初夏

流石に6月になると初夏を感じる。一人は寂しいが、歩道に響く靴音が心地よい。すべてに感謝したいと思う。

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想い

池袋の高齢ドライバーによる交通死亡事故もショックだったが、川崎の児童殺傷事件は、同世代の孫がいる私としてはさらにショックで他人事とは思えない。

加害者は51歳になる引きこもりの男性だが、聞くところによると、自分の母校であるカルタス学園に恨みがあったようである。自殺してしまったので、その動機を知る由もないが、改めて抑えようのない怒りの矛先が向かう無差別殺人の恐ろしさを知る事件である。

ところで、オリンピックのチケットも先行販売が終了し、後は抽選結果待ちだが、申し込み多数からまず当たらないと思う。まあ、オリンピック期間中、公共交通機関が軒並み終電延長されることから混雑が予想され、人混みに巻き込まれるくらいなら、当たらない方が良いかも知れない。箱根駅伝ではないが、沿道で応援でもしてお茶やランチを楽しむ方が、ゆっくりオリンピックムードに浸れて良いのでないだろうか。

また、今週はトランプ大統領夫妻も無事に帰国し、令和元年のセレモニーも終わり、何事も終わってしまえば過去のこと、その意味も薄れていく。しかし、何故か分からないが、何かをしていなければ治らないのが世の常で、そんな理りなき想いに突き動かされ、意味不明の人生にあるのも、一抹の不安と寂しさがつきまとう。

しかしながら、旨そうなものを見れば、食べたくなるし、綺麗なものを見れば、楽しくなるし陽気になるし、美しい音楽や上品な言葉や物腰に接すれば、やたら嬉しくなるから仕方がない。

そんな中、今日は久々に日曜大工をしてみたが、出来はともかく、ノコギリや釘打ちをしていたら、中学校時代の技術家庭の授業を思い出した。男子は木工細工で、女子は刺繍や料理など、やはり、男女の役割分担には理がある。隣に座る女子が丸こい木枠の布地に施した花の刺繍を得意げに私に見せてくれたが、当時の私にはその意味さえ分からなかった。

まあ、人間の想いなど、何も変わらない。ただ食べて通るが難しいだけで、いつのまにか、そんな子供の頃の心や気持ちを忘れてしまうところに、私達の性があるように思う。

そんな想いに、改めて永遠の想いから離れ、今ある自分に生きてみようと思う次第である。

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梅雨

初夏を通り越して真夏かなと思いきや、つい梅雨があるのを忘れていた。そんな梅雨時のジメジメした不快な感じはしないが、今日は何となくはっきりしない物憂い天気である。

桜に始まり、チューリップや薔薇を追い掛けている内に、紫陽花の季節になり、もろこしが出回る時期になってしまった。

まあ、毎日があっと言う間に通り過ぎ、すべてに意味が薄れていく。後で思い出すと、何だったんだろうと思うことばかりである。

人は想いに生きる。すべてに感謝したい。

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新時代

米国のトランプ大統領夫妻が大相撲観戦し大統領杯を授与したり、六本木の高級炉端店で庶民の会食(?)を楽しんだりして、平成とは異なる新時代の幕開け「令和の風」を感じる。

千葉のゴルフ場で撮られたツーショットは満面の笑みを浮かべ、二人の親密さが伺える。日米間の貿易交渉や防衛などの懸案は山積みされているが、二人の顔には少年のような明るさがある。多少の駆け引きはあるだろうが、遊びを通して築かれた二人はかなり親密で、信頼し合う関係にあると思う。

まあ、趣味や遊びを通して知り合った仲間は、時には家族以上に頼りになり信頼でき、そんなところに人生の機微や醍醐味を感じるものである。

それには、お互いに切磋琢磨し、変化と多様性の中に刺激し合う関係でなくては長続きしない訳で、そんなことは夫婦や家族にも通じるものがある。つまり、平凡の中にも小さな夢や目標を持って、その実現に立ち向かう勇気と知力を失ってはならない訳で、常に「日に新た」を心に、小さな努力を積み重ね小さな達成感を手にする気概を失ってはならないと思う。

