ、様々な協議や調整が必要なため、直として様々な施策が進まないところもあるが、少なくとも中国共産党の独裁体制のように、個人の自由や尊敬が無法に侵害されることはない。台湾の人々は賢い選択をしたものと思う。

ところで、最近の台湾は、IT技術の分野で今や世界の最先端をいく技術力がある。そんなことから、ガジェット好きな私としては、台湾には唯ならぬ近親観があり、この度の選挙結果には大満足で嬉しくて堪らない。嬉し過ぎて、先ほど昨年夏に山梨に遊びに来られた友人に、お祝いのラインを送った次第である。

そんな訳で、今夜はやたら気分がいい。全てに感謝したいと思う次第である。

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