バビロン

少なくとも、この世界は勇敢に挑戦し続けてきたチャレンジャーの所産であって、淡々と日々日常を平穏無事に暮らしてきた人達の所産でないことは確かである。

だから、 私達の未来は、善悪真偽に拘らず現在の生活に飽き足らず日夜チャレンジし続ける人達に握られている訳で、世界的な富の偏在や社会格差の拡大も彼らによるものと思われる。

そんなことから、今や世界はインターネットの普及により、人や物が相互に繋がり、さらにビッグデータの蓄積やAI技術の進展から、新たな基準による人間の選別が進み、とんでもない格差奴隷社会が生まれつつある。

聞くところによると、昨年2017年は人工知能が人間の脳細胞を上回り、今年からはそのスピードが一挙に加速し、2045年のシンギュラリティ(技術的特異点)に向かって進んでいくらしい。

そんなことから、私達の身の周りでも様々な形で予兆が見受けられる訳だが、駅の改札やスーパーのレジの自動化から、クレジットカードやポイントカードやキャシュレスの普及、 マイナンバーカードによる税と社会保障の一元化に始まる金融資産や健康情報の集積、 スマホやカメラやパソコンなどの技術革新に至るまで、その進化の速さには目を見張るものがある中、世界的に進む富の集中や金融システムの崩壊、社会格差の拡大や性モラルの低下や家族制度の崩壊など、正にこの世界は古代バビロニアのバベルの塔のような様相を呈しており、何処となく不気味である。

そんな想いに、この週末は新たな切り口を求めて、お台場で開かれるセミナーに参加してみようと思うが、 どうなるものやら皆目検討がつかない。まあ、取り敢えず暗悶と暮らすよりいいので、自分なりに頑張ってみようと思う。

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噓は真実

「嘘は真実を語る」とは、米国のTVドラマ「Lie to me. 嘘の瞬間」に学ぶ現実であるが、 私たちは1日に男性は6回、女性は3回以上嘘をつくと言う。 そんなことから、 私はよく右手を挙げて「インディアン嘘つかない。あなたの夫を信じなさい。ほれ信じなさい、ほれ信じなさい。」などとチャラかすが、そもそもその言葉自体が疑わしく、余り繰り返すと疑惑が深まる。

しかし、嘘やフェイクやユーモアにこそ真実がある。時には厳しい現実を和らげるクッションにもなり、さしずめ文章で言えば行間、言葉なら間合いや声の上げ下げや調子(言い回し)などに、真実や本音が隠されているような気がする。

まあ、簡単に言えば、行間や間合いにこめられた気持(想い)と言うことになるが、さらに、過去の経験知から将来を見過こした想いが、今現在の自分を創り上げていると思われることから、今現在の自分は過去の実績や努力の賜物ではなく、それらをファクターに未来を見据えた思いによって創り上げられていると言える。

だから、過去の記憶や想い出は大切であるが、過ぎ去ってしまったことは、何れは忘れられ捨てられる運命にあることから、 懐かしんだり振り返ったりすることはやぶさかではないが、無碍に拘ったり固執しても百害あって一利なしと言える。

まあ、 たいてい、私達は過去の思い出は、失敗や過ちを未来に転写してコンプレックスを持つくらいが関の山で、その最たるものが恋愛である。

しかし、 よくよく考えてみると、 男女の会話ほど本音が隠された会話はない訳で、 毎年11月22日の「いい夫婦の日」に選ばれるベストカップルが語る「 夫婦円満の秘訣」などは、 優しい嘘で塗り固めた狐と狸の化かし合いに近いものかもしれない。

そんなことから、私たちは何処にいても何をしていても、それなりに気を遣っている訳で、日本は全く疲れる。

さらに、歴史や伝統や文化に恵まれれば恵まれるほど、様々な決まりや仕来りに縛られ一筋縄にはいかない訳で、極めて始末に悪い。

一方、年齢を重ねると世間の色々なことが分かるようになるから、相手の懐に飛び込むようなことはしなくなるし、まあ、気づけば打ち解けた仲間や家族も居なくなり、一人になってしまうことにもなり兼ねない。

そんなことから、 歳とれば誰もが寂しい思いをすると思うが、 少しでもそんな思いを跳ね除けるには、やはり未来志向に気持ちを切り替えるしかないように思う。

そんな訳で、明日への想いが今現在の自分を創り上げていることは確かだから、新たな出逢いに夢と希望をつなげ、 愛と正義と勇気を信じて頑張ろうと思うが、それにしても、丸い卵も切りようで四角、ものも言いようで角が立つ。