人生は憂いと悲しみに満ちている。厳しい現実を世間の物差しで測れば、それこそ誰もが惨憺たる有様で一刻たりとも向き合って生きてはいられない。しかし、そんな想いをステップバネに明日を切り拓いていく勇気を持たなくては進歩がない。

そんな想いに、今日も小さな目標に向かって一生懸命努力し、小さな達成感を積み重ねて、実りある日にしていこうと思う。全てに感謝したい。

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経済戦争


米中経済戦争が激しさを増し、ついにGoogleがスマホの基本ソフトAndroidのサポートを打ち切った。それを受け、国内の3大キャリアや格安シムを扱うMVNO(仮想移動体通信事業者 Mobile Virtual Network Operator)や、さらにAmazon までもが、中華スマホの販売を中止してしまい、ミラーレスを凌駕する性能のスマホを手にすることができなくなってしまった。

さらに、最近購入したばかりのHuawaiのパソコンも購入先のAmazonが販売を打ち切り、Microsoftのサポートもどうなるか分からない。

しかし、そもそも、Huawaiは中国共産党の莫大な資金をバックに米国のIT技術をパクリにパクって世界シェアを獲得してきた国策企業であり、中国共産党の諜報活動の一翼を担っていても不思議ではない。

さらに、中国共産党はHuawaiの技術を使って、国内で人口知能による人間の峻別を行っており、IT技術により中国共産党による人民の支配を進めている。

まあ、IT技術も戦争の道具や人間を支配する道具になってしまったら最悪である。そんな画策は、何としても阻止しなくてはならない。

しかし、現実には今日の都市生活における「安全、安心、便利、快適」の裏には、それなりのリスクが伴う訳で、パソコンやスマホを介さねば生活が成り立たないことからも、既に私達のプライバシーはなきに等しいものと言える。

Suicaで移動したり買い物をしたりすれば、動線は履歴に残るし、EVに至っては充電スポットを利用するので、全く隠しごとは通らない。

また、SNSを利用すれば、趣味や嗜好や家族構成や生活レベルまでもが共有され、私達のプライバシーは既に米国の4大IT企業GAFA(Google Amazon Facebook Apple)の手中にあると考えられる。

そして、さらに、様々なカード情報がクレジットされ、e-Taxから諸証明まで、また近い将来には健康保険までマイナンバーカード化され、本格的なキャッシュレス時代を迎えることはご案内の通りである。

まあ、IT技術は悪用されると恐ろしいが、その反面、実に便利で、何よりも嘘は直ぐにバレるから、下手な嘘はつけない訳で、今まで世間を欺いてきた嘘やプロパガンダが通じない時代でもある。

まあ、平然と国家レベルで歴史を書き換えてしまう国もあるが、当然にして世界から信用されずに困窮していることは、ご案内の通りである。

世界の嘘が暴かれ、政治体制や経済金融システムや宗教や立法から風俗習慣に至るまで、これまでの集団統治システムの本質やカラクリが明るみにでて、正に既存の権威が地に堕ち、混沌とした様相を呈しているのが今日の社会ではないかと思う。

まあ、「集団から個性へ」とパンドラの箱を開けてしまった限り、私達は自律した存在として生きていくしかない訳で、これまでのように、社会の伝統や文化、風習や習慣や常識に従って生きていくことは出来ない。否が応でも自らの決断と責任を持って方向性を見定め、自分の人生を切り拓いていかねばならない。

と同時に、そんな自律した個の社会であっても、結局は裏で誰かに操られ管理される時代でもあり、それが国家機関なのか、他国の政府なのか、はたまたGAFAのような他国籍企業になるのか皆目見当がつかない。まあ、矛盾するようだが「人間は一人では生きられない」から、結局は既存の政治体制や経済金融システムや宗教に代わる新たなシステムに頼らざるを得ない訳で、とどのつまりは「個の世界に執着し標榜する」こと自体に無理があり、何らかのものに頼らざるを得ない気がする。

