居心地

自分に合わないことをしていると、ストレスを抱え込み、体調不良や病気になったりする。言い換えると、体調不良や病気になるのは、自分に合わない生活をしているサインだから、立ち止まってよく自分の生活を見直す必要がある。

その意味から、今回のコロナパンデミックは私にとって、これまでの生活の延長上に描いた老後生活を見直す良いきっかけになった訳で、私的には「災い転じて福となす」軌道修正できればいいと思っている。

まあ、巷に流布する世界情勢からして、今後の社会はコロナ以前の社会に戻る見込みはないから、それを前提に自分の生活を見直し組み変えていくしかない。

長引くコロナ自粛から、バランスが崩れ、コロナ太りやコロナ鬱、体調不良に悩まされている人も多いが、その一方、コロナのおかげで、生活を立て直し、新たな自分流の楽しい生活を手に入れた人もいる。

いずれにせよ、今日的な生活を見直す絶好のチャンスであることに間違いない。まあ、どんなに自分軸をしっかりしていても、これまでのような貨幣経済一辺倒な社会システム下では、知らぬ間にそちらの勢力に巻き込まれ、家族を抱え、車や家のローンを背負いこめば、それこそ身動きできなくなってしまうわけで、自分も通ってきた道とは言え、精神論や使命感では片付けられないものがある。もう少し改善の余地もあったように思うが、今となっては過ぎ去ってしまったこと、能わぬ夢である。

まあ、一旦世間のレールに乗ると、気づいていてもなかなか軌道修正できぬものだが、それがコロナで意図も簡単に可能となる千載一遇のチャンスが巡ってきた訳で、私のような団塊の世代の高齢者でも、望みさえすれば、その恩恵に肖れないこともない。

まあ、感染情報を無視してコロナで死ぬのも然り、また、専門家筋の様々な衛生管理や免疫強化情報を参考に、家族や社会に迷惑の掛からぬ老後生活を手にするのも然りである。

そんなことから、私は現役時代には全く無関心だった家事労働や生活環境のあり方を家相、風水の視点から見直してみたが、これが実に奥が深い。まあ、家相や風水はお釈迦様が言う流言、風評ではあるが、物質的な豊かさを求め、安全安心便利快適を求め続けてきた自分にとっては、感覚的に何かしっくりいかない自分らしくない居心地の悪さを解消する手立てになった。

そんな中、今年の2月に長年連れ添った愛犬のJanianが亡くなり、その存在の大きさに生命の大切さを痛感する日々だが、それでも、朝は寝台の窓辺に、風に揺らぐ木蓮や撒き餌に集まる野鳥たちの声に元気をもらい、トイレやキッチンや玄関や庭の掃除に、何とも言えぬ爽やかさを得て、コロナ以前には味わったことのない安らぎや喜びや幸せを実感する。

窓辺の木蓮

そんな訳で、今日は庭の撒水栓にニップルを取り付け、離れのガラス戸の軋みをボンドで補修し、ビビ割れた壁をモルタルで補修した。明日は離れに手摺りを取り付けてみようと思うが、一時枯れかかったバジルやパセリも持ち直し、この春に種まきした桔梗や朝鮮朝顔もそれなりに育ってきた。

想いは果てしなく尽きることがない。すべてに感謝したいと思う。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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