受け身

日本に生まれて良かったと思う。まさにカオス、文化文明の功罪を改めて考えてしまう。私は、シンプルにナチュラルに暮らしているが、それも近代文明のインフラあってのことである。

この動画を見る限り、感染症を完全にブロックすることは不可能に近い。いろいろ考えると、やはり人の一生は受け身だと思う。

その上で、己の感覚や感性、知性や霊性をどこまで信じるかだと思う。すべてに感謝したい。

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存在

存在が心の支えとなる。そんなことが人生の目的ではないかと思う。つまり、具体的な行為や行動でなく、「存在そのものが心の支えや助けや救いとなる」そんな有り様が人生の目的ではないかと思う。

気づけば、我が家の3匹のワンちゃんたちもそんな存在であったように思う。しかし、現実はワンチャンの世話は大変な労力が必要で、とても損得勘定では割が合わない。しかし、その一方で、目に見えぬ力で、日々日常私達を見守り支え、心のよりどころになってくれていたように思う。

まあ、我が家の狛犬だった訳で、時々思い出すと何とも言えない気持ちになる。

そんな想いに、朝夕お燈明やお線香をあげるのが日課となっているが、父母やワンちゃんたちの写真を見るたびに、生き物はなくなると成仏するものでありたいと思う。

まあ、信仰において、神の存在そのものも、そのようなもので、具体的にどうこうするものではないと思う。つまり、棚からぼた餅的な具体的な利得や魔除けや請願成就を神仏のご利益と考えるのは、ちょっと軽率軽薄であり、やはり日ごろの想いや意欲や意識や行動なくして、神仏のご加護やご利益には肖れないのではないだろうか。

そんな想いに、人間、最後まで修行である。仏門に入るは容易いが出門するは難しい。なぜなら、日々日常、自分の意欲と意識で生活しなければならないからである。それでも、在家にあって神仏の想いに沿って生きることが、神仏の本懐ではないかと思う。

そんな存在に今日も支えられ、生きることの楽しみと喜びを限りなく味わいたいと思う。すべてに感謝したい。

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昨夜の雨は夢見枕にかなり強く降ったように思う。目が覚めてベッドから手を伸ばし、窓を開けると曇り空に木蓮の緑葉が際立って見える。

窓からの冷たい空気が布団の暖かさと絶妙なバランスで実に心地良い。今日は月曜日、月に1度の瓦礫の収集日とゴミの定期収集日であるが、昨夜のうちに無理して出してしまったので、かなりゆとりがある。

気持ち的には元気に飛び起き、すぐに行動したいところだが、3度の腰痛や高齢者のガーデニングの心得を加味して、最近は決して無理や無茶振りをしないことにしている。参考にしているガーデニングの庭師のアドバイスによると、無理して怪我したり体を痛めたりする高齢者が多いようで、とにかく休みながらゆっくりガーデニングすることを勧めている。若い時のように体が動くと思っていたらとんでもない。歳には勝てないものである。

つくづく歳相応に日々日常を暮らすことの大切さを痛感する。確かに若さは宝であるが、老いもまた宝である。様々な貴重な体験や経験を活かして、創意工夫して生きる楽しみは、若者には負けない。誰からも邪魔されない心底楽しみ喜びと感謝を実感できる晩節ほど素晴らしいものはないからである。

極論すれば、人生はこの1点に尽きる。有無同然、どんな状況や境遇にあっても、己を楽しみ歓びを実感できるのは老いの宝だからである。

そんな想いに、今日1日が始まる。すべてに感謝して頑張ろうと思う。

今年の春に期待したい
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一雨ごとに温かくなるとは言え、雨の日は気持ちが塞ぎ何となく冴えない。それに、今日は朝から首が痛くて最悪のコンデションである。そんな中、ガーデニングも出来ないので、よせばいいのに、楽天モバイルに非対応なiPhone 8に、楽天のAPNを仕込んでみたが、楽天の電波が拾えない。ますます意気消沈し完全に凹んでしまった。