いずれにせよ、大混乱の後に、何らかの流れによって、世界は統一されていく訳で、金融や宗教に代わる新たな統治支配システムを巡る覇権争いが、今日の米中経済戦争ではないかと思う。

そんな訳で、今週は米国トランプ大統領の来日に合わせて、都内は警視庁や千葉県警や神奈川県警の警察官2万5000人に及ぶ超厳戒態勢が敷かれ、かなり不便になると思うが、羽田に飛来する大統領専用機Air Force Oneくらいは見たいと思うが、飛来する時間も定かでないし、挙動から不審者に間違われでもしたら大変なことになるので、在日期間中は大人しく自室でファイルの断捨離でもしようかと思う次第である。

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自由

過ぎ去れば全てに意味を失う。

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痛み

人は想いに生きる。

女優の磯野貴理子が、24歳下の夫との離婚をレギュラー番組で告白し、夫からの「“自分の子供が欲しい”と言われた」ことが離婚の理由だそうだが、昔から「子は鎹(かすがい)」とか言われ、子供が夫婦仲を取り持つものだから、年の差婚の悲劇としか言いようがない。

まあ、それだけ、男女の仲は脆く(もろく)危ぶいものであり、愛そのものも普遍的なものと言うより、信じるしか手立てがないものかもしれない。

いずれにせよ、男は幾つになっても子供で未熟だから、極端な姉さん女房にはかなりのリスクがつきまとう。また、女性にしても結婚する限りは、早くに子供をもうけて早々に子供や孫たちに囲まれて楽しく暮らすのが自然の理に叶っている訳で、いくら男勝りに仕事して地位や財産を築いても、自然の摂理に反した人生には、寂しい晩年を迎えることになるような気がする。

また、人生は一寸先は闇だから、一途に何事も決め込まないで、いろいろな選択肢を残して世渡りしていくのが私的にはいいように思う。なぜなら、いずれは誰もがみな老いぼれて咄嗟の判断も儘ならなくなるからで、いつまでも周りの期待に応えられる訳もなく、人生はやはり身の丈、引き際が大切だと思うからである。

まあ、人生はすべて成り行き、なるようにしかならない。早く気持ちを入れ替えて頑張るしかない。貴理子さんも新たな生き甲斐を早く見つけて頑張ってほしいと思う。

ところで、昨夜は以前に知人のセラピストからいただいたギムニク触覚ボールで、先週の草刈りで痛みが残る背中と肩と腕をマッサージしたところ、今朝は至極調子がいい。多分ギムニクボールの突起が深部筋まで届いたのだろうが、やはりリラクゼーションの専門家から頂いたガジェットだけある。下手な投薬や貼り薬に勝る。早速アマゾンでちょっと大き目の触覚ボールを新調したが、肩こりや腰痛に悩まされている方は、是非試してみるといいと思う。

そんなことで、肩の痛みも生きている証拠である。「命あっての物種」そんな想いに、全てに感謝し、これからも身近な想いに応えられるよう、自分なりに精進して、実りある晩節にしていこうと思う次第である。

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雑感

選挙の投票率は軒並み40%台、新聞やマスコミは偏向報道に傾く一方、ニュースは連日悲惨な交通事故や常識を疑うエリート官僚や議員の発言から米中経済戦争の煽りや国際紛争など、暗いニュースばかりで、誠に精神的に宜しくない。

朝に新聞を開けば、紙面はスポーツ記事や広告ばかりで、真実を伝え私達の未来を美しく提案するものは稀である。簡単に言えば、エンタメやスポーツや娯楽ばかりで、韓国の時代劇に至っては、日本の時代劇に比べやけに華々しく、時代考証はなきに等しく完全の創りもので、正に映像はフィクションである。

また、空を見上げれば、健康被害が懸念されるケムトレイルの帯雲が広がり、巷には食品添加物だらけの食品が溢れ、添加物も地球上の物質から生まれたものと言った変な肯定論まで浮上して、今や添加物も食品である。

