スイカ

立体仕立てです

今年初めて連作障害対策の一つとして立体仕立てにチャレンジしてみたが何かしっくりしない。なので今年限りで来季は元に戻そうと思うが、とにかくカボチャにしてもスイカや地這いキュウリにしてもツルものは作付け面積が広くなるから困ったものである。特に今年は残土処理にスペースを空けているので勝手が悪い。

それでも、毎朝の水やりに話しかけ手を掛けてやるとそれなり応えてくれるので嬉しい。今朝もキュウリやナスがたくさん採れたので、カミさんがお友達に差し上げるとか言いながら袋につめていた。

まあ、夏至も過ぎれば真夏に向かうとは言っても時候は着実に秋冬に向かっている訳で、今年も半年が終わらんとしていることに感慨深いものを感じる。

高校時代、夏休みに学校のプールで泳いだり、真っ青な空に真っ白な雲、アイスキャンディやかき氷の旗に、蝉の声やコンコンコンと響くキャンディ屋のコンプレッサーの音が何故か想い起こされる。腰ベルトに日本手拭いを掛け、開襟シャツの白さが妙に甦る。

とにかく、夏である。ソーメンを茹で、畑で採れた野菜を天麩羅に、ネギや大葉や茗荷(7月頃)などの薬味も全て自前で間に合う。

人生、撒かぬ種は生えぬ。明日を見据えればやるべきことはたくさんある。まさに「光陰矢の如し、一寸の光陰軽んずべからず」今できることを大切に最善を尽くそうと思う。

気力体力の衰えは感じ入るが、無理をせず今あるご縁に最善を尽くしたい。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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孤独 …

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初なりです

コロナ禍の3密対策から始めた菜園ライフも今年で5年目、種さえ撒けば実がなると思っていた己の浅はかさには呆れ果てるが、手間と愛情なくしては菜園ライフは語れない。

早朝の水やりから害虫やカビ菌対策の摘葉や草引き、薬剤散布や追肥など、蚊取り線香を腰に汗だくの菜園ライフにはトカゲのトゲちゃんやカラスのカー子、紋白蝶のシロちゃんやカマキリのカマ子やバッタのバタ子との交わりなくしては成り立たない。

そんな孤独な菜園ライフだが、皇族が皇室の権威に拠らねば己の存在を証しできぬような、門地門閥、地位名誉財産に拠らずして、己の存在を証しできるところが笑える。

「人は人に傷つき人に癒される」ことは確かだが、出会いと別れが織り成す現実に一喜一憂し拘れば身がもたない。

そんな想いに、蒸し暑い不快な今日1日も夜に向かって大分過ごし易くなってきた。ひと風呂浴びて夜風に当たれば、その心地よさに今あることへの感謝の気持ちが沸き起こる。改めて全てに感謝したい。

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ゆとり

正にゆとり… 魂の叫びともとれる文化芸術が尊ばれる理由がここにある。改めて今あることに感謝したい。

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明日?

今が一番幸せ… 成り行きに感謝したい。

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「われ山に向かいて目を上ぐ、わが助けはいずこより来たるや…」

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誰もが持つ心の闇を知れば、恋愛が桁違いの思い込みや憧れや幻想であることが分かる。まあ、自我そのものが無意識が織り成す幻想であるからして、自己実現など夢のまた夢、まともに己れと向き合えば、かろうじて社会と折り合う自我(自己)の崩壊を招き兼ねない。

まあ、今日の少子化がそんな深層心理によるものか疑問だが、歳になれば家庭を持ち子供を育てることに何の疑問もなかった我々団塊の世代より、今日の若者の方が、自身の深層心理を知るか知らぬかは別として、遥かに賢いような気がする。

まあ、そんなことだから、誰れにとってもプライバシーの確保が必要になるが、特に高齢になると、気力体力の衰えから人様に合わせられなくなるので、自分なりのプライバシーが必要になる。まあ、足腰が立たなくなれば人様に頼らなくてはならないが、それでも介護施設の決まりごとに拘束される毎日では、己れの本質を更に傷つけ裏切ることになるので、何としても避けなくてはならない。

そんな想いに、今日も朝日を浴びて1日が始まる幸せに、ただひたすら感謝しかない。

それにしても、丹精込めたナスビがカビにやられ、キャベツはキャベツで虫に食い漁られ大変なことになってしまった。調べるとナスは半身萎凋病らしくショックである。正に弱肉強食、現実との織り合いに新らたな労苦が強いられる。

