世界

死ぬと肉体から魂が抜け出て、別世界に行くとしても、自分を自分たらしめる意識そのものが失われてしまうと、それはもはや別ものであって、日々身体が必死になって支え続けるホメオスタシー(恒常性)や60兆にも及ぶ細胞の動的平衡性も機能を停止するとなると、そこに自己統一性が保持されるかどうか疑問である。

つまり、私達の営みは、過去から未来へと一貫して自分と言う存在を貫いているようだが、それはパラパラ写真の寄せ集めのようなものと言える。

現実に万物は流転しており、自分の身体も3年もすれば、新陳代謝によってすべての細胞が摂り込んだ食物によって入れ代わっているわけで、元の物質は一欠片もない。

それなのに、自分であると認識できるのは、DNAによる細胞間の情報伝達が適切に行われているからで、そこに今回のRNA Messengerワクチンのような遺伝子組み換えタンパクを摂り入れた場合、どのようなことになるか、製薬会社が製剤の免責を公言していることからも想像がつく。

しかし、副反応はあるものの一定の成果を収めている事は確かで、パンデミックを回避する1つの手段として有効であったと思う。

ここで話を元に戻すが、意識による自己統一性の存続が、生命の実態、生命活動そのもの、言い換えれば私たちの人生そのものであるわけで、そんな意識が、常に変化し流転していく物事に執着し悩み苦しんでいる実態を省みると、まさに無知蒙昧の為せる業、無明によるものとしかいいようがない。

しかしながら、常に去りゆく現実を毎日見せつけられるのも酷な話しで、それならいっそのこと、想いの源泉を断ち切り、厭世的な生活をするのもいいが、これもまた寂しいものがある。

いずれにせよ、こだわりを捨て、人生成り行きにまかせ最大限に楽しむことが幸せを手にする秘訣であることに間違いはなさそうである。もちろん、現実の判断は過去や未来を勘案して決断するのだろうが、あくまでも現状、現実、現場主義に徹することが必要不可欠、最重要な視点であり、出来得る限り偽善や不正に絡まぬようにしたいものである。

そんな訳で、今日も朝方から日の光を浴びて気持ちがいい。月曜日はゴミの収集日なので、解体時に散乱して地に埋まった木片等を集積所に出し、このブログを書いている。

今年の3月までには、何とかしてじゃがいもぐらいは植えられる庭にしたいので、今日も備中鍬で土を掘り起こし、地に埋まった石や瓦やコンクリの破片や木片を拾い集めようと思う。それが終わったら、電動耕運機を導入して、本格的な土作をして、家庭菜園をしようと思う。

まあ、もう5年もすれば、完全にリモートワークが定着する。都会に住む孫たちの時代になれば、今まで以上に都会と田舎の両方の生活を楽しむ時代になると思う。

世間には過疎地の住宅や破格な別荘を買って、不便な生活や維持費に苦労している人もいるようだが、やはり人並みの社会生活をするには、スーパーやコンビニ、病院や役所が近場にないと不便である。電気ガス水道公共交通機関も欠かせない社会インフラだと思う。

そんなわけで、神様と違って、「無から有を創造」出来ない私達の生活は、何かしら他者の犠牲の上に成り立っていることは確かであり、ある程度の弱肉強食は認めざるを得ない。そんなある種の社会悪を容認する立場も、自分に当てはめてみれば、日々日常は偽善と不正、何らかの搾取の中に暮らしてるわけで、とても清廉潔白とは口が裂けても言えない。

そんな想いに今日も大地と天空から命をもらい精一杯生きようと思う。すべてに感謝したい。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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