隠居

隠居生活の素晴らしいところは、一切世間に憚ることことなく、毎日が日曜日、好き勝手にやれることで、嬉しくて堪らない。

まあ、本当に馬鹿みたいだが、これこそ私が追い求めてきた人生で、妻にしてみると全く当てが外れたようで、退職したら少しは家の頼りになるかと思いきや「フーテンの寅さん並のお楽どん」になってしまい、全く申し訳ない限りである。

まあ、これまで狭い世間や組織の仕来りに首根っこを抑えられ、我慢してきた私としては、この上もない生活で、最近やっと後生大事に背中に隠し持つ翼の使い方にも慣れ、自由に大空を翔べるようになった。

海や山に出掛けても、都会を歩いてみても、今までとは全く違う吹っ切れた感覚で世間が見渡せ、意識が違えば、世間はこうも違うものかと、我ながら驚く。

しかし、その一方、新聞やテレビでは、高齢になっても生涯現役で働くことがいいようなことが言われているが、私的にはどうかと思う。

まあ、定年が延長され、再雇用制度が定着すれば、益々若者の活躍の場が狭まる一方、労働市場の流動性も阻害される訳で、大企業から中小企業への転職や、また大都市から地方都市への移住などもスムーズにいかなくなり、今まで以上に職場が固定され、惰性とマンネリの日々が続くような気がするからである。

また、労働人口の減少に伴う労働力不足を補う「入管法の改正」は、治安の悪化や社会保障制度の運営にも大きな影響が懸念される訳で、 生活意識や様式が全く異なる外国人労働者が日本の社会にすんなり馴染んでくれればいいが、反日勢力などと結託して、国政を転覆するような工作員やテロリストに成り下がることも、 ヨーロッパの事例からして、ないとは言い切れない。

まあ、世間に転がれば、イジメや差別は当たり前だが、日々日常の不平や不満をテロや工作と言った形で解消されたら、夜道を一人で歩けない犯罪多発国家になってしまう訳で、その対抗手段として、法律で市民生活の一部始終に亘り細かく規制するのも自由が阻害され、住み難い社会になってしまうような気がする。

まあ、いずれにせよ、高齢者や女性の活用や移民まで活用して、国力や生産性を維持する必要があるのか疑問に思うが、資本家や支配層にとっては、そうしなければならない何か差し迫った問題があるのだろう。

まあ、退職して断捨離を重ね、ミニマリストを目指す私としては、必要ないものは持たない生活の心地よさに目覚めた訳で、モノによる幸福を追い求めてきた私達団塊の世代はそれなりのきっかけがないと、その呪縛から逃れられない訳で、ある意味マインドコントロールされた可哀想な世代だと思う。

聞くところによると、日本の家と広さがあまり変わらないデンマークでは、年間を通して日照時間が短いので、時間や自然を意識して大切にして生活しているようで、不必要なモノは持たずに、無理をせず見えを張らずに、飾らない気取らない人が多いようで、家族や友人や隣人たちとの触れ合いを、生活の中心におき生活しているようである。

世間では、そんな生活様式をHugge(ヒュッゲ)と言うらしいが、仕事に追われ時間に追われ、季節感のない生活が当たり前となる今日、お正月の振り袖も職場では見られなくなり、挙げ句の果は、東大を出ても過労死では全くいただけない。

まあ、安全·安心·便利·快適の背後に、お金とスピードが見え隠れする状況に、いつしか日本は季節感を失った奴隷労働市場に成れ下がってしまったような気がする。

私的には、ここらで一旦一休みして、これまでの意識や価値観を見直し、日本が誇りとしてきた清貧に立ち返るべきだと思うが、マスコミやマスメディアによる印象操作やマインドコントロールによる「見た目やブランド志向」に汚染された国民意識はそう簡単には変わらないような気がする。

いずれにせよ、私達には寿命がある。いつまでも世間の評価に生きていても意味がない。栄養学で食べても美味しくないし、無理して運動したり趣味や社交に生きても意味がない。

時に、プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さん(86)が30日、南米最高峰のアコンカグア(標高約6960メートル)登頂に挑戦すると表明しているが、三浦さんがここまで元気なのは、生涯に亘り自分の好きなことをして生きてきたからである。

そんな訳で、今日も日中は温かい。全てに感謝して、今年も自分らしく、秋を満喫しようと思う次第である。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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