体罰といじめ

今朝の民放テレビ局の生番組に橋下大阪市長が出演し、桜宮高校の体罰自殺事件の背景について語っていたが、教師だけでなく父兄やOBなども体罰を是認してきた校風があったようで、その伝統と校風を打ち砕くための対策を断固として執りたいとのことであった。

学生一人が体罰を苦に自殺したことを考えると、この学校における体罰への意識は、一般常識を大きく逸脱していたものと思われ、その意味において、橋下大阪市長の判断は正しいように思う。しかし、在校生がいることや名門体育高である桜宮高校への入学を希望している学生のことを考え合わせると、もう少し関係者が知恵を出し合って対策を講じていくべきではないだろうか。

一番いけないのは、学生を盾に原因究明をむやむやにして、その責任の所在を明らかにしないことである。教師や市教委だけでなく、父兄やOBの意識についても実態を解明して原因を究明し、対策を講じていくべきだと思う。大阪府知事や県教委が同席した対策公開会議での市教委の対応も、何か面子に拘っているだけで、具体的な対策が見えてこないように思えた。

ところで、このような校風とか学校の伝統とか言うものは、その学校が長い間かけて培ってきた精神的な想いや所属意識の問題でもあるから、生活習慣や嗜好や嗜癖や体質など言ったものとよく似ている。つまり、よっぽどのことがない限り、それらは後世に引き継がれ改善や是正されることはないのである。つまり、健康を害するとか死にはぐるとか言ったことと同じように、行き着くところまで行かなければ、分からないし直らないのである。

校風や学校の伝統とは、誰もが校是として心に刻み、ある意味で誇りであり人生を生き抜く支えにもなる教えでもある。それゆえに、誤った運用は組織病理につながるのである。だから、体罰が平然として行われてきたのは、昔の軍隊のように、上官には絶対服従であり、横びんたが当たり前となるのである。今日の北朝鮮のような状況を生み出してしまうのである。それゆえ、体罰が教育指導の枠を越え、いじめや暴力にまで発展し、学生を自殺に追い込んでしまったのである。

元巨人軍の桑田真澄選手が体験を交えて、「体罰は前時代的なもので体罰でスポーツは上達しない。」と言っているが、スポーツ指導は、教師は学生の悩みに寄り添い、言葉で諭して納得させ、ともに成長していくことであると思う。学校関係者は猛省すべきであって、この死を無駄にしてはいけない。もう少し、当事者意識を持って、この問題を捉えてほしいと思う次第である。

ところで、このような組織的な暴力について、あなたの職場ではどうだろうか。横びんたはなくとも、パワハラやセクハラ、陰湿ないじめや嫌がらせなどは横行していないだろうか。仕事に熱意を欠きマンネリ化したり、プライベートな問題を抱えたりすると、そのストレスを組織的な苛めや嫌がらせで発散するケースが多くなりがちである。そんなことに頭や精神を使うより、新たな課題に果敢に挑戦していくほうがよっぽど自分の能力開発や資質の向上につながるのであるが、度胸のない小心者ほど、そんな負のゲームに終始しているから困るのである。

そんな訳で、組織の伝統や構成員の意識を是正し改善していくことは至難の業なのである。それには、常に外に開かれた組織運営が不可欠となるが、固定的な考えや物言わぬ職員を排除し、マンネリや業務の停滞を回避するためにも、組織を預かる管理監督者はジョブローテーションや人事異動を活用して人心を一新して、組織の活性化に努め、組織病理の防止に取り組んでいかなくてはならないのである。

jpjapon について

3匹の犬と優しいけど時々意地悪な元気なおばさんと桃やブドウに囲まれた田舎で暮らしています。音楽と写真が大好きなパソコンフリークです。日々の想いを、聖書の御言葉や御仏の教えを交えて仲間と語り合うのが大好きです。平凡な日常から垣間見る世間の出来事を、自分流に書き綴っていきたいと思います。
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