ゆえに、嘘も方便であり、さり気ない優しい嘘もこれまた気遣い思い遣りである。そんなことから、私的には厳しい現実はさておき、これからも優しい噓に包まれて楽しく日々日常を送っていきたいと思う。

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自由

日本国憲法は、自由で平等で差別や偏見のない生活を保障しているが、 理想を書き記したものとしても、よくまあこれだけ嘘を書き並べたものである。

なぜなら、 私たちは生まれながらにして 何らかの既得権益の上に生まれ、その後もその恩恵に浴して暮らしているからで、生まれ落ちたその掌に、米粒を握ってきたか、麦や粟や稗を握ってきたのかでは、その後の人生は全く違ったものになるからである。

門地門閥や学歴は言うに及ばず、身体機能や能力においても千差万別、二人として同じ人間はいない。特に性別については、男と女では 全く違う感性や能力や特性を持っている訳で、それを平等と見做すことに、何のメリットがあるのか疑問に思う。 ことを無理に難しくして苦労するだけの話しである。

要するに、憲法は現実や実態を無視して実現不可能な理想を書き並べているだけで、こんなものなら「 インディアン嘘つかない」の方がまだマシである。

国家のことなど何も分からないのに、国家の主権が私達にあると言うのである。 そんな無知な私たちが主権を行使する代表を選挙する訳だが、選ばれる人は体制に加担しようがしまいが、憲法下の法律の枠組みの中で、施政者の支配下にある訳で、正に為政者の詭弁である。

さらに、鳥のように空も飛べず、魚のように水中を泳げずに、1日歩き続けてもせいぜい100km、 ラクダのように砂漠を旅することもできない私達に自由があるとは思えない。

新幹線に乗るにもお金がなくては乗れないし、不意の発熱や頭痛や腹痛、正に「 出物腫れ物所嫌わず」、白髪一本だに黒くすることも白くすることもできない。歳取れば手足や顔はしわだらけ、頭髪も抜け落ち足腰は曲がり、再生医療や アンチエイジングなど 夢また夢の話である。

そんな風に考えると、そもそも 自由があると思っていること自体が間違いであり、 そう思わされているところに、施政者の意図があり罠がある。

つまり、私達には元から自由などないのである。自由を餌に私達は施政者に操られている訳で、このパラドックスから抜け出ない限り、貪りや怠惰、妬みや奢り、争いから抜け出せない。自由を追い求める限り、利権争いに巻き込まれ、争いは続き戦争はなくならないのである。さらに、自由の名の下に合法化された超格差社会を支える奴隷になってしまう。正に、自由は差別や偏見を生み、争いを生じ、己の自由をも拘束するものとなってしまう。

そんなことから、古来から賢者は火宅のような三界を離れて、涼しき林野に安処して熾念を滅すと言われるが、私も現代に置き換えてそうありたいと思う。

そんなことから、私は不自由を友にして生きているが、それでも有難いことに、定年後は仕事もせずに一人身勝手に時間や気持ちにゆとりを持って暮らしている。

そんな私だから、未だに三界の火宅に生きる妻の目にはかなりの「お楽どん」に見えるらしいが、昔から「男はロマン、女はゴハン」なので、如何とも致し難い。

しかし、それでも最近は ネットを介して様々な情報が集まるから、 偏向報道や印象操作もすぐにネタバレしてしまい、 財務省をはじめ、 NHKや民放各社や大手新聞社や広告代理店などの権威も揺らぎ、改めてその使命が問われてはいるが、戦後70年に亘る洗脳教育を覆すまでには至っていないのが実態である。

いずれにしても、中国や北朝鮮の核弾頭が 日本の主要都市を手中に収めている現実を踏まえ、私達は今一度近代日本史を学び、改めて憲法にある「自由や民主主義の意味」を考えてみる必要がある。

そんなことで、今日は真夏を思わせる暑さにダラケてしまい、 来週25日に予定する研修会の資料もろくに読まずに一日が終わってしまった。 気持ちを入れ替え明日からまた頑張ろうと思う。

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バランス

新潟市西区の女児殺害事件で昨日逮捕された容疑者は、被害者宅から直線で100メートル、遺体遺棄現場から60メートルの近くに住む23歳の男性である。

女児が殺害された今月7日の連休明けから仕事を休んでいたようだが、近所でも容疑者を知る人はあまりいないようである。ネットで見る限り、とても大人しい若者に見えるが、前に女子中学生を連れ回し起訴されているようで、在日コリアンらしい。昨年の4月に千葉県松戸市の46歳の PTA 会長による女児殺人事件や教師や警察官などによる性犯罪なども考え合わせると、本当に物騒な世の中になったものである。

まあ、女性の服装やお化粧も年々上手に華やかになって魅力が増す中、政治家や芸能人による不倫騒動やセクハラ報道や恋愛ビジネス通いなどは別に珍しくもなくなり、男女の意識もかなり変化してきたと思う。

まあ、 地位や名誉の次は、文化芸術やスポーツなどと洒落てみたいが、そこはつい金儲けや女に手を出してしまうのが通り相場らしく、たまたま刑務所の内堀に落っこちないだけの話で、そんな間抜けなところもなければ、女性もつまらないのではないだろうか。

まあ麻生大臣が言うように「セクハラ罪」と言う犯罪はないが、その前に、社会人としての倫理観や大人の常識は持ち合わせていないといけない。そんなことから、福田事務次官の言動には行き過ぎがあったように思うが 、それでも相手の記者もハニートラップ絡みの取材をしていたことは否めない事実で、もし最初から嵌めることを目論んでいたとしたら、何とも後味の悪い思いをしているのではないだろうか。

まあ、私的にはセクハラも一途なものなら、それなりに納得できるが、何か別の目的が絡むようなら、それこそ一寸先は闇で怖い時代になったと思う。

一方、最近は週刊誌のグラビアを始め、セクシュアルな画像や情報が巷に溢れ、そんなこともセクハラや性犯罪を誘発しているように思うが、 所詮男と女はお互いに引き合う存在だから仕方ない。人生は色気と食い気とは言え、見た目やグルメも程々に、その場をサラリと受け流す知恵もほしい。

しかし、嫁げば眉を剃り落としお歯黒した時代もあった訳で、そんな時代に比べれば、多少性道徳や倫理に問題があったとしても今の方がずっといい。これこそ男女の本音や本質を踏まえた情報を開示し交換して、 旧態然とした観念や常識を改め、犯罪の抑止に繋がる社会的なコンセンサスを醸成して、男女が楽しく交われる社会を構築すべきだと思う。

それにしても、最近の女性は年齢に関係なく綺麗で魅力的で元気である。花火もいいがタヒチアンもいい。機会があったら、今年の夏は湘南に遊び、元気をもらおうと思う。

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天気

今日は何となくはっきりしない天気である。5月と言えば五月晴れと言われるように、新緑と晴れ渡った空がイメージされるだけに、こんなどんよりしたお天気はいただけない。

まあ、お天気が人間の心や気持ちに及ぼす影響はかなりなものがあるが、感情的で不安を感じ易い女性は、ちょっとしたことで憂鬱になるから、こんな天気は苦手だと思う。

洗濯しても晴れ渡った空に干せば気持ちも晴れ晴れして気分も爽快になるが、都会のマンションは外に干せないので、これまた都合が悪い。

まあ、最近はいろいろ便利になり清潔になり過ぎてかえって健康を損ね、それを補完する医療サービスもあったりして、実にヘンテコな時代である。

まあ、生活全般にわたって、何か無理と難しくしているところがあって、自分の尺度でなく、世間の尺度を当てはめ過ぎているように思う。

勤勉に働くのが心地よい人もいれば、怠けてごろごろしているのが心地よい人もいるわけで、それはあくまでも自分の感覚で自由に判断して、世間と同調できる範囲で対峙していけばいい訳で、もっと自分の感覚や感性に自信を持って、勇気を持って物事に対峙していけばいいと思う。

そんなことで、今日のような天気はバラや紫陽花などをphotoするには最適だが、そんな気分にならないところが面白い。

そんなことから、今日は散らかった身の周りを片付け、また明日から新たな目標に向かって頑張ろうと思う次第である。

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意味

過ぎ去ればすべてに意味を失う。新たな出会いを信じて頑張るしかない。

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バレエ

春のゴールデンウィークも終わり、今日から改めて新生活が始まる。育爺生活も新たな局面を迎え、今まで以上に時間や気持ちにゆとりが生まれ、これからは本格的に趣味の写真や音楽に没頭できる。

そんなことから、この連休は前半に上の孫を誘って新国立劇場にバレエを観に行ったが、これまでは未就学児童だったから電車やバスは無料だったが、この4月からは運賃がかかる。

普段小銭を持たない私としては極めて不便なので、新宿の「みどりの窓口」に立ち寄り、子供用のSuicaカードを買って上げたが、子供用とは言えICカードなので、駅ナカやコンビニで自由に買い物ができる。魔法のカードになってはこれまた厄介なので黙っていたが、携帯のキッズフォンも結構上手に使いこなすので、ジュースやお菓子を買うのも時間の問題かもしれない。それにしても、改札のピーは痛く気に入ったらしく、満面の笑みにキャッシュレス時代の幕開けを身近に感じた次第である。

そんなことで、当日はバレエの定番「白鳥の湖」の公演初日だったが、2時間半に及ぶ長丁場に飽きてしまい周りに迷惑を掛けないかと心配したが、鍛え抜かれたダンサーのパフォーマンスやフルオーケストラの演奏に、オペラハウスの雰囲気を感じ取ってくれたのか、飽きずに大人しく、時折気に入った場面になると私の腕にしがみつくありさまで、私としては「育爺冥利に尽きる」想いである。

途中幕間には25分の休憩があり、場外のホワイエではサンドイッチやシャンパンやソフトドリンクが売られていたが、あれこれや迷いながらも結局はオレンジジュースを買ってテラスに向うと、テーブル席の親子連れが同席を勧めてくれたので、ご一緒したが、それをきっかけに話が弾み、思いがけない楽しい会話に、改めて「類友の楽しみ」を痛感した次第である。

そんなことから、孫とはパパママのお迎えで新宿で別れ、私は小田急で夕食に弁当を買って家に帰ったが、夜になってLINEを開くと、パパから今日のバレエを踊ってみせる孫の動画が送られてきていた。

結構それなりに雰囲気を捉えていて面白かったが、それよりお姉ちゃんの後方でお姉ちゃんの真似をして踊る下の孫のダンスには思わず吹き出してしまった。まだ、バレエは無理なので、オムツが取れたら横浜のアンパンミュージアムにでも連れていってやろうと思う。

そんな訳で、女の子はおしゃまで可愛い。何処へ連れ歩いても、きれいな洋服やアクセサリーの店先では足を止めて眺める様子は、大人の女性と変わらない。

いつまでお付き合いしてくれるか分からないが、当面は機会があれば、仕事に忙しい両親に代わって、あちこちの催し物に連れて行ってやろうと思う。

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青春

何故か最近は一人になると、後悔することばかりが頭に浮かぶ。時に、幼い孫娘をつれて映画や観劇に出掛けると、おしゃまな会話や可愛い仕草に、若い頃の自分に戻ったような気がして嬉しくなる。本当に神様はいつも私を見守り、私の必要を満たしてくれる。

4月からの学童生活も軌道に乗り、下の孫娘も元気に保育園に通うようになって、寂しくもどうやら私の育爺生活も終わりに近づいたようである。勧めてくれた妻や貴重な経験を与えてくれた娘夫婦には心から感謝したいと思う。

人生も晩節を迎え、時に応じて楽しい交わりはあれど、なぜか寂しさが募る。でも立ち止まってはいられない。時代は確実に動いている。そんな想いに、気持ちを切り替え、これからも新たな出会いを信じて頑張ろうと思う。

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ひとり

過ぎ去れば全てに意味を失う。新たな出会いに果たして意味があるのだろうか。甚だ疑問である。

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フレーム

ご案内のように、賽の河原とは、死んだ子供が行く冥途(めいど)の三途(さんず)の川の河原のことで、ここでは、子供は父母の供養のために小石を積み上げ塔を作ろうとするが、絶えず鬼が出て来てくずされてしまう。そんな鬼の蛮行に泣き噦る子供の元に地蔵菩薩が現れ子供は救われるというストーリーだが、何とも哀れな話である。

そんな賽の河原を想像させる青森県の恐山は、日本3大霊場の1つだが、霊場には曹洞宗のお寺「恐山菩提寺」がある。さらに、温泉も湧いているので、社務所でタオルを買えば入浴することもできる。

霊場には、親達が亡くなった子供たちの代わりに小石を積み上げているのか、あちこちに小石が積み上げられているが、お供物に群がるカラスの鳴き声が響き渡り、何とも言えない殺伐とした場所である。

さらに、恐山は霊の口寄せをする巫女(みこ)「イタコ」でも有名で、生まれながらに幼くして盲目や半盲目になってしまった女の子が生活の糧のために師匠のイタコへ弟子入りし、苦しい修行を経て特殊な能力を身につけ「イタコ」になると言うが、霊媒を行う女性を介してまでも、死者への想いが断ち切れない人間の想いとは摩訶不思議なものと言える。

まあ、普通であれば、葬式や法要と言ったごくありふれた社会システムの中で心の整理をつけると言うか、つくものだが、余りにも大きな災難や天災に出会うと、精神的なダメージが大き過ぎて放心状態になってしまい、現実を現実として受け留められないのではないかと思う。

しかし、私達もここまでとは言わないが、日々日常において心の整理がつかないことも多々あり、既存の社会システムでは心の均衡を保てないこともある。

毎朝神棚や仏壇に供することから始まり、神社や仏閣を詣でたり、教会に通ったり、ときにはカウンセリングやセラピーにお世話になったり、酔いどれ親父になりたいこともある。

まあ、嬉しいにつけ悲しいにつけ、歌を歌ったり音楽を聴いたり、本を読んだり映画やテレビを観たりスポーツをしたり、日記を書いたり詩や俳句を詠んだり、親しい友人や家族と会話や飲み食いをしたりして、何とか心身の均衡を保っているのではないだろうか。

そんな中、既存の社会システムや趣味程度では、何としても気持ちが収まらないこともあり、そんなところから道楽が始まるような気がする。

まあ、道楽に健全も不健全もなく、みんな同じようなものだが、一般的な手っ取り早いストレス解消法として「飲む打つ買う」に始まり、合法ドラックや怪しげなサービスなどがあることもご案内の通りである。

まあ、その手のものは、多くは飲み食いや風俗などに集約されるが、またまた週刊文春の記事によると、林芳正文部大臣は恵比寿のキャバクラヨガに公用車を使って通っていたらしく、意外な一面があるものである。

恵比寿と言えば、私は馬込の孫の家に近いので、時折お茶したり、ガーデンプレイスにも行ったりするが、その近くにこんな憩いの場所があったとは知らなかった。

個室できれいな若い女性がヨガを指導してくれ、外で一緒に食事もしてくれるらしく、お金持ちの男性には堪らないサービスらしい。つくづくいろんな商売があるものだと感心する。

まあ、恐山のイタコとはかなり事情が異なるが、ストレスによってダメージをうけた心や身体のバランスを保つ手段と言えば、言えないこともない。

そんな風に考えると、林芳正文相のキャバクラヨガの事例を始めとして、ハッピーメール交際の米山隆一元新潟県知事や育休不倫の宮崎謙介元衆議や顧問弁護士不倫疑惑の山尾志桜里衆議や手つなぎ不倫の今井絵理子参議などの事例も分からなくもない。しかし、その一方で、財務省の福田淳一事務次官や長野の善光寺の小松玄澄貫主(大津の天台宗務庁によって昨年度末に解任)のように、権力や地位を利用してセクハラするのは、ナンパとみてもちょっとセンスがなさ過ぎる。

しかし、まあ、今日のような複雑な社会になれば、既存の社会システムではどうにもならないこともあり、すべてにお手本とはいかないように思う。

そんなことから、全人格的に公正が求められる政治家や宗教家や教師や公務員などは、かなりのストレスを抱え込むものと思うが、そんなことから酒に飲まれる人も多いと思うが、教師の性犯罪が一般人の15倍と言うのも、あってはならないが、未熟な学生との子弟関係から容易に想像がつく。

いずれにしても、キャバクラヨガやハッピーメールによらなければ、自分の想いが収まらずにバランスが保てない人がいたことは確かであり事実である。さまざまな情報が氾濫する中、他人ごとなどと高を括っていると、いつ同じようなことにならぬとも限らない。

それにしても、春の都会は思わず振り返って見たくなるような女性が多くて楽しい。つい手持ちのカメラで捉えてみたいと衝動に駆られるが「触らぬ神に祟りなし」である。この歳をして盗撮などと言われてはたまらない。

そんな訳で、ストリートフォトは個人が特定されなければ許されると言うから、そんなことも考えあわせて、この連休は自分の想いをフレームに、楽しんでみようと思う次第である。

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