トレンド

2017年の世界人口は、前年から約1.5億人増えて約74.7億人となり、そのうち、日常的にインターネットを利用しているユーザーは約37.7億人(全人口の50%)と、前年の46%から4ポイント上昇している。

さらに、ソーシャルメディアを積極的に利用しているユーザーは約27.9億人で、前年比で20ポイント増加する一方、 携帯電話のユーザーはネットユーザーの人口よりも多く約49.2億人と、前年の37.9億人から大幅に増えている。

また、ネットにアクセスするデバイス別では、PCが前年から20%減少し45%なる中、携帯電話(スマホ)は30%えて50%となり、タブレットについては5%と振るわない。

つまり、今日ネットユーザーはパソコンからスマホに完全にシフトしており、スマホのOSやアプリの開発が飛躍的に進む一方、パソコンのOSやアプリの開発はパットしない。

まあ、利用者が少なくなれば、限られたリソースを投下するメリットもなくなるわけで、ワクワクするような製品も生まれてこなくなる。まあ、様々なクラウドサービスが充実する中、CPUやグラフィックに負荷がかかる4K動画の編集やパソコンゲームやCADや3D画像などを扱わない限り、パソコンの出番は少なくなるものと思う。

その一方、スマホの進化は著しく、電話やメールはもちろんのこと、ちょっとした調べごとやカメラ機能に加え、電子決済やドローンやカメラなどの操作機能も充実し、まさに現代の神器である。

そんなことから、私は最近は偶に妻から頼まれる歌集や動画の編集などでしかパソコンを使わなくなった。一時はiPadも使っていたが、今はiPhoneとgalaxyの二台持ちで、大概のことがこなせるので iPad も使っていない。まさに、スマホは軽くて超便利で快適そのものであるが、その一方、アプリの中には買取でなく月額で課金されるサブスクリプションがあり、ご機嫌で使っているとかなりの金額になる。

まあ、今後のトレンドとしては、アプリを始め、音楽や動画やゲームの配信、クラウドストレージやマガジン購読など、月額サブスクリプションによるサービスが主流になるものと思う。

まあ、結論を言えば、スマホは超便利で超快適だが、お金がかかる。しかし、それにしても、携帯電話を利用している人が、世界で49.2億人もいて、何と世界の人口の65.8%に達しているとは驚きである。

時に、世界の人口は1年に6千万人が亡くなり、1億3千万人が産まれていると言うから、1分間に137人、1日で20万人、1年で7千万人増えていることになり、それは、カナダ、オーストラリア、ギリシャ、ポルトガルの4つの国の人口合計とほぼ同じ規模に匹敵するらしい。

また、人口急増地域はアフガニスタンやアフリカなどの貧しい国ばかりで、劣悪な衛生環境や食糧不足などが、却って人口増のインシデントになっていると思われる。

さらに、これらの国々では貨幣の流通も儘ならぬところから、スマホ決済ヘの移行も難しくないようで、先進諸国との情報の共有も、 これらの地域の発展に大きく寄与するものと思う。

そんなことから、スマホを使えば、誰もが世界中の情報に簡単にアクセスでき情報を共有できることや、ビッグデ一タの集積や人エ知能の開発により、未来は私達の想像を遥かに超えるものになるものと思う。

そんなことから、世界は大きく変わりつつある。正に変化に対するチャレンジ精神が試される時代である。

そんな思いに、偽善とフェイクに覆い隠された真実を求めて、世界に大きく目を見開いて、新たな出会いに夢をつないで、頑張ろうと思う次第である。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

降り頻る雨の音に、全てを忘れたいと思う。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

生きる

ご案内のように、ベートーベンは生涯独身であったが、ピアノが上手だったことから多くの貴族の令嬢と恋仲にあったようで、その中でも、テレーゼ・フォン・フラウンシュヴァイクは、ベートーヴェンが生涯を通して愛した女性ではないかと思われる。

それは彼女から送られた肖像画を、ベートーヴェンは死ぬまで誰にも見せずに大切にしまい込み、死後に遺品の中から「不滅の恋人」宛てに書かれた手紙と共に発見されたからである。

べ─ト─ベンは、その当時の二人の「湧き上る想い」を、ピアノソナタ第24番「テレーゼ」と言う作品に残しているが、まあ、今で言えば「不倫」に近い二人の関係も、今となれば「真実の愛」に近いものになるのも可笑しな話である。