とりあえず、アンドロイドからBluetoothでテザリングすれば、外出先でもiPhone 8もApple Watchも使えるから困ることはないが、簡単に裏技を使えば、非対応機種でも電波を拾えると思ったのが甘かった。

これも何かの予兆かも知れないので、心して物事に接していこうと思う。3月もあと僅か、恵みの雨を受け、焼き尽くした雑草も元気を取り戻すと思う。凹んでばかりはいられない。

何事もへこたれず、その日その日を大切に頑張ろうと思う次第である。

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春眠

「触らぬ神に祟りなし」と言えば、オリンピック組織委員会の森元会長の言葉が思い浮かぶが、ちょっとした失言や冗談も通じない社会も困ったものである。

とにかく、世間は様々なプロパガンダによって完全にコントロールされていて、実に厄介である。人はそれぞれに、自分に叶った物事や理屈を信じていて、それを押し通したりするから、争いが絶えない。

端から見て、やらないほうがいいと思うことでも、うっかり口に出すと、親切ではなくお節介になってしまい、口は災いの元となる。ゆえに、よほど親しく身近な人でないと本心を語れないのが現実である。ひょんなことから拗れると面倒なことになるから、まさに「触らぬ神に祟りなし」である。

超高齢社会を迎え、ご近所なども支え合うことが喫緊の課題とは言え、それもほどほどに、適当な距離感を持たないと、とんでもないことになる。まあ、人間とは実に厄介なもので、まさに「塩梅」、潮目を見る感覚や感性を身につけることが大切である。

ところで、最近のニュースに目を転じると、やはりコロナリスクが前面に押し出され、オリンピックの聖火リレーも一抹の不安が漂う。まぁ、何とか形を替えてオリンピックも開催するようだが、海外からの観客もなし、無観客オンライン開催となると、何かお祭り気分も半減してしまい、新たな出会いや国際交流も進まないことから、32兆円に及ぶ経済波及効果どころか、施設の後年の負担もあることから、一年延期しさらに開催するメリットは考えにくい。

まぁ、何事もヒヤリハットの法則から、予兆や潮目を見抜く観察力が大切であって、その点、日夜マスコミや報道機関によって流される情報は、不安や恐れをかきたてるものばかりで、そんなものを鵜呑みにしていると、人生楽しみが半減してロクなことにならない。

どこかのネット記事で読んだが、情報は食べ物と同じで、自分に合ったものを取捨選択して取らないとダメだと書いてあった。まさにその通りで、一説によると食べ物は体内で消化吸収と言うプロセスを辿るのであるが、分子や原子レベルで考えると、私たちの身体の原子や分子と食べ物の原子と分子が情報をやり取りすることらしく、そんな視点で捉えると、情報の取捨選択は精神的にも身体的にも命に関わることになる。ゆえに、日々日常の情報源には健康や栄養面の情報も含め、かなり気をつける必要がある。

そんな思いに、今日も朝日を浴びて、身も心も一新し、足の指先から頭のてっぺんまで、指で擦りながら気を巡らし、くだらない似非情報に惑わされない態勢を整えながら、物事に接していこうと思うが、「春眠暁を覚えず」と言った春の訪れが長く続くといいと思う。

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憂い

多分自分でも憂いの意味に気づかないのではないだろうか。改めて、存在の意味を問いたい。

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このデフレとコロナのダブルパンチの中、菅さんは最低賃金を引き上げると言っているが、よほどの間抜けか、実態を知り尽くした確信犯としか思えない。

とにかく、長引く自粛要請から、景気はどん底、中小企業の多くは生き残りを掛け、支援金や補助金や資産を売却して、何とか持ち堪えている訳で、そんな現実も知らぬ馬鹿とはとても思えない。

まあ、世の中は何事も善意に捉えたいが、現実を知りつつも、しらばっくれたり、図々しかったりする人も結構いるもので、何も言わなければ、約束事もそのままに反故にされてしまうこともある。

