匂い

人間も動物だから臭くなるのはしかたないが、特に夏場は汗をかくから注意を要する。しかし、芳香剤やオーデコロンも度を越すと同じようなもので、人によってはアレルギー症状を誘発することもあり、あまり神経質になるのもよくない。

時にドラッグストアやデバートの化粧品売場などにいくと、独特な匂いがするが、私的にはコロンで匂いをごまかすより、頻繁にシャワーでも浴びてサッパリした方が性にあっている。

そんなことで、夏場は朝晩のシャワーは欠かさないが、あまり頭を洗うとハゲると言うから、その辺が気になるが、それも歳取れば「ハゲるのはしかたない」ので、私的には自然体でいこうと思う。

それにしても、最近はバイ菌だとかウイルスだとか、ハウスダストだとか、pm2.5による大気汚染だとかいろいろあって、マイナスイオンパワーで撃退しているが、 電気的に発生するマイナスイオンは、滝下のレナード効果によるマイナスイオンとは違い、プラズマ放電により活性酸素を作りプラズマクラスターイオンを放出することから身体に悪影響があるような話しも聞く。

いずれにしても、あまり世間の通説や常識に囚われないで、自分の感覚や感性を信じて、臭い人や不快なオーラを発する人には近づかないのが一番だと思う次第である。

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お盆

お盆(おぼん)は、日本古来の祖霊信仰と仏教の行事が融合したもので、祖先の霊を供養する国民的行事である。

そんなことから、今年も例年の如くお墓参りをして夕刻には迎え火を焚いたが、迎え火を焚かない浄土真宗のような宗派もあり、「お盆は地獄に堕ちたご先祖さまが迎え火で家に戻り、送り火でまた地獄にお戻りになる」などと日本の風習を揶揄する伝道師もいたりして、つくづくいろんな考えがあるものだと思う。

しかし、私にとって、迎え火や送り火の所以や、また地獄や天国の有無など、どうでもいいことで、万物の創造主がイエスであっても、父母がいなければ私達は存在しない訳だから、会えなくなってしまった父母や縁者や大切な人を静かに偲ぶ日本の行事(風習)を大切にしたいと思う。

それにしても、今年の夏は、冷夏と思いきや一気に猛暑が続き、気力体力ともに消耗が激しく、孫との子供向けイベントを皮切りに、公開イベントに参加しながらDVテープのデジタル化や愛犬クーちゃんの病院通い、それに値上がりした送料をケチって、旬のモロコシや桃を届けにと、都会と田舎を行き来する夏で、これからブドウもあるが、矢張り餅屋は餅屋、無理して運ばないで、ブドウはクロネコにお任せしようと思う。

それに、今年は特別で、お盆前にいとこの台湾の知人が家族連れで来日し、日本の真夏の風物詩を体験したいと言うことから、矛先が郷里山梨の市川大門の「神明の花火大会」に向い、私が案内役を務めることになった。それで、馬込の子供達のワンボックスを借り案内したが、慣れぬクルマの運転には気を遣いくたびれはしたが、実に愉快な小旅行で楽しかった。

何せ家族構成が、小学5年を皮切りに下は6歳の双子の4人姉妹で、上の子は英語はもちろん日本語もかなりイケる。それに、下の双子の姉妹は日本のお人形さんのような可愛い顔をしていて、とても中国人とは思えない。スマホを向けると瞳がキラキラ輝き、屈託のない笑顔には、改めて女の子の可愛さに魅了された。何せ帰りに立ち寄った桃園のオジさんが、すっかり惚れ込んで、オマケに桃を採らせてくれたくらいである。

そんな花火の旅も、当初はJRで甲府駅で待ち合わせして案内する予定だったが、6人もの大所帯となると、限られた時間に混雑する都内の改札を潜り抜けるのも大変なので、馬込の子供たちのワンボックスを借りて案内することになったが、結果的に高速道路の渋滞もそれ程でもなく正解だった。

当日は妻やクーちゃん達と郷土産品を展示してある地場産業センターで待ち合わせをして合流し、平日だったので土日は通行止めになる昇仙峡の側道を通りながら滝上でロープウェイに乗ったりして遊び、その後はホテルにチェックインして少し休み、花火会場にはローカル色豊かな南甲府駅にクルマで移動して、増発便の臨時電車で向かった。会場では屋台の人混みや初めての夜空の大輪に、日本の真夏を体験し、想い出に残る楽しい時間を過ごせたと思う。

翌日は妻やクーちゃんも加わり、ミレーの美術館を観たりお蕎麦屋さんで昼食を摂ったり、一宮の桃園で桃狩りをして、私達はクーちゃん達と別れて東京に戻ったが、中央道も環七もさほど渋滞がなく、一行を中野で降ろし、夕刻の6時には無事に馬込の子供達の家に着いた。

