昨日は週の中日だったが、妻の都合もあって、大月の真木にお墓参りに行った。風もなく晴天で、お寺の本堂を見下ろす墓地からは、山間に富士山が見え、空は真っ青で、この時期としては暖かかった。
ご先祖様に1年の締めくくりのご挨拶をして、来年の家内安全と無病息災をお願いした訳だが、ここに来ると景色が素晴らしいので、つい富士山や周りの山々に見惚れて、お墓の掃除は合いの手になってしまい、今回も妻のブーイングを買ってしまった。
ところで、大月の真木はかっては甲斐絹の織物で栄えたところで、その名残から、かなりの山間僻地だが、今でも路線バスが走っていて、途中坂道で対向車とすれ違うにはかなりの神経を使う。
それに、墓地に通じる坂道は老人介護施設にも通じている割には道幅が狭く、対向車が来ないことを確認して、一気に坂を登りきるのが、地元の習わしのようで、普段クルマの運転をしない私には恐怖の坂道である。
そんな訳で、道中は笹一で親戚筋やお世話になった方に地酒を送り、帰宅したわけだが、毎年のことながら、変わらぬ街道筋の風景には、何となく年の瀬の慌ただしさを感じた。
しかし、それにしても、今年もお墓のお花を求めて、大月駅周辺を探してみたが、国道20号線沿いの商店街は、人通りも少なく、大半のお店がシャッターを降していて、街全体が静まり返り活気がなく、人ごととは言え心配になった。
そんな年の瀬の一日だったが、夜になって自室のコタツに潜り込むと、その温かさにつくづく幸せを感じた。人は安全安心便利快適だけでは幸せになれないとは言え、一歩踏み込めば闇となる絆や関係性に、最近は体力的にきつく感じる。
そんなことから、私的には、社会インフラが整い、いろんなサービスが提供される都会の方が、しがらみもなく高齢者には住みやすいような気がする。
今や「レンタ猫」ならぬ「レンタルフレンド」や「おっさんレンタル」といったサービスもあるわけで、そんな世相から「人生はすべて借り物」世の中のものを上手に利用して生きる方がいいように思う。
そんな想いに、今日も既存のカテゴリーやジャンルに拘らずに、新たな出会いに、愛と正義と勇気を信じて頑張ろうと思う次第である。