まあ、そんな人達とも喧嘩をしないで、それなりにお付き合いしていかねばならぬのが娑婆であるが、それでも、言うべきことは言わないと、単なるお人好しや馬鹿と舐められてしまう。

時代が大きく変わる中、私たちも政治に対して単なるお人好しであってはならない。言うべき事は言って、それなりに責務がある人には、要望や注意喚起をしてもいいと思う。まあ、確信犯には通じないと思うが、それでも将来的には、そんな輩は信頼や自尊心の喪失に喘ぐのではないだろうか。

しかしながら、振り返れば、長引く自粛要請による単調な日々の連続から、まさに光陰矢のごとし、3月もあと僅か一週間になってしまった。お花見シーズンも間近に迫り、桜の名所にも出かけてみたいが、何とも判断に苦しむ。

そんな中、妻が親しいお友達から、桃の花をいただいてきた。早速玄関に据えてみたが、周りがすっかり春になって、気分的には「花咲か爺さん」になったような気分で大満足である。それに、今朝は離れの花壇に大きくなり過ぎた鈴蘭水仙を株分けして、代わりにパンジーを買い増して植えてみたが、ぼさぼさにとんでもなく大きくなってしまった鈴蘭水仙に代わって、紫と黄色の花弁が見栄えして大満足である。

そんな日常に、今日も1日健康に過ごせて、心底ありがたいと思う。すべてに感謝したい。

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地元

久々に地元の中心街に出かけた。金曜日の午後だったが、人影がまばらで全く活気がない。こんなことで地域経済が成り立つのだろうか。改めてコロナ禍の現実を具に感じた。

中央のドコモショップで端末のSIMロック解除の2段階認証のメアドの変更して、自転車に乗って繁華街の飲み屋街を抜けて帰宅したが、風俗店の呼び込みに入店していく人もおり、世間は広いとつくづく思った。さすがに店先を自転車で通り抜ける私に声をかける馬鹿はいないが、昼間でもやはり飲屋街は独特な雰囲気がある。

ところで、東京オリンピックパラリンピックは外国からの観客を受け入れない決定をしたそうだが、どのような形の運営にしていくつもりなのだろう。橋本会長を始め丸川五輪相や小池都知事など、3人の女性リーダーによるオリンピック運営が見ものだが、変異株による感染拡大が危惧される日本での開催を諸外国では否定的な感覚で捉えているようである。

まあ、正に東京オリンピックは、現代版インパール作戦のようなもので、精神論では乗り切れない現実を、無理矢理押し通そうとする日本特有の病理性を感じてしまう。

勇気ある撤退もあるわけで、進むばかりが能ではない。さらに、何事も引き際が大切で、人生100年の謳い文句に、いつまでも老人が表舞台に出てくるのは如何なものかと思う。正に老害であり、生き甲斐の搾取にしか生きられない哀れさを感じる。

そんな訳で、今日は1日雨で、庭の掃き掃除もできずにちょっと退屈な1日だった。やはり人間は座ってばかりいると精神的によろしくない。身体的にも悪影響があるようで、スタンディングデスクで仕事をしている人もいるようである。

そんなことから、私は疲れを感じる前に、勝手口から裏庭に出て、雑草の地下茎を掘り起こしたり、小石を拾ったりして、気分転換している。ウェブサークルもズームは40分が一区切りなので、その辺で退出している。

何事も五分を持って最善とすべし。障なき日々を送るには、勇気を持って拘りを捨て中庸に生きることに限る。

そんな想いに、今日1日ここにあるに感謝したい。新しい時代の潮流に、自分なりに新たな仕切り直しをすることが求められている。他人任せにしないで、気持ちを強く持って、残された晩節を実りあるものにしていこうと思う次第である。

いずれにせよ、良識あるリーダーなき世相に流されないように頑張りたいと思う。

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楽天モバイル

先日ドコモから楽天モバイルに乗り換えたが、通話やSMSはこちらからかける場合楽天リンクを利用するが、先方からの通話やSMSにそのまま返信すると課金されるので、注意を要する。タダだと思って長電話をするととんでもないことになる。