確かに、世間に出回っている薬物や添加物は、地球上の物質から作られており、その意味からすれば、自然のものと変わらない訳だが、それを持って健康被害につながらないとするには無理がある。

要するに、社会全体が市場経済の枠組みの中で生き残りをかけ、リスクを覚悟でかなり無理をしている訳で、こんなことをしていたら、私達の未来は悲惨で惨憺たるものになってしまうのではないだろうか。

私達の本質に叶うものは淘汰され、コストに見合うものばかりが生き残り、植民地のコーヒーが現地の農民の口に入らぬように、そんな市場経済システムが生活全般に及んでいる訳で、良いものや希少価値のあるものは、世界の富裕層が独り占めし、庶民には今まで以上に高根の花となっている。つまり、日本の庶民は東南アジアの100円産品で暮らし、日本の良いものは内外の富裕層が独占し、庶民には買えない使えない格差社会になりつつある。

そして、誰もが真実から目を背けスポーツやエンタメに興じている訳で、まんまと富裕層や支配層に操られている。

いずれにせよ、全てがスポンサー契約で成り立つ自由主義社会だから、スポンサーに不都合なことは言えないし伝えないし、これが嵩じると、中国のように賄賂なくしては許認可さえも通らない腐敗した社会になる訳で、公務員の資質や行政当局のあり方が問われるが、家族や出世を考えると時流に流されていくのも仕方ないのかも知れない。毒も薬、社会悪とか言った言葉が独り歩きし、いつの間にか大抵の悪事が正当化され、全てがイタチごっこで意味を為さない。

しかしながら、令和の世にあって、一人くらいは世間に強烈な衝撃を与える人物が登場してもいいように思われ、雑草ではないが、踏まれても踏まれても起き上がり立ち上がっていく熱血漢の出現に期待する訳だが、それがもしかしたら人工知能だとしたらお笑いである。

しかし、それも強ちあり得ない絵空事でもなく、ソニーの犬型ロボット「アイボ」は、人間の言葉や表情を読み取り人工知能で処理して、それに相応しい仕草をすると言うから、下手をすると近い将来アイボに操られる社会がくるかもしれない。

そんな訳で、今日は土曜日なのに朝から変な話題になってしまい、こんな目線で一日を送ったら大変なことになる。まあ、真実の目線は失わずとも、新緑の季節に相応しい明るい気持ちを取り戻し、惰性とマンネリを廃して、実りある一日にしていこうと思う次第である。

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初夏

明日は点滴治療に行きます。元気です。

草刈りも一段落、晴れて娑婆の苦役から開放され、今日はカメラ片手に、湧き上がる想いを胸に愛犬のクーちゃんと初夏の富士川クラフトパークに遊んでみた。

家を出る時はちょっと元気がなかったが、向こうにつく頃には元気になって、芝生の広場で嬉しそうに走り出したが、何せ病気療養中なので、こちらにしてみるとハラハラドキドキもので、腰も大きく曲がってしまい痛々しく、昔のように一緒になって走り回れないところが悲しい。

さらに、今日はクラフトパーク自体がお休みで、駐車場もガラガラ、人もまばらで、おまけに薔薇もまだ見頃には程遠い状況で、全く振るわなかった。レストランはともかく、売店くらいは開いていてもいいと思ったが、自販機も見当たらない状況には閉口した。

それでも、早咲きの薔薇をバックに初夏のワンショットを残すことができ、僕らにとっては想い出が一つ増えたので、来て良かったと思った。

ところで、富士川のクラフトパークと言えば、3年前の12月5日に亡くなったTiffaのことを思い出す。その年の春の薔薇のシーズン時にはとても元気で、芝生の広場で走り回り、レストランの待合いで、妻の手からアイスクリームをもらってご満悦で食べていたが、当日は至極天気がよく暑いくらいで、パークの木陰に憩い、妻が用意した水飲みボールから水筒の冷たい水をもらって、美味しそうに飲んでいたのが忘れられない。

