免許証

昨夜は夜中に目が醒め眠れそうにないので、明け方まで炬燵に転がり、取り留めのない時間を過ごしてしまった。睡眠不足はアルツになると言うから怖いものがある。

そう言えば、昨日は運転免許を更新したが、これと言った目新しい感覚も記憶もなく、とんでもない昔のことのように思えてならない。

時に、身体から意識が離れていくような奇妙な感覚に襲われるが、こんな感覚はアルツの初期段階かも知れない。

そんな訳で、時間軸が吹っ飛び今日も終わるが、過ぎ去れば全てに意味を失う現実に、改めて生きる儚さを感じる次第である。

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何もしたくない…雨の日は…

今日は朝から雨で菜園が出来ないので、昼はコンソメで野菜スープを作り、ウインナソーセージをボイルして卵を添えてランチしたが、手抜きの割には旨かった。

そんなランチにワンちゃんを連れてカミさんが食べにやってきたが、いつの間にか、そんなランチが常態化して、食後にワンちゃんは8畳二間を走り回るのが楽しいらしく走らないとハウスに戻らない。恐らくフローリングと違って畳は滑らないから走り安いのだろう。今日もひとしきりカミさんと部屋の中を走り回り母屋に帰って行った。

一方、私は食後の一休みと炬燵に転がりうたた寝し先ほど目覚めた次第だが、身体が重ダルく何もしたくない。デジタルファイルの編集や整理も手付かずで、何とかしなくちゃならないが、なかなかその気になれず困ったものである。

ところで、最近EVのデメリットが明るみになりハイブリッドの優位性が取り沙汰されているが、確かにスバルの水平対向エンジンなどは低重心左右シンメトリーにして優れたエンジンではあるが、その一方、構造上の欠陥でもあるオイル漏れやメンテの煩雑さには課題が残る。

それに引き換え、EVはオイル交換もなければ冷却水の点検などもしなくていいし、自宅で充電すれば、余程の遠乗りをしない限り安楽に間に合う。これからバッテリーの改良が進めば爆発事故もなくなり、静かで出だしもいいから、これからはやはりEVの時代ではないかと思う。

まあ、手工業から蒸気機関へ、さらに動力から電動化へと技術進化してきた訳で、電動化は時代の趨勢と言える。AIやセンサーやバッテリー技術の進化に期待したい。

それにしても、スマホやモバイルバッテリーの爆発事故があるようだが、それら電子機器のエンドユーザーとしては、強い衝撃を与えたり低廉な中華製品に手を出したりしなければ、100%とはいかないまでも安全ではないかと思う。

とにかく、雨の日は退屈である。降り頻る雨の音に、改めて雨風防げることのありがたさを感じる次第である。

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昨日は一代奮起して、カルスNC-Rを落ち葉に混ぜ込み堆肥作りをした。昨年カボチャを植えたところに穴を掘り、庭の落ち葉を放り込んでカルスを混ぜ込み土を被せたが、それなりの穴をツルハシとシャベルで穴掘り三度笠した訳だが、午後には雨になると言うから張り切り過ぎて草臥れた。

そして、今日は朝から雨、それにちょっと肌寒い。まあ、本格的な春に向け「三寒四温」にあるのだろう。

そんな中、世間では石場さんの新人議員への商品券配布問題が取り沙汰されているが、もっと市民生活に密着した課題があるだろうが、私達庶民の生活を守る生活環境の整備や食糧の安全管理や供給など、農水省OBが多数天下りしているJAの提言に従い減反したら米不足になったなどと農水省が述べているようだが、何とも寂しい話しである。

正に、今の日本は利権利得国家、誰もが業界や組織絡みなのは仕方ないが、それもほどほどにする倫理観やセンスは失ってはならないと思う。

そんな訳で、今日は雨日にゆっくり休んで英気を養い、明日は自動車の運転免許の書き換えに参じようと思うが、変化と多様性の時代を迎え、改めて起こり得る災害や災難に対して、時代の流れを読み解くスキルの必要性を痛感する訳で、ボンクラに過ごしていられない。広く情報をかき集め、自分なりに対策していこうと思う次第である。

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小梅

畑の隅っこに植えた小梅

昨年秋にホームセンターで購入した小梅が本命の南高梅に先立ち可愛い花をつけた。実がなるのを楽しみにひたすら待つしかないが、何時になるやら、下手をすると間に合わない。一人漠然とした寂しさに、ひたすら天空への想いが募る。

何処かに大切なものを置き忘れたような感覚に見たこともない光景が脳裏を掠め、時間軸がバラバラになって全てに意味を為さない。

そんな想いに今日も1日が終わる。ガーデニングに心地よい汗をかき、早めのお風呂に浸かりながら檜の香りに揺らぐ自分に、図らずも見上げた夜空に満月が意味ありげな光を送ってよこす。

改めて想いの意味を考えてしまうが、それよりなぜ人や愛に憧れや夢を感じたのだろう。全ての記憶が満月の光に照らされ、多くが漆黒の闇夜に消えていく。そんな感覚に、改めて今あることに感謝したい。