つまり、楽天リンクと言うアプリを通して通話やSMSを発信しないと料金が発生するわけで、いちいち切り替えるのがめんどくさい。やはり、大手3大キャリアの格安プランを利用する方が、便利に快適に使えるような気がする。

そんなことから、頃合いを見て、ドコモのアハモかライトプランに乗り換えようと思う。

やはり、東大工学部をバックに持つNTTは、一切借入金のない優良企業であって、通信品質やサービスにはそれなりの理由がある。

正直言って、新興勢力の出番に期待しすぎて、ちょっとがっかりしたが、まあ、世の中こんなものである。当分このまま使って、頃を見計らってドコモに戻ろうと思う。

こんなことなら、高い違約金を払ってMNPなどせずに、1年間タダなので、新規に契約すればよかったように思う。ちょっと自分でも節約し過ぎて、損をした感がある。

そんな訳で、主な通信は紐付けた旧iPhone8のLINEを主軸に利用して、こちらから通話やSMSを発信する時はよく注意して、楽天リンクを使おうと思う。思わぬ落とし穴に、今日的な流れを感じるが、さらに通話での問い合わせやアドバイスがなかなか受けられないところに問題がある。

後悔先に立たず、これからはAIやSMSだけでなく、少なくとも電話で問い合わせができる通信キャリアと契約しようと思う次第である。

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美徳

群れや集団でチームプレイ協調して物事を達成することが日本人の美徳と言われるが、それも程度問題で、自分の考えや思いが殆ど通らないとしたら、辛いことばかりで生きる意味も薄れてしまう。

そんな中、この国難の時に「黙して語らず…」何も手を打たず、やり過ごしていては、リーダーたる資質や能力に欠ける訳で、時代を先読みし大胆な改革を提案する位の技量と勇気なくしてはリーダーの資格も所以もない。そんな無能なリーダーばかりが揃っているのが、今の日本社会であり、「みんなで渡れば怖くない」的な発想で、日本社会の特有の馴れ合いも手伝って、結局はうわべや綺麗事で終わってしまうのが通り相場である。

そんな日本の社会の有り様について、社会心理学者の山岸俊郎先生は、日本人は本来集団におけるポジション争いにあくせくしており、日本社会を集団主義とするのは誤りで、日本人ほど利己主義セルフィッシュな民族はいないと指摘されている。さらに、所属する集団が限られていることから、複数の集団がwin winの関係で包括的に結ばれることもないから、所属する集団や組織に対して「滅私奉公」することが美談や美徳とされ、組織や己の為なら何でもすると言うのが、日本社会の実態だと言うのである。

そう言われてみれば、一連の籠池・森友・桜を見る会に始まり、今日の総務省の会食接待等に絡む組織人のあり様からも、そんな傾向が読み取れる。正に、集団や組織に生き残るにはきれいごとでは済まされないものがある。

しかしながら、そんな窮屈な日本社会であっても、都会は田舎や地方都市に比べ、周りや世間を気を遣わずに済む訳で、コロナ禍において地方が大都市に取って替わると言う予測は、時期尚早ちょっと軽率な感じがする。

いずれにせよ、総じて今日の社会の方が昭和や平成初期の頃より豊かで自由度が高いわけで、大きく思考を転換すれば、生活レベルはかなり高く便利で快適だと思う。

そんな訳で、今日は春の日差しに、離れの花壇にはスノーフレイク(鈴蘭水仙)の株があれっという間に大きくなって、小さな可憐な花を咲かせている。さらに、その横には寒い頃には全く精彩を欠いたパンジーが元気を取り戻し、コロナ禍の憂鬱もどこ吹く風である。

自然はありがたい。朝玄関先を掃除して打ち水をくれ、花に水をやるのが日課となった私としては、愛犬に変わるガーデニングに、今年は勤しみ、元気をもらっていこうと思う。

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