まあ、どう考えてみても世間の常識や規範に疑問が残り、素直に受け入れられない私としては、嘘偽りや矛盾にしか生きられぬ現実にこそ、真実があるような感じがする訳で、昔から何世紀にもわたって世界を支配してきた権力者や支配層たちの巧妙なプロパガンダや意識操作が、そんな疑問を抱かせるのではないかと思う。

つまり、いつの世も権力者たちは自らの権力や利権を守るために、かなりの悪事を重ねてきた訳で、一度掴んだ権力や利権をそう簡単に手放す馬鹿はいない。まあ、生涯にわたって好き勝手に生きるには、一般庶民を手なづけ味方に組み入れる必要がある訳で、その場の空気を巧みに読み解き利用して、権力と利権を守ってきたわけで、それには、自分たちにとって都合の良いものは何でも利用してきたと思う。具体的には風俗や習慣から思想や信条、哲学や宗教、それに文化芸術やスポーツ等も例外ではないと思う。さらに悪戯に恐怖感を煽り、事実を捏造し嘘の情報を流し、互いに敵対させ武力衝突をさせたりしてきた訳で、その結果が今日の世界だと思う。

つまり、この世界は元から真実など何処にもなく、フェイクされたもので、フェイクを真実であるかのごとく欺いているところに、今日的な問題が起こる原因や理由や根拠があるように思う。

だから、どんな事件や出来事に対しても批判の対象にしないで、なぜそのような事件や出来事が起きたのか、その理由や根拠をみんなで紐解き探り共有してみるといいと思う。

なぜなら、物事には善悪真偽とは別にそうせざるを得ない理由や根拠が必ずあるからで、それを素直に共有すれば、裏で糸を引く良からぬ勢力の思惑が明るみに出てくるからである。

「盗人にも3分の理」DVや虐待や虐めにも、善悪を問う前に、必ず隠された理由や根拠があるはずである。然れど、起訴されれば97%以上が有罪となる日本の司法のあり方からすると、日本の司法エリート達は、法文や判例をお手本にお座なりに処理し、事件の背後にある問題には気づきながも、もう一歩踏み込まないところにエリートたる所以がある。

ところで、そんな世間話はさておいて、話を元に戻すが、ベートーベンに限らず、芸術家は皆な真面な人間は少なく破廉恥な人ばかりで、聞くところによると、東京芸術大学の入試問題は、

問題(1) 自分の仮面をつくりなさい
※総合実技2日目で、各自制作した仮面を装着してもらいます。

問題(2) 解答用紙に、仮面を装着した時のつぶやきを100字以内で書きなさい
※総合実技2日目で係の者が読み上げます。

と言うもので、正解が用意された一般の試験とはかなり違う。

そして、さらに、『自己表現』という課題では、鉛筆と消しゴム、紙が与えられて、あとは『好きなことをしなさい』といわれるだけで、普通の人なら途方に暮れてしまう難問である。

そして、卒業生のほとんどが定職につかないらしく、定職に就くこと自体が芸術家として堕落することになるようである。でも、裏を返せば、芸大出であれば、生涯食いっぱぐれがないのかもしれない。

まあ、創作とか創造とかと言う世界は、既存の枠組みに当て嵌まらないのが普通で、私的には生きること自体が、誰にとっても創造や創作に当て嵌まる訳だから、人を傷つけない限り、社会の規範や教科書通りに生きる必要はないと思う。

そんなことで、ベートーベンの24番もいいが、そこはジョルジュ・サンドとショパンの関係の方が、よりロマンティックなので、そんなマジョルカ島での作品を久々に聴いてみようと思うが、そんな男と女の問題を、今日的な視点から掘り下げてみると、今世間で話題となっている財務省の福田淳一事務次官のテレ朝記者へのセクハラ発言などは、取材内容を週刊新潮にリークしたり、テレ朝内部のセクハラ対応にも問題があるわけで、一説によるとハニートラップ的な取材活動も否定できない。

まあ、単純に言えば、変なことばかり言う変態オジさんと特ダネを目論む女性記者の問題な訳で、セクハラに限らず取材活動に支障があるなら、組織内で検討して別の記者に交代すればいいだけの話で、何か釈然としないものを感じる。

まあ、こんなことが国家レベルの問題として報道されること自体が可笑しな話しである。まあ、そこらのオジさんやオバさんの話であり、セクハラされたら、その場で上手にかわすなり、反対にやり込めるくらいの技量がないと、報道記者などは務まらないのではないだろうか。

