スイカ

自然は優しい

品種は小玉スイカだが、ラグビーボールくらいの大きさでとても甘い。葉っぱに隠れて意外なところに転がっていて、多分10個くらいはあると思う。恵みである。

対して、世俗の理にはいろんな要素が絡み合い、時代の流れも早すぎて、とてもついて行けない。せめて自分を写し出す鏡くらいは持ちたいがそれも叶わず、相変わらずの根無草、困ったものである。

それにしても暑い。オッチャン頭燃えてるでぇー… 涼しくもエアコンの部屋に閉じこもっていては気が塞ぐ。目指すは未練なき次元上昇にあれど、日々の目標も儘ならぬ内に尽きてしまうような気がしてならない。

そんな想いに、恵みのスイカをいただき、大地と天空に想いをつなげたい。改めて、今あることに感謝したい。

やたら甘い

韓国の歌番組だが、日本からの歌心りえさんには恐れ入った。確かにこの曲の歌詞にあるように、私達の美しい地球を守り大切にしなくてはならない。50歳にしてブレイクとは、なぜ日本にて発掘されなかったのだろう。逸材だと思う。

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頭ブン

ぶん…

連日の猛暑で頭がぶん、猛暑でもってぶん、猛暑でもってぶん、そんなこんなで今日もぶん…で日が暮れる。

そんな酷暑の中、昼にチャンポンを食べに行くことになり、激辛チャンポンを食べたが刺激的な割にはうまかった。いつもなら水を撒く時間だが、何やら一雨降りそうな雰囲気なので、様子見しようと思う。

そんな訳で、スイカが豊作で試食のスイカが甘くてスイート、カミさんの大喜びにはぶんブンである。

改めて、今あることに感謝したい。

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昨日の酷暑は何だったのだろう。朝の清々しい冷気に、畑の野菜やトカゲのトゲちゃんやカラスのカー子ちゃん達との新たな1日が始まる。

感謝である。感謝しかない。

改めて、今あることに感謝したい。

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暑い

3つあります、2、3日後が食べ頃かな?

身体の細胞の更新速度
脳は1ヶ月で約40%、遅い細胞で約1
胃の粘膜は約3
腸の微絨毛は約1
肝臓は1ヶ月で約96%、遅い細胞で約1
腎臓は1ヶ月で約90%、遅い細胞で約1
筋肉は1ヶ月で約60%、遅い細胞では約200
皮膚は約1ヶ月
血液は100120日間
骨は幼児期は約1年半、成長期は約2年未満、成人は約2年半、70歳以上は約3
肌は10歳代で約 20日周期
20歳代で約 28日周期
30歳代で約 40日周期
40歳代で約 55日周期
50歳代で約 75日周期
60歳代で約100日周期

と意外とスピーディーに入れ替えが進む。

しかしながら、この連日の猛暑では、健康を維持する運動や睡眠や食事も儘ならなず、新陳代謝どころではない。困ったものである。

そんな中、今日は涼しい内にと朝イチで近所のヘアサロンに出掛けたところ、待ち合いもなく、次の客も来なかったので、髪結いの四方山話しに花が咲き、いつもより遅めに、こざっぱりして外に出るとそこは灼熱の猛暑、歩かずに自転車で出掛けて大正解である。

快適にサイクルして家に戻ると、いつものように、カミさんが意味ありげに薄ら笑いを浮かべながら「短くていいじゃん」と誉めてはくれたものの恐らく本心は「いけず、変な顔」である。

そんなこんなで、今日もやたら暑い。いくら風が通っても熱風では始まらない。部屋の窓や戸は開けっ放し、換気扇はフル稼働だが一向に涼しくならない。以前のようなナチュラリストでは最近の暑さはとても対抗できない。エアコン全開にして小部屋に籠りひたすら夜風を待つ生活だが、畑の野菜やトカゲのトゲちゃん一家の奮闘ぶりには頭が下がる。

しかし、この暑さは異常である。地球規模からすると氷河期に突入しているらしいが、現実は酷暑だから何かしらの温暖化対策は喫緊の課題である。やはり、CO2削減は必要不可欠かも、海水にもかなりのCO2が吸収され生態系に悪影響が出ているらしい。

まあ、地球は本来一つ、万物は一つに集約されるから、みんなが譲り合わず身勝手、好き勝手を極めていては、分断や分裂が進むばかりで、生態系が乱れ物事が終息に進むどころか、崩壊や破壊に進んでしまう訳で、その辺ところは、規制緩和によるデタラメを許さずして、社会秩序の適正化を図るに尽きる。

そんな思いに、今日も1日が終わる。孫たちは夏休みで沖縄に出掛けているが、台風の影響は受けないようで一安心、頭を海面から持ち上げて呼吸するウミガメとのツーショットには笑える。

若い時は二度ない。海や山に胸踊る青春は二度とない。そんな想いに、今夜は冷たいソーメンでもして、二人して身近な涼を楽しもうと思う。

改めて、今あることに感謝したい。

https://youtu.be/T37ScwQz6g8?si=cGAtzpys9crLFw2w

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夜…

過ぎ行けばかくありなん、すべてに意味を失う…

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日常

アロエは乾燥地帯で生き抜くために、たくさんの水分を蓄えている。その水分量はなんと、葉全体の95%、ゲル状の葉肉の99.5%。この驚きの保水力は、アロエが特殊な光合成を行っているからで、一般的な植物は、昼閒に葉の気孔を開いて空気中の二酸化炭素を取り込み、日光によって光合成を行い栄養を取り込むのに対して、アロエは、昼閒は気孔を閉じて水分が失われるのを抑え、涼しい夜に二酸化炭素を取り込み葉肉の中に栄養を貯蔵する。そんなアロエには強い日差しや紫外線に対する抗酸化力があり、これらアロエの強い生命力を私達は健康や美容のために日頃役立てていることは、ご案内の通りである。

