消費

Necessity is the mother of invention.(必要は発明の母)と言うが、持続可能な好循環な社会を維持するには、適度な需要(必要)を掘り起こす必要があることはご案内の通りである。

そんなことから、私達の身の回りには知らぬ間に便利グッズが溢れており、調理器具ひとつ取っても、使えば便利だが滅多に使わないもので埋め尽くされている。いつも使う鍋釜や包丁やまな板は決まっているし、食器に至っては使いきれずに、そのままだから場所塞ぎもいいところである。

そんな便利お気に入りグッズに溢れた今日の生活を深掘りしてみると、無理して新たな需要(必要)を掘り起こし、私達の生活が豊かになるどころか、モノが増えた分、生活環境が悪化し、いろいろ小難しい社会になってきたように思う。

しかし、そもそも、必要に駆られ産み出される発明や技術革新は、少なくとも労役から私達を解放し自由にするものでなくては意味がない。しかし、現実はその真逆で、更なる効率と生産性の向上が求められ、益々ゆとりがなくなり煩雑な社会になっている。

そんな過酷な社会環境にあっても何故か「労働は美徳」と言った価値観が大勢を占めているのは奇妙な話しだが、それは働くことが人のためになり、社会貢献につながるからだろうが、それも程度問題で、本心を圧し殺し、他人の犠牲になることが美徳になる筈がない。

そもそも、如何なる文化文明もその源流や発端を辿れば、労役ではなく遊びや享楽にある訳で、音楽や文学などの芸術の多くは男女の想いを昇華したものである。言い換えれば、完全に労役から掛け離れた境地の中に文化文明がある訳で、私達の真の営みは遊びの中にあると言っても過言ではない。

そんな想いに、寝ぼけ眼で庭先に出ると、何とセメント袋を入れた漬物樽に昨日の雨が入り込み、セメント袋が水に浸かっているではないか。このままでは、袋ごとセメントの塊になってしまうので、早々に水の中からセメント袋を取り出してみたら、一部塊になっていたが、濡らして塊を潰せば何とか使えそうなので、予定にないセメント仕事をすることになった。

そんな突然のセメント仕事を終え、里芋の苗床を作り、昼の支度をして食べていたら、検診結果を聞きに出掛けていた妻がワンちゃんを抱いて明るい顔で戻ってきたので、話しを聞きながら仕切り直しをして昼を共にした。

それにしても、いい時代である。やろうと思えば、何でもスマホで情報が得られ、サロンにも参加できる。同好の輪も限りない。インタラクティブなやりとりにはリスクもあるが世間の広さを実感する。

こんな素晴らしい情報空間を楽しめる時代に、ウクライナでは毎日1000人のウクライナ兵が戦死している。5月20日に任期切れとなるウクライナのゼレンスキー大統領は「自称大統領」になる訳で、その正当性が危ぶまれる。ロシアの圧勝は確定しているのだから、戦闘を長引かせて若者を犬死させることはない。

片やスマホ片手にバーチャルなスピリチュアルな世界に遊ぶ時代に、殺し合いをしている現実をどう受けとめればいいのだろうか。やはり、最後の決着は武力と言うことなのだろうか。

改めて、人間の本質を問いたいと思う。

時を刻む時計の音に、改めて、愛の本質を問いたい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
カテゴリー: 未分類 パーマリンク