それでも、今日は100枚程の写真を残せたが、時が経てば、皆んな忘れ去られてしまうと思うと悲しくなる。それでも、季節になれば、何かに取り憑かれたように、想いをいろんなものに重ねてみたくなるのは、無知無明、無知蒙昧の為せる業である。しかし、暫し憂いと悲しみ満ちた現実を忘れ、イメージの世界に遊べる喜びは、何ものにも替え難い。意味不明の人生を埋める力があるように思う。

そんな訳で、今年の初夏はなるべく田舎で愛犬クーと行動を共にし、一緒にストリートフォトして、たくさんの想い出を残していこうと思う。

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草刈り

平成から令和になって2週間、連休中は出掛けるのを控え、久々に本を読み耽る毎日だったが、それはそれなりに楽しかった。

そんな中、長く懸案であった裏庭の草刈りに先週末から取り組んでいるが、悪戦苦闘の連続で想像以上の苦役である。

とにかく雑草もだが、日頃の不用品のゴミ捨て場のようになっていて、手つかずの荒れ放題だったから大変である。何年か前は植木屋さんに頼んで除草剤を散布してもらっていたが、モンサントの除草剤は健康被害があるとのことから、近頃は見合わせており、荒れ放題になってしまったような気がする。

それで、仕方なく昨年6月にAmazonで電動草刈り機を購入して、一度は草刈りに挑戦してみたものの、時期が6月の終わりだったせいか、蚊の猛攻撃に会い退散を余儀なくされた。

そこで、今年は昨年のリベンジで「鬼の居ぬ間の洗濯合戦」と景気良く乗り出してみたものの、枯れた雑草の中には、植木鉢やら金属の支柱が散乱しており、結局は電動草刈り機の出番もなく、別に長い柄の草刈鎌を購入して、草刈りに臨んだ次第である。

山椒の木と紅葉の木を残し、薔薇の木や他の植木は虫が入っていたので、残念ながら根本から切ってかなりスッキリしたが、まあ、慣れない仕事から無理をせず、作業は早朝の2時間程度に留めたとは言え、5月の日差しは結構きつく、体力もつかったような気がする。

早朝に起床し、朝露の中で、土を掘り返すと本当に土の中には、いろんな土壌生物がいるのには驚いた。ムカデやヤスデ、ミミズや何かのサナギや丸くなるダンゴ虫など、時折小さなトカゲも登場したり、蝶々やギャアギャア鳥までが何処からともなく飛来し、私の側2メールの至近距離まで近づいてきて、私の掘り返した土の中から、土壌生物を見つけ出し突いて食べている。それも2匹の番いらしく、顔を見ると意外と可愛い。

私としては、こんな経験は初めてなので、側に寄ってくるギャアギャア鳥がお友達のような気がして、改めて、私達が住まう世界と違う世界があるものだと痛感した次第である。まあ、見方を変えれば、普段正しいと思っていることも意外と「権兵衛が種まきゃカラスがほじくる」ではないが、カラスに笑われるようなことをしているのではないだろうか。

まあ、人生に確たる意味はない。どう活きても同じである。しかし、野球の野村監督が言うように「たかが野球、されど野球」で、意味がない分、どう生きてもいい訳で、私的には自分が気楽に過ごせる場所を見つけて住まうのが一番だと思う。

そんな訳で、久々に土に触れ、大変な思いをしたが、終わってしまえば楽しかった。これからは電動草刈り機でいつでも刈れるから安心である。後は植木鉢やプランターや支柱などの処分だが、ガレキの日に出すにしても、レンガやブロックや敷石の類いなども買う時はいいが、いざ処分となると手間もお金もかかるから、買う時はよくよく考えて買うべきだと思う。

それにしても、ホームセンターや100円ショップなどに行けば、ついつい買ってしまう。そんなことから、これからは「買ったら捨てる」をモットーにしていこうと思う次第である。

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