言葉

岩波書店が昭和30年に刊行を始めた広辞苑(国語辞典)が、10年ぶりに改訂され、今月12日に第七版が出版された。

今回の広辞苑には、およそ25万の言葉や人名などが収録され、このうちおよそ1万項目が新たに加わり、「婚活」や「ブラック企業」など社会に定着した新しい言葉や、「がっつり」や「ちゃらい」といった俗語、それに「スマホ」や「アプリ」「ツイート」など、IT機器の進歩やSNSの普及によって登場した言葉が多く収録されたそうである。

そんなニュースを尻目に、私はスマホでほとんど調べものは用事が足りるので、紙の媒体を使う事はまずないが、それでも紙の媒体の良いところは、新聞等でも言えることだが、意図しない情報にも触れられることで、その辺は書店や図書館を覗くことにも通じるものがある。

まあ、極論すれば、人生は全て言葉遊びと言えないこともない。「丸い卵も切りようで四角、ものも言いようで角が立つ。」ではないが、とにかく、現実は少しも変わらないのに、言い方1つでガラリと場の雰囲気や人との関係性が変わる訳で、語彙や表現力が豊かな人と話をすると無条件に楽しく救われる気がする。

まあ、世間には、専門学術用語から、歌や詩に至るまで、いろんな言葉や表現の仕方があって、年齢や性別、学識や経歴、性格や感性や感覚、さらにその時の感情などによって、同じものでも全く異なった表現になるから面白い。

また、言葉ばかりでなく、身なり服装や髪型や話し方、態度なども、微妙に加味され、全く十人十色の印象を受ける。

しかし、どんなに素晴らしい言葉でも、相手を思いやる気持ちがなくては心に響かない。

そんなことから、歌や芝居や朗読などは勿論のこと、ちょっとした時候の挨拶や四方山話でも、慎む中に、その場を楽しく、愛を形にしていく気持ちがないと、本当につまらない会話に終わってしまい、もう二度と胸襟を開いて話すことにはならないと思う。

まあ、それでいいのだが、それでもちょっとした会話で顔見知りになり、偶然に駅や電車で出くわして話をしたりすると、その1日がいつもとは全く違った日に思えてくるから不思議である。

まあ、寂しさや孤独感は、自分のありのままを受け入れないことや、自己肯定感のないことが原因らしいが、歳を取ると寂しくなるもので、私はそんな寂しさを語り合うことも人生ではないかと、最近は開き直って、新たな出会いに望みを託している。

そんな訳で、また明日から新しい週が始まる。孫のインフルエンザも峠を越したとは言え、私には恐ろしい。ウィルスが突然変異でもして鳥インフルエンザにでもなったら大変である。コケコッコーなどと言葉を発するようになったら、どうしよう。困ったものである。

それでも、漫才の笑い飯の「鳥人」のようになれば、これはこれで、新しい人生が開けるから、今夜は早く寝て、明日からまた愛と正義と勇気を信じて頑張ろうと思う次第である。それでは、また、お休みなさい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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