所詮この世は男と女、それぞれのレベルで適当にやればいいし、女性がこれだけ社会進出してくると、女性自身も組織や男性への依存や甘えを捨てて自律しなくてはならないと思う。

いずれにしても、社会は未だに未熟ではあっても、女性の地位と人権は昔より確実に向上してきているわけで、男と女がいる限り、セクハラ行為はなくならない訳だから、脇の甘さや隙を見せない姿勢も必要だと思う。また、男性も下ネタやセクハラ行為が通じる相手かどうか分からないようではセンスがない。

そんな訳で、世間は「きつねとたぬきの化かし合い」である。触らぬ神に祟りなし。美しいものには棘がある。

そんな思いに、女性は美しく芳しきゆえに、桜花と同じように、遠方から眺めるのが良いように思う次第である。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

歩道

夜風が冷たくて気持ちがいい。まだ春なのに、公園の水銀灯に真夏の想いが甦る。あっと言う間に、今日も一日終わってしまって、何か釈然としない一日である。「人は人に傷つき、人に癒される」というが、「愛を形に生きる意味」を改めて考えてしまう。歩道に響く靴音に、新たな出会いを信じて、また明日から頑張ろうと思う。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

想い

屈折した愛に生きる私達は幸せである。すべてに感謝したいと思う。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

過疎化

厚労省の国立社会保障・人口問題研究所が先月30日に発表した将来推計人口によると、郷里の山梨県の人口は2045年には600,000人を割り込み598,935人になると言う。さらに、県都甲府市の人口は、2045年には、2015年に比べ46,534人減り146,591人になると言う。

そんな中、甲府市は既に指定されている特例市から中核市への移行を進めているが、ご案内のように、中核市とは、人口30万以上の市に、政令指定都市なみの権限を移譲するもので、1994年(平成6)の地方自治法改正で、広域連合の制度とともに創設され、指定を受けるには市議会の議決を経て、都道府県の同意を得なければならない。

また、2010年(平成22)4月の時点で40市が中核市の指定を受けているが、制度創設当初は中核市の要件として、人口のほか面積が100平方キロメートル以上であることや、人口30万から50万の市では昼夜間人口比率(夜間人口100人に対する昼間の人口)が100を超えることと定められていたが、これらの要件は徐々に廃止され、現在は対象市が拡大されている。

さらに、2015年(平成27)4月1日には、特例市制度が廃止され、同制度は中核市制度に統合され、同時に中核市の指定にかかわる人口要件は「20万人以上」に変更されているが、この時点までに特例市に指定されていた39市は「施行時特例市」となり、その事務は中核市制度に移譲され、施行時特例市に対しては、人口20万未満であっても中核市の指定を受けることができるという特例措置が2020年3月31日まで取られている。

このような状況下に、 将来人口が急激に減少することが予想される甲府市は、政令都市並みの権限を持つ中核市に鞍替えしようとしている訳であるが、中核市としての業務を担うには、それなりの財政規模や人材が必要になる訳で、政令都市に準じた行政サービスが提供できるのか心配になる。

まあ、プロ集団が協議を重ねて結論を出すわけだから間違いないと思うが、「乞食が馬を貰った」ようでは心許ないし、世間には「分相応」という言葉がある。現状と将来予測を踏まえて取り組む必要があると思う。

まあ、時折地元紙でこの手の記事を読むと、必ずと言っていいくらい「リンケージ人口」なるキーワードが出てくるが、こんな不自然な指標まで持ち出なければ辻褄が合わないような計画や政策では心許なく、何か体裁だけ整えたような感じがする。

さらに、こんな将来予測を踏まえると、JR西日本のリニア新幹線への投資も採算が疑問視される訳で、何か国の経済政策もオリンピックも含めて、完全に中国のような自転車操業政策に鞍替えしたような感じがする訳で、ゴーストタウンになろうが、赤字路線になろうが、次から次へと建設投資を繰り返し景気を浮揚していく場当たり的な経済政策でいいのか疑問になる。将来、未稼働資産ばかりが増えて、いずれはガラクタに埋もれて破綻するような気がしてらない。

まあ、私的には、生活し易い都市の規模は、古代ギリシャの都市国家アテネやスパルタのような見渡せる範囲の都市形態が良いように思うが、そんな視点に立てば、一方的に経済効率を押しつけ、住む地域によっては格差が生じ、市民サービスの低下が見込まれる「道州制や広域行政」の導入も考えもので、市民の生活目線を無視したものに思えてくる。