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菜園ホリック

日本人は西欧人や黒人と比べ骨が細いから、無理をして筋肉をつけたりすると身体のバランスが崩れ怪我をし易くなったり精神的に不安定になったりするらしい。

日頃フレイルやサルコペニアの不安から筋トレの必要性を感じていたところ、こんな投稿を目にすると二つ返事で納得するから笑える。

特に最近は嫌なことは全くしないから、筋トレはハードルが高い。その分、家の雑用や趣味のガーデニングに小まめに身体動かしているが、それで今のところは精一杯、気楽安楽に1日が終わるから、益々筋トレから遠ざかっていく気がする。

確定申告も終わり、妻や友人からの頼まれ事も終わり、Diyした石油給湯器も電気温水器より水圧が強くなり絶好調、灯油代は嵩むがその分快適だから仕方ない。鉢植えしてあった種無し金柑も地下ろしでき、本格的な春の到来が待ち遠しい。

そんな中、今日は日中気温が22℃と五月を思わせる日和だったので、久々に本腰を入れて畑を耕した。耕していると、お友達のヤマガラの山ちゃんや野鳩のポッポが、何処からともなく飛んできて、掘り起こした土の中に虫でもいるのか、歩き回りながら頻りと土を突いている。彼らには私は単なる畑の案山子ならぬ「人畜無害の作男」なのか、近づいても逃げない。そんな他愛のないことが最近はやたら嬉しい。

そんな訳で、部屋に入りネットを覗くと図らずも農作物の薬剤散布の動画がヒットした。園芸は4年目だが液剤の希釈など改めて動画で確認できるので助かる。初年度は無農薬で始めたものの病虫害に一溜りもなく駆逐され、自然界の掟を嫌と言うほど味わった。

まあ、薬剤も程よく使い、何とか今年も豊作に終わりたいものである。そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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寒戻り

春の日差しに浮かれていた分、外の冷たい雨音に気分が滅入る。三寒四温ならしも風情はあるが、近頃の気圧や気温の変化は激し過ぎてついていけない。冷えに気をつけ無理をせず体調管理に努めるしかない。

時にこんな動画を拝見すると想わず「何で生きているのだろう」と自問してしまう。心此処にあらず、期せずして想いに生きる自分がいる。

改めて、今あることに感謝したい。

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人は想いに生きる。新たな出会いを信じて頑張ろうと思う。

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ガーデニング

日中16℃と4月中頃を思わせるお天気に、いつになくガーデニングに汗を流した。当初は瓦の欠片や敷石や小石や粘土質の水捌けの悪い土もあって、気持ちが凹んだが、根気強く牛糞や鶏糞で土壌の改良を進め、今では大地と話しができるほどになり、一鍬ごとの手応えに、大地が喜んでいるかのような感覚を覚える。偏に五穀豊穣を祈り、自然界の摂理に触れる喜びは何物にも替えがたい。

天空と大地の間に分け入って、生命エネルギーの受け渡しをしているかのような感覚に、己れの存在を確証する次第である。

そんな想いに、全てに感謝する次第だが、世間では、ウクライナのゼレンスキー大統領と米国のトランプさんの会談が決裂し、停戦を期待していただけにショックである。

国際政治学者の伊藤貫先生によると、この地域の歴史的な変遷に、アメリカが関わることで戦争に発展したようで、当事者なき和平交渉が行われる悲惨さには民族自決主義の尊さを痛感する。

正に今の日本も米中の狭間に下手をすると領土割譲の憂き目を食らうことにもなりかねない訳で、マスコミやマスメディアが真実を伝えないところが悲しい。

そんな訳で、今の日本はすべてに裏があるようで敵わない。「正直者が馬鹿を見る」世の中であってはならないと思う次第である。

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横寝…

以前は仰向けに寝ていたが、いつの間にか右を下に横寝するようになった。仰向けが腰や首や肩に負担が掛からないと言うから、なるべく仰向けに寝ようとするが、何となく寝にくい。それで調べてみたところ、

右を下にして寝ると、心臓が上になり重さのある肝臓が下になるから心臓への負担が軽減され、胃や腸などの消化器官は右側に出口があるから、消化器系の働きが活発になるらしい。また、左を下にして寝ると、リンパの流れが促進され、身体に溜まった毒素や老廃物がスムーズに排出されるらしい。

どちらともつかぬ話しだが、夜中に何度も寝返りを打つから、自然と身体がそれなりに調整しているのではないかと思う。

因みに、お釈迦様は「沙羅双樹の下で頭を北に、顔は西に、身体を右を下にして亡くなられた」とある。つまり「頭北面西右脇臥(ずほくめんさいうきょうが)」で涅槃に至った模様である。

そんなことから、AIにお尋ねするまでもなく、身体は左右どっちとらずに取り分けて食べ物の消化とデトックスをしている訳、煩悩に明け暮れるご主人様の後始末に余念がないことに、己れの浅はかさを再認識した次第である。

そんなことから、静かに目を閉じれば何故かデジャブの都会の風景、その懐かしさと心地よさに、改めて今あることに感謝したい。

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内なる花も…

過ぎ去れば全てに意味を失う。過去も未来も全てが今に集約される。内なる花も今しかない。

己れを捨てずして何処へ行こうとも同じこと、仮に出家しても元の木阿弥、何も変わらない。

意識を今に転じ、ひたすら存在を離れれば、癒しと安らぎの中に、自ずと道が拓ける。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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