そんなことから、私は時々アロエの葉を食べたりしているが、寝室の空気清浄効果を狙い、寝室の日当たりの良い窓辺にアロエを置いている。アロエが新鮮な酸素を毎夜供給してくれると思うと何となく心強く嬉しくなる。

まあ、世の中、何が功を奏するものか、意外なものが役立つたり、反対に悪さをしたり、TPOやバランスが大切なことは言うまでもない。

そんな中、昨日は夜に瓦礫の運び出しをしたが、電気のフロワーカーペットの重いこと運び出すのに一苦労した。別に埃を被った訳でもないが、気持ちが悪いのでシャワーを浴びて休んだが、梅雨時はちょっと動くと汗ばむので、最近は朝昼晩と日に3日シャワーを浴びているが、こんな生活をしていると猛暑の街には繰り出せない。

以前赤坂見附の地下鉄の駅でエアコンの吹き出し口に立って猛暑の熱気を冷ましたことがあったが、今考えてみると、フィルター掃除が行き届かないカビや埃塗れの新鮮な冷風ではなかったような気もする訳で、ご機嫌で冷風に当たるのも考えものである。

そんな訳で、今日も一日が始まる。部屋のアロエに感謝し、畑のトカゲのトゲちゃんの子供たちカラスのカー子に挨拶して、今日も頑張ろうと思う。

改めて、今あることに感謝したい。

それにしても、日本人は単一民族と言うのは真っ赤な嘘、モンゴル、中韓、南方や半島本来の現地人との混血というのが定説で、私は何故かラテン系のミュージックに惹かれることから、海洋を経由して渡来した輩の末裔ではないかと思う。フランス、イタリア、スペイン語など、実に心地よい。そんな気づきに、人生は知らないことばかり、改めていろんなことにチャレンジしたいと思う。

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生活空間

「花の都パリ」は憧れでしかない。一見して同じように見えてもやはりそこには100年の差がある。何て美しい街並みなんだろう。こんな街に生活できたら幸せである。

梅雨の蒸し暑さに、想いを新たにした次第である。

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中国

中国による静かな侵略が進んでいる。日本も近い将来、中韓に準じたお国柄になってしまうのだろうか?

改めて、憂国の想いを新たにする次第である。

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総括

都知事選後の候補者とメディアとの会見で、石丸候補の応答には相手を見下すような態度や言葉が見受けられ、不快でしかない。改めて、人材不足を痛感する次第である。

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日常

今年は7個…

今年のかぼちゃは美味しくない。水っぽくて味がしない。適当な種をつかったので無理もないが、来期は種を激選してクリかぼちゃの種で再挑戦してみようと思う。

ところで、米ハーバード大学のエレン・ランガー教授(心理学)は「感情は囚われに基づいている」と言っているが、オーストラリアの精神科医アルフレッド・アドラーが提唱する「感情には目的がある」と言うのが感情についての定説で、どちらも的を得た言葉ではあるが、イマイチ食欲や性欲と言った生理的な欲求との関連性が掴めない。

疲れると甘いものや脂ぎったラーメンや濃厚な丼物が食べたくなるが、そんな感情をセーブするとモヤモヤしたものが残り、目的と言うか囚われている気がする。

そんな感情に振り回される毎日だが、感情や情動は必ずそれを呼び起こすキッカケがある筈で、その辺の思考回路を辿っていくと、その発端はやはり目からの情報ではないかと思う。

その意味から、部屋に余計なものがあると気が乱れる訳で、家相や風水などをお手本に、観葉植物や香炉などを部屋のあちこちに置くのも考えものである。

そんな中、ミョウガがそろそろ収穫期を迎え、年々株が広がってくるので、お得意のツルハシとシャベルで手前を掘り起こし根が伸びるようにしてみたが、見事に瓦礫のオンパレードで、ミョウガもよく場所を選んで根をはっているものと感心した。

そんなミョウガは妻が生協で苗を買い、どっかに植えてと言うから、苗の本数分畳み一畳ほどを掘り起こし植え付けたが、3年目にしてとんでもなく手前に広がり、それならと手前を掘り起こした訳だが、所狭しと瓦礫が埋まっていたのには恐れ入り屋の焼き蛤である。

そんなことで、今日もそれなりに日が暮れる。誰もがそれなりに一日が終わり、夜に英気を養い明日に備える。私は隠居の身だから安楽だが、意欲的に活動している人は時間に追われ意にそぐわないこともあったりして、かなりのストレスを抱えていると思う。正に「三界は安きことなし猶火宅の如し」で、その感情も情動も何によるものか、その方向性も分からず、どうしたものか苦しんでいるのではないだろうか?目的も理由も分からず走り続けていては仕方ないが、多くは単なる思い込みからの現実(実存)に過ぎない故に、改めて人生は意味不明であることを痛感する。

それにしても、7月も中旬を迎え、部屋の除湿機は連日フル回転、早く梅雨明けが来ることを願わざるを得ない。猛暑は嫌だし雨もテンションが下がり宜しくないが、真夏の夕立には、子供の頃を思い出す。夕立が立ち去ると急に涼しくなって、道路の水溜りにアメンボが泳いでいた。今ではじゃり道道路など滅多に見当たらないが、私が子供の頃は街の中でもそれが当たり前だった。電信柱はコールタールが塗られた木柱で、夕立に会うとそんな記憶が脳裏を掠める。

そんな想いに、Bryan FerryのHard rain’s gonna fallが聞きたくなった。ロキシーの大御所78歳になる。虫唾が湧く気持ち悪さが堪らない。長生きしてほしいと思う。

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