まあ、そんなことから、甲府などは分相応にして、寧ろ世界時計から外れて、地方の「小じんまりした小綺麗な田園都市」として、独自の路線を行くのがいいように思う。

確かに、今はグローバル化に伴い、効率や利益を追求しなければ生き残れない時代であるが、しかし、それによって社会格差が拡大し、多くの問題が生じている訳で、田舎は過疎化が進みコミュニティが崩壊する一方、大都会は人口が集中する中、面白おかしく便利で快適ではあっても、安全や安心が脅かされ過酷な生活環境の中で、ストレスを抱えて生活しているのが実態である。

とは言え、お互いに「ないものねだり」をしても仕方ない訳で、あるものも搔き集め創意工夫を凝らして頑張るより仕方がないと思う。

折しも、甲府は来年平成31年には、開府500年を迎えるが、これを契機に、官民が一体となって、大都会では味わえない「人に優しい都市」の創造に、百年の大計を持って臨んでもらいたいと思う。

まあ、何事も使えば資源、使わなければゴミである。利用可能な社会資源をかき集め、フル活用していくことが、今後の地方都市の存亡を決定づけるものになることは確かである。

いずれにしても、リニア新幹線の開通は、首都圏と甲府などの国中を結ぶ大動脈として、昔の大弛峠や笹子峠のトンネル開通にも匹敵する経済効果が見込まれるはずで、正に千載一遇のチャンスである。

まあ、AIを使った自動運転技術の開発が現実味を帯びる中、リニア新駅と甲府の市街地を自動運転のモノレールで結ぶくらいの計画は立てていると思うが、地元に社会資本がなければ、大都市圏から資本を呼び込むような大胆な政策も打たない限り、千載一遇のチャンスをものにすることは難しいように思う。

まあ、時すでに遅しの感はあるが、狭い了見であか抜けない議論を繰り返していては埒があかない。田舎目線でなく、首都圏や名古屋圏の目線からも、新たな需要を掘り起こすくらいの意気込みがほしい。

将来9年後に甲府から20分でつながる品川は、山手線や東急や地下鉄などで、渋谷や恵比寿や赤坂や六本木、日比谷や銀座、日本橋や浅草、さらに横浜や京急で羽田に直結している訳で、海外からのアクセスもかなり改善される。

そんなロケーションを踏まえると、将来の甲府は、都心からあっという間に到達する「山の中に田園都市」になる訳で、そんなロケーションを活かしたサービスを提供していけばかなり過疎化は低減されるものと思う。

山梨県の観光標語「週末は山梨にいます」が正に実現する訳で、そんな100年の大計を胸に、後世に夢と希望を伝えていきたいと思う次第である。

カテゴリー: 未分類 | 過疎化 はコメントを受け付けていません。

器用

世の中には器用な人がいるものである。正に「好きこそ、ものの上手なれ」である。一人でこれだけの楽器をこなすとは驚きである。今後の活躍を期待したいと思う。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

SNS

交流サイト(SNS)Facebookから8700万人分の個人情報が流出した問題が波紋を呼んでいる。Facebookのアカウントを利用して他のサービスにアクセスしたことから、個人情報が流出したらしいが、Facebookのアカウントを用いて他のサービスにアクセスすると、そのサービス事業者に「アクセストークン」と呼ばれるデータがFacebookから渡され、それを用いて、その事業者がサービスに必要な情報をfacebookから引き出せるようになるらしく、そんなシステム上の盲点をついたものらしい。

まあ、個人情報としてはFacebook以上のものはそうはない訳で、聞くところによると、フェイスブック創業者のマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEOは、デビット・ロックフェラーの孫であることからして、世界を股にかけて利権を貪り尽くすロスチャイルドに通じるものがあり、何かしっくりしないものを感じる。

まあ、この事件の真相や責任が米議会で追及されSNSへの規制が議論される事態になってるが、元々これだけのサービスが無料で提供される自体が可笑しな話で、個人情報が特定されないまでも、何らかのメリットがあることは容易に想像がつく。

なぜなら、私のようなこんなさもないサイトでも、ドメインとレンタルサーバーを維持するのに年間9,000円近くかかるからで、もし規制されるようになれば無料でなくなるものと思う。しかし、仮に有料になるとしても、現在Facebookの利用者は世界で20億人と言うから、年会費100円にしても、それだけで2,000億円の金が転がり込んでくるわけで、情報サービスは正に現代の錬金術である。