そんな厳しい現実に、今日も新らたな気持で、頑張ろうと思う。

https://youtube.com/shorts/YH7pMO4LtoU?si=V18p3p5JGVhcURPM

渡る世間に鬼ばかり、倫理なき社会の現実からして、改めて今あることに感謝したい。

憎き害虫!美味しいところだけ食べられた

渡る世間に鬼ばかり、トホホ…

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全てに感謝したい。

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想い

朝採りです

今日は調子が悪く朝から立ちくらみする始末、昼の買い物にクルマに乗り込むと、ダッシュボードの外気表示が38度と真夏の暑さ、そのためかホームセンターのレジもがら空きだった。帰宅して昼食を済ませたが、気分が優れないので、シャワーを浴びてエアコンをつけて休んでいたが、今年はスイカを立体仕立てにしたものの、まだ仕立てが中途半端なので、生育具合が気になる。変な方向にツルが伸びそうで心配である。

それにしても、エアコンは不快な気分を一気に和らげてくれる。高くても電気代には代えられない。パリオリンピックの日本選手部屋に緊急配備したのも頷ける。エアコンの部屋に長く居続けるのは良くないが、最近の暑さは半端でないから我慢するのも考えものである。なるべく自然派でいたいが、それもケースバイケース、生活自体が昭和の時代とは異なるからそれなりに対処していこうと思う。

それにしても、イスラエルとイランが全面戦争に突入した模様で、ウクライナ戦争も含め第三次世界大戦に発展しそうな嫌な感じがする。仮にホルムズ海峡が閉鎖されたら、日本の生命線が断ち切られる訳で、台湾併合にカオス状態の出口を探る中国の出方が気になる。

とにかく、大陸の連中は自分さえ良ければの連中だから、まともなお付き合いはできない。さらに、国内では、秋篠宮の有り様に不穏なものがあり、皇室の有り様だけでなく、日本の国体にも大きな影響が及びそうである。まあ、天皇陛下を現人神とする日本民族の家族の有り様と言うか、選択的夫婦別姓法案における家族の有り様にも、日本民族の終焉を感じてしまう訳で、内ちに外に、まあ今年が正念場ではないかと思う。

まあ、グローバルに行きたいところだが、行き過ぎると邪悪な手合いに利用されてしまうジレンマに、正に「渡る世間に鬼ばかり」便利快適ほど気が抜けない。

そんな想いに、改めて大地の恵みにひたすら感謝、重ねて今あることに感謝したいと思う。

どうにもならないことは考えない。一刻も早く邪悪な手合いの争いが終わることを念じたい。

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初なり

初なりです

今年もキュウリが採れ出した。暫くするとナスも採れるようになる。ゴーヤもトマトもスイカもカブも、ブロッコリーもニンジンも全て順調、昨日は畑の草取りをした。

今年は手間を承知でマルチをしなかったので、雑草も半端ではない。大きくしっかり根が張る前に狩りとってしまわないと後々苦労することになる。

早朝に庭の作物をみて回るのが楽しみで、里芋の葉っぱの朝露を観ると嬉しくなる。朝の清みきった空気が美味しい。不思議と藪蚊に刺されない。まだ、就寝中なのかも知れない。早起きは三文の徳である。

ところで、揚げ物は身体に良くないが、北海道の友達からアスパラをいただき天麩羅にして食べたのを切欠に、鍋を新調して野菜の天麩羅を立て続けに揚げて食べている。特にニンジンの天麩羅がお気に入りで甘くて美味しく食が進む。カミさんも揚げ物が好きなので、二人してご機嫌に食しているが、困ったものである。まあ、油は新しいものを使うようにしているが、生来がケチなので一度で廃棄できないところが悩ましい。

まあ、健康の秘訣は「医食同源」で、食にあることは確かだから、日頃口にするものには気をつけているものの、カミさんが次から次とクッキーやカステラなどの甘いものを持ち込んでくるから困ったものである。

しかしながら、聞けば過度の健康オタクは不健康になるらしく、やはり食べたいものを適量に食べるのがいいようである。コロナ禍で健康を意識してクルクミンの摂取からカレーを食べようにしているが、世の中には食べず嫌いがあると同時に聞き覚えで無理して食べたりしているものもある。加熱や生食でも栄養価は変わると言うが、私的にはそんなことより、やはり旬の新鮮なものを食べるのが一番旨いに幸せになれる。

そんなことで、山形から毎年山菜が届くが、新鮮な山ウドを天麩羅と酢味噌で食して大満足、ひたすら感謝しかない。

世間はもはやカオス状態、自分のスタンスも曖昧模糊にて自己矛盾だらけで、人様のことなど何も言えない。出会いと成り行きに身を任せるしかないが、改めて思想や信念、哲学や宗教の意味を考えてしまうが、その根底には生存における恐れがあるような気がする。まあ、簡単に言えば漠然とした恐れとでも言えるかもしれないが、恐れを念頭に1日を過ごすのとただ単純に面白い楽しいから1日を過ごすのとでは雲泥の差がある。

まあ、歳を取ると世間体も気にならず、人の評価も不要なものも簡単に手放せるようになるから、正に人生の黄金期と言える。

そんな想いに、改めて今あることに感謝したい。

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