そんなことで、お盆も明ければ、朝晩はかなり過ごし易くなる。台風も来ているし、昨日15日には自宅にお迎えした菩提寺の住職のお経に合わせてお参りしたせいか、病み上がりの愛犬クーちゃんがやたら元気になり、私的には大満足である。

しかし、その一方、私は相変わらず変化と多様性の中に不安定な想いに拠り所を失っている訳で実に情けない。行き着くところは何処なのか、一向に見当もつかないが、それはそれとして、暫くすると、山形から真黒になって孫たちが戻ってくる。孫達の土産話も楽しみである。

いずれにせよ、まだデジタル化しないDVテープが200本近く残っている。やっと半ばといった感じだが、引き受けた限り本腰を入れて頑張ろうと思う。しかし、DVテープ時代の中国やインドや中東やロシアの生活には、時代の趨勢を感じる。つくづく時の流れに私達は無力なのが分かる。そんな想いに、残された時間を大切に、全てに感謝して生きていこうと思う次第である。

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夏に思う


気づいたら誰もいない。だから今を大切にしたいと思う。

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時代

総務省が8月31日に発表した7月の労働力調査によると、15歳から64歳の女性の「就業率」は、69.9%と前年同月比で2.1ポイント上昇し過去最高を更新、この6年間で303万人も増えており、70%を超える日も間近である。

時に、女性の就労と言えば、一昔前はスーパーのレジとか飲食店やお店のパートなどと言った短時間労働が多かったが、ここにきて急激な労働力不足から、雇用環境も非正規雇用から正規雇用へと大きく変わりつつある。

その一方、男性は終身雇用制が崩壊し、正規雇用から非正規雇用の職場や職種も増え、今日的には男性1人の稼ぎでは家族を養うことは難しい。

そんな雇用情勢を踏まえると、男性より女性の方が遥かに未来志向的な雇用環境に適応してきた経緯があり、これからの働き方には女性から学ぶべきものが多いように思う。

先日も、一宮の知り合いから桃を譲ってもらい、何もその日の内でなくても良かったが、それでも「もぎ立ての桃」を孫に食べさせてやりたくて、夜10時ごろになってしまったが、孫の家に行くと、お母さんがまだ仕事から帰宅していなかった。お父さんと孫たちと3人で食事をし、お風呂にも入ったようで、玄関のベルを鳴らしたら、濡れた髪をして勢いよく飛び出してきた。

私は翌日早くに用事があったので、桃を置き早々に引き上げたが、夜の11時過ぎに娘からお礼のLINEがあった。私たち団塊の世代ではとても考えられない状況だが、ママも大変だが、パパもご機嫌で一杯などと呑んだくれてはいられない。

本来男と女は自然と社会的に異なる役割を演じるようになると思うが、こと雇用環境においては、同等になりつつある訳で、そうなれば家庭における父親の役割も自然と変わってくる。

そんなことから、これまでも生活全般にわたって様々なことを並行処理してきた女性の方が、男性より一歩抜きんじて経験値が高い訳で、そんな視点にたてば、男性より女性の方が遥かに未来志向的で、生物的に完成度が高いものと思われる。

いずれにせよ、人生には様々なステージがあって、そのステージの課題を乗り越えながらも、人間の持つ悪しき忌むべき「妬み、嫉み、僻み」などと言った負の営みから離れ「清く正しく、優しさと慈悲」を兼ね備えた理想的な人格に成長していけるといいと思うが、人生はつくづく意味深いものだと思う。

まあ、目的も意味も見失った私としては、そんな微かな想いに希望を持って、新たな出会いを信じて頑張ろうと思う次第である。

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愛に集う


思い込みや錯覚であっても、愛を信じたい。それしか生きる術がないからである。

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すべてに意味を失う。改めて生きる意味を問いたい。愛は単なる幻想に過ぎないのではないだろうか?

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掃除

女性はちょっとスペースがあるといろんなものを飾りたがるが、私はいつも掃除が楽できれいにしておきたいので、なるべくものをおかないようにしている。

しかし、ことあると、身の周りが散らかってしまい、さらに埃が溜まると何となくベトベトして、妙にイラつくことがある。

そんなことから、私はいつもモフモフとモップで一拭きすれば、事足りるようにしているが、それでも小物ケースの中まではやりきれないから、たまに覗き込むとその埃には驚く。

時に、閉めきった書棚の本やお気に入りのDVDやCDも何となく埃っぽいことがあり、なぜだろうと思う。それでいて、自分を着飾ることだけの派手な女性が好みだから、始末に悪い。

そんな中、先日、机周りの配線コードやコンセントに嵩張るACアダプターなどが何故かウザく感じたので、衣装ケースを横に据え上段を空けて、一纏めにまとめて押し込んだところ、見事に配線周りが片づいて、実に気持ちがいい。

しかし、気づけば、湯呑みや茶碗は決まっているし、服や靴やカバンなども、大方お決まりのものしか使っていない。それなのに、これほど断捨離を重ね気をつけているのにも拘らず、知らず知らずに物が溜まるのは、捨てないこともあるが、次から次へと、便利なものが出てくるからである。

そんなことから、今年の夏は今一度日頃の自分を振り返り、そんなガラクタを集め歩く自分とは決別して、埃と穢れにまみれた心を洗い清めようと思う。

仮にこれから10年生きるとしても、3650日、時間にして87,600時間である。過去を追っても仕方ない。もう過去を振り返る時間さえない。前を見て進むしかない。なぜなら今が明日を創り、明日が明後日を創るからである。

それに、愛犬クーちゃんとの日々も終わりに近い。共に残された日々を大切にして、愛と正義と勇気を信じて頑張ろうと思う。

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生きる

参院選もどっちつかずの結果に終わり、実に日本的な結末で笑ってしまう。日本民族の存亡が危ぶまれる波乱の朝鮮半島情勢の中、新しいムーブメントもそれほどでもなく、若者や女性らの投票行動にも変化がなかったようである。

しかも、投票率が48.8%(24年ぶりに50%割れ)では国民の約20%が支持した政党が今後の日本の舵取りをすることになる訳で、民主主義も完全に制度疲労した感がある。

都会では高級品が飛ぶように外国人観光客に買われていく一方、一般庶民は時代遅れの産品や海外からの廉価品を買い求めている訳で、時おり外国人の店員に出くわすと、ここは日本かと思うことがある。そのくらい都会はいま海外からの外国人に占領されている。

まあ、私は隠居の身なので、世間の動向などどうでもいいが、それでも一大発起して今流行りの生涯現役生活や民泊ビジネスでも心掛けるなら、それはそれなりに意識を当世風にチェンジして、世相や利得に照準を合わせた生活をしなければならない。

しかし、人生100年の掛け声に、生涯現役を押し通せるなら、それもそれで素晴らしいが、私的には「騒がしき真昼の業やなれ合いの憂い」には、もはやとても耐えられそうもない。少しでも世間から身を引き、涼しき林野に安処して、身も心も軽く生きていたい訳で、貧しくも、そんな我儘を許してもらえる私は、心底幸せだと思う。

そんな中、このところ愛犬のクーちゃんが高齢のため体力の低下が著しくしく、意識を失う痙攣や発作を繰り返し、何とか生命は取り留めたものの、水もご飯も食べさせてやらないと食べない状況にある。今月30日が17歳の誕生日だが、つくづく生きる意味を考えてしまう。

まあ、すべて生命あるものは宇宙の塵に帰る訳だが、団扇で風を送ってやると目を見開いて静かに閉じるところが切ない。改めて、生きる意味を考えてしまう。強くありたいと思う。

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意味不明


人生は物憂い… すべてに意味を失う。だから新たな出会いを信じて頑張ろうと思う。

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真夏


古いビデオテープをデジタル化しているが、保存状態が悪いと劣化してしまい、ノイズリダクションしても救えない。

日頃の管理がものを言う訳だが、テープに限らず、私達は常に新しいものにコンバートしていかないと、過去の貴重な経験を将来に活かすどころか現状を維持することさえ難しい。

歳を重ねれば、いずれは劣化したビデオテープのようになってしまうが、それでも観察力を身につけ、周りの変化に自分を合わせていく努力をするとしないとでは、雲泥の差が出るものと思う。

そんな想いから、周りを伺うと、今年は朝夕が涼しく、あと1カ月もすればお盆になると思うと、夏らしい夏が来ない内に夏が終わりそうで、ちょっと寂しい。

もう少しして、学校が夏休みに入ったら、真夏のジリジリを今年も孫と楽しもうと思うが、孫娘も私との食べ歩きを楽しみにしているようなので、今年もリックを背負い水筒を下げ、なり振り構わず弥次喜多道中できると思うとワクワクする。

昨年はマグロ切符で三浦漁港へ出掛けたが、品川に向かう帰りの電車で、船着場で買ったスイカを孫と食べたのが今でも忘れられない。大人同士の旅ではとても味わえない旅の思い出である。

常識、世間体、マナー、エチケット、どれをとっても、社会生活を円滑に進めていく知恵であり必要な社会性であるが、時には私達の想いや本質と異なり同調圧力になってしまい、本来の目的や趣旨を逸脱したものになっている。

そんなものを、子供はぶち壊し、新たな視点を授けてくれる。そんなことから、今年の夏も孫と連れ添い童心に帰って、昔のビデオに残る笑顔を取り戻そうと思う。

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