そんなことから、私は以前はFacebookを利用していたが、勝手にいろんな人とつながってしまうことから、私は現在利用を控えているが、以前親しく交流させていただいた方には、それっきりになってしまい本当に申し訳ないと思う。しかし、仮想空間での見知らぬ人との交流には抵抗感があるので、ご無礼を承知でご理解を賜りたいと思う。

しかし、その一方で、ピアツーピアのメールサービスであるLineについては、家族や仲間とのやり取りに超便利なので利用しているが、そんなLineも端末にある電話帳や写真や動画に自由にアクセスできるわけで、かなりの個人情報が、Lineの東京支社を通して、お隣の韓国に本社を構える韓国最大のインターネットサービス会社ネイバーに吸い取られている訳で、日本に同等のサービスがないことが口惜しい。因みに、ネイバーの筆頭株主は、韓国の年金公団であり、100%政府出資によるところから、日本は情報戦で既に韓国に引けを取っていることになる。

まあ、現在Lineの利用者は東アジアの諸国を中心に2億人と言うから、仮に規制することになり有料化した場合は、年間100円としても、1年で200億円の金が転がり込むことになり、笑いが止まらないことになる。

そんなことから、FacebookもLineも利用しないことに越したことはないが、今の時代は国や民族を越えグローバルな状況に突入している訳で、地方都市では外国人登録をカウントしなければ、都市の体裁が整わないほど過疎化が進んでいるところもあり、グローバル化への対応はいろんな意味で急務と言える。

まあ、それ以外にも、Amazonや楽天での買い物は今や常識であり、ヨドバシやビックカメラ等でのポイントカードやクレジットカード等の利用による情報は人工知能によって集積解析され、新たな商品開発や需要の創造に利活用されているわけで、今や私たちの欲望も情報操作の対象となる恐ろしい時代といえる。

ところで、情報化と言えば、今日の中東の内戦の火種となったチュニジアの民主化に始まる「アラブの春」も、焼身自殺による独裁政権への抗議動画がSNSにより情報拡散したことによる民衆の興起が発端であり、今や情報は金や権力に勝る力を持っているといっても過言ではない。

しかし、今回のシリアにおける生物化学兵器の使用については、国境なき医師団ホワイトヘルメットによる情報操作が疑われ、彼らの背後にあるネオコンによる画策かもしれないわけで、なかなか真実が伝わってこないところに、今日のジャーナリズムの限界があるように思う。

いずれにしても、犠牲になるのはいつも女性や子供や高齢者などの弱者であり、表向きは差別や偏見をなくし弱者が輝く社会とか言っているグローバル・エリート達の卑劣な偽善には怒りを覚える。

まあ、そんなことから、世間は意外と単純で、基本的には権力と武力と金である。よく「金の切れ目が縁の切れ目」とか言うが、100年の想いも金がなくては始まらないし、さらに、世間では虐めや虐待やDVや暴力などは尽きない訳で、それでも、私たちは様々な形の差別や偏見や暴力を見過ごしていけない訳で、自由で安全で安心な社会を創り上げるには、やはり、その対抗手段として武力と金は必要不可欠なものだと思う。

そんな訳で、何か支離滅裂になってしまったが、何事もうまい話には裏がある。全方位に安心していられる場所など、地上には何処にもない。さもない生活でも弛まぬ努力の結果であり、改めて日頃の努力と忍耐を心する必要があると思う。

そんなことから、世界は激変している。しかも、地上にあるものは全て砂上の楼閣である。それゆえに、日々日常のメンテが不可欠になる訳で、その意味からも、フェイクニュースに惑わされない心眼を養う必要があるのだが、今日の世相を踏まえると至難の業であることは間違いない。

そんな想いに、気分は暗くなるが、しかし、季節は春である。街に繰り出せば、周りは春一色で靴が鳴る。難しいことはさておき、人生は基本的にケ・セラ・セラで行かねばやり切れない。そんな想いに、来週も新たな出会いを信じて、頑張ろうと思う次第である。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

こんな屈折した愛にしか生きられない私達は幸せである。なぜなら、そんなところに、愛の本質があるからである。

カテゴリー: 未分類 | コメントする

新緑

すべてを捨てなくては、新しい一歩は踏み出せない。新たな出会いを信じて、頑張ろうと思う。

カテゴリー: 